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2023年11月21日

『ジーニアス英和辞典』第6版の用例に大谷翔平選手の名前がある

『ジーニアス英和辞典』第6版で「only」を調べて、用例を見ていますと、大谷翔平選手の名前が出てきました。
And now, the one and only Shohei Ohtani!
さあみなさん, 正真正銘の大谷翔平さんです《◆登場の場面で用いる》.
『ジーニアス英和辞典』第6版 1451頁

『ジーニアス英和辞典』第6版の発行は、昨年ですが、昨年の段階で英和辞典の用例に大谷翔平選手の名前が使われていたということです。確かに大谷翔平選手が有名人であることは間違いないのですが、実は、今年の大活躍の前に用例として名前が出ているわけですから、とんでもない人物といえますね。

ある意味、歴史的な人物であり、我々は、そのような人物と同時代を生きているのですね。我々も自分の持ち場において、活躍すべきでしょう。そのように感じます。

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posted by lawful at 20:12| 英語学習

2023年11月10日

「黄リー教」をマスターすると「基礎的な英語」が身に付く

本書の読者、そして英語を生業としない日本人にお勧めしたいのは、もう一方の道である。すなわち、基礎的な英語だけは身につけておいて、あとは自分の得意分野に専心するという生き方である。
斎藤兆史『日本人に一番合った英語学習法』祥伝社 177頁

以前は、『総合英語One』の例文を「基礎的な英語」と考えてみましたが、別の観点から「基礎的な英語」を考えた場合、英語を読む根本的な勘所を押さえたものが必要なのではと思うのですね。あやふやな読み方ではない、1語、1語をゆるがせにしない読み方を身に付けることが「基礎的な英語」を身に付けることといえましょう。

今年の4月から、ぼちぼち『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』のKindleで勉強をはじめ、一応、3周して、現在、4周目に入ったところです。「黄リー教」と呼ばれている本書は、総合英語などの文法書とは一線を画する書です。他の英語参考書とも違うのですね。徹底的に英語のしくみを解説し、身に付けさせようとする教科書となっております。
「単語の意味を適当につなぎ合わせて、意味を推測する」のが読むことだと思っている人は、知らない単語がちょっと出てきただけで、お手上げになってしまいます。「本当の読み方」を身につけた人は、1文に知らない単語が3つ、4つ出てきても、英文構造は正確にわかります。
(中略)
丸暗記と勘に頼ったフィーリング英語で一生を終わりたくなければ、英文を構成する1単語1単語の働きを正確に認識して、自分で意識的にコントロールできる力を身につけなければなりません。そのためには、本書で説明している「品詞と働きと活用の相互関係」を理解することが絶対に必要なのです。
薬袋 善郎 『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』 研究社 45頁

「黄リー教」は、「本当の読み方」を身に付けさせる教科書であり、英文の構造をなんとなくではなく、正確に理解させる教科書なのですね。読むのが大変とはいえますが、日本人が英語を読めるようになるためには、大変な思いをしなければならないのは当然であり、時間もかかると考えておくべきですね。安易に英語がマスターできると思ってはいけません。

今までの英語の読み方を思い出しますと、まさに「単語の意味を適当につなぎ合わせて、意味を推測する」でありました。このような感じですから、いつまでたっても、英語が読めるようにならなかったのですね。

ところが、「黄リー教」を学ぶと、まだまだではありますが、英語が読めるという実感が得られるのですね。正確に読めているという感覚があります。もちろん、すべての英文が読めるわけではありませんが、読める英文に関しては、なんとなくこうだろうというのではなく、間違いなくこの構造であり、この意味であると読まざるを得ないという確信をもって読める英文が増えてくるのですね。

「黄リー教」には、サブテキストとして『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本 徹底反復練習』と『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本 実践演習』の2冊があり、充実したラインナップとなっています。

この3冊を何度も繰り返すと「基礎的な英語」が身に付くと考えるのがよいでしょう。ただ、「黄リー教」そのものは、索引等を除く実質的な部分が450頁ほどあり、なかなかの大部です。『徹底反復練習』、『実践演習』は、それほど大部ではありませんが、2冊合わせると400頁以上になりますから、やはり、大部といえましょうか。

いずれにしても、「黄リー教」3部作をマスターして、英語の構造を把握する力を付けることが肝要です。もちろん、「黄リー教」ですべてをカバーできるわけではありませんから、足りないところは、辞書や総合英語などの文法書を活用しながら、英文を読んでいけばよいわけですね。

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posted by lawful at 23:07| 英語学習

