鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1071頁(御義口伝)
人に頭を下げることを異常に嫌う人は、礼儀は人のためにするものだと思い、礼などするものかと思い上がっていますが、この考え方が誤りであることを示している御文です。
確かに礼儀は人のためですが、同時に自分のためでもあるのですね。鏡の譬えを使って分かりやすく説明されている御文です。
このことから考えますと、人に頭を下げることを異常に嫌う人は、実は自分に対する礼を失しているといえるでしょう。ある意味、自己肯定感が低いことのあらわれともいえましょう。自分は偉いのだと自己肯定したいにも関わらず、実は、自己肯定感が低いという歪な状態ですね。
やはり、礼儀のない人はおかしいということです。自己分裂の状態の人ですからね。
我々としては、本尊に向かい礼拝をしますが、本尊がまさに我々であるわけですから、自分に礼拝をしていることになります。自分自身を絶対的に肯定する法門が日蓮の法門です。日々、礼拝をしていきたいものですね。