2023年11月09日

12年という単位で物事を考える

物盛んなればすなわち必ず衰え  驍ればまた替あり
速成は堅牢ならず  すみやかに走れば顚躓多し
灼灼たる園中の花  はやく発きてまたまず萎む
遅遅たる澗畔の松  鬱鬱として晩翠を含む
賦命は疾徐あり  青雲は力めて致し難し
語を寄せて諸郎に謝す  躍進は徒為のみと
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 235頁

「速成は堅牢ならず」を強く感じております。人生、何事をするにも時間がかかるものです。

それなりの知識を身に付ける場合でも、資産運用をする場合でも、人との付き合いを充実させる場合でも、とにかく、時間が必要なのですね。じっくりと取り組まないと何事も成就しないわけです。

つい、人は、早く早くといきり立ちますが、結局、何事も身に付かず、漂って迷走しています。私もそのような感じであったと思い返します。

では、どのくらいの時間を考えればよいのか。10年ひと昔と言うぐらいですから、10年でもよいのですが、何か10年ではキリよすぎて、すっきりしないのですね。もうひとつと言いましょうか、何かが必要な感じがするわけです。

あと2年足して、12年というのがよいように思います。ちょうど干支が一回りするのが12年であり、物の個数の単位として1ダースというのがありますが、これも12ですね。1年間は12ヶ月であり、12という数字にはなじみがありますし、収まりがいいように感じます。

また、小学校、中学校、高等学校の年数を合わせると12年間であり、ある一定の知識や経験を積むには、12年かかるのでしょうね。

このように、12年間という期間は、物事を成就させるのにちょうどいい時間と思えます。今までの人生を振り返りますと、12年ぐらいでひとつの形ができたように思います。それなりの時間が必要なのですね。

もちろん、12年以上になると、長くなりダレてしまいますが、ここは、干支が一回りするのと同じように、新たな12年が始まると考えればよいですね。12年間を繰り返すのが人生と言えましょうか。

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posted by lawful at 06:00| 雑感

2023年11月08日

とにかく笑顔でいること

えまれぬことなりとも、えませ給え。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1952頁 (河合殿御返事)

仕事をしている場合、通常は、笑顔でいられない状態であることが多いものです。嫌な人との関わりがあったりしますし、忙しすぎるという場合もあります。余裕がなくなり、顔が険しくなってくるのですね。当然、笑顔など出てきません。

しかし、日蓮によると「えまれぬことなりとも、えませ給え」ですから、笑顔でいられないような状態であっても、笑顔でいなさいというのですね。

そんなことできるか、で終わってしまうならば、その程度の人生となります。やはり、ここは自らの人生を開きたいのですね。日蓮の言うとおり、やってみようと思うわけです。

人生の達人らしき人々を観察しますと、余裕があり、穏やかですね。取って付けた笑顔ではなく、柔らかな笑顔という特徴があります。微笑みと言ってもいいかもしれません。このような境涯を目指したいですね。

常に「えまれぬことなりとも、えませ給え」との言葉を反芻しながら、徐々に自分の中にこの言葉を浸透させ、いつでも笑顔でいられるようしていき、この言葉を身体化、血肉化、骨髄化していきたいですね。

やるかやらないかは、自分次第ですから、やる方に舵を切って、あとは、ただただ実践すればよいでしょう。

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posted by lawful at 23:08| 生き方

2023年11月06日

「食物三徳御書」を読む

人間の幸せに必要な基礎的な事柄は、「睡眠」、「食事」、「運動」です。これらを外して幸せになることは不可能ですね。

この中で「食事」について、御書を拝してみましょう。
 食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろをまし、三には力をそう。人に物をほどこせば、我が身のたすけとなる。
 譬えば、人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし。
『日蓮大聖人御書全集』新版 2156頁 (食物三徳御書)

食事には、命を継ぐ作用があり、「いろをまし」ですから、血行がよくなり肌つやがよくなり健康になる作用があり、活力が漲ってくる作用があります。

人のために食事を施すと、結果的に自分の身の助けとなると示されています。明かりを灯すことで例えていますが、確かに、人の前を明かりで照らそうとすると、どうしても自分の目の前も明るくなります。人のためと思ってしたことが、結局、自分のためにもなるということはよくあることです。

では、どんな人であっても食を施せばいいかとなると、そう簡単ではないようです。やはり、誰でもよいわけではなく、特に悪人に対しては養う必要はないですね。
 悪をつくるものをやしなえば、命をますゆえに気ながし、色をますゆえに眼にひかりあり、力をますゆえにあしはやくてきく。かるがゆえに、食をあたえたる人、かえりていろもなく、気もゆわく、力もなきほうをうるなり。
同書 同頁 (食物三徳御書)

悪人を養うと、その悪人は長生きし、健康になり、力を増し、逃げ足が速くなり、悪いことをあれこれと行います。そのために、その悪人を養った人は、その報いとして、不健康になり、気力がなくなり、生命力そのものをなくしてしまうと指摘しています。

悪人を養ってはならず、遠ざけるに限りますね。

この「食物三徳御書」ですが、真筆が残っています。所蔵しているのは、富士大石寺ですね。『日蓮聖人真蹟集成』第9巻 151頁〜154頁に真蹟があり、昭和定本を参照しながら文字を追って読んでみますと、「は」が「ハ」と表記され、「つ」が「川」と表記され、「の」が「乃」と表記されているなど、違いがあるのですね。その他の文字についても違いがあり、真筆を読むのは、なかなか大変です。

しかし、真筆を読むことができるのですから、非常に恵まれているといえるでしょう。日蓮の思想だけでなく、日蓮の文字を通して、日蓮仏法の真髄に触れることができるのですから、日本語のネイティブでよかったと思えます。

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posted by lawful at 06:00| 御書

2023年11月05日

速成は堅牢ならず

人は、インスタントにすぐに結果を求めがちですが、その結果が大したことがなく、すぐに陳腐になり、使い物にならない場合が多いのではないでしょうか。

やけに急ぎますが、そんなに急いで出来上がったものが長持ちすることはなく、いわば、安物買いの銭失いに似た状態になるだけでしょう。

中国の古典に学びながら、どのように行動すればよいのか、考えてみましょう。
物盛んなればすなわち必ず衰え  驍ればまた替あり
速成は堅牢ならず  すみやかに走れば顚躓多し
灼灼たる園中の花  はやく発きてまたまず萎む
遅遅たる澗畔の松  鬱鬱として晩翠を含む
賦命は疾徐あり  青雲は力めて致し難し
語を寄せて諸郎に謝す  躍進は徒為のみと
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 235頁

現代語訳を見てみましょう。
物が盛んであれば必ず衰える  栄えている者も没落する
速成されたものは堅牢でなく  急いで走ればつまずきが多い
きらびやかに咲く園中の花も  開いたかと思えばすぐにしぼむ
成長のおそい谷間の松は  やがて緑が濃くなってその姿を保つ
運命には早いおそいがあり  立身出世は人力では定めがたい
申しわけはないけれど  焦ってもこればかりはどうにもならない
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 234頁

「速成は堅牢ならず」ですから、急いでも意味がないようです。慌てず、焦らず、ゆっくりと、じっくり物事に取り組むことですね。いろいろな知識にしても、すぐにものにしたい、身に付けたいと思いがちですが、付け焼き刃の知識は、すぐに忘れがちであり、いざというときに役に立ちません。堅牢でないのですね。

やはり、知識を得るならば、堅牢な知識でなければなりません。そのためにも、速成でなく、歩みが遅遅たる状態でありながらも、じっくりと知識を充実させることです。そうすることによって、その知識をいつでも活用できる状態にすることができます。

いつまでも浮き足立つのではなく、どっしりと構えて物事に取り組むべきですね。まさに、「速成は堅牢ならず」との言葉は、ある意味、安心感を与えてくれます。何事もスピードだ、早ければよいという安易な、そして、軽薄な風潮に流されてしまいがちですが、やはり、ここは中国の古典から学び、慌てる必要はないことを確認したいところです。

いままでの人生を振り返りますと、急ぎすぎて、息切れがしておりました。どこかで、早ければよい、何事も早く身に付けるのが有利だ、得策だという感覚に苛まされていたように思います。

別に慌てることはないのですね。息切れがするような人生は、つまらないと感じはじめております。深呼吸して生きていく方が人間的であると思うのですね。

たしかに、仕事の面では、スピードも大切でしょう。しかし、仕事にしても、私生活の面にしても、大事なところは、じっくり、ゆっくり身に付けていくことを意識する必要があります。

堅牢な知識、堅牢な技術、堅牢な対応術等々、堅牢なるものを身に付ける方が、長い目で見れば、実は、得策なのですね。誰かに後れを取るのが嫌だという気持ちは分かりますが、別に、他人が早く進もうが、他人には他人の人生速度があるのであり、自分の人生速度とは関係がないのですね。それが関係あると誤解するから、早く早くという誤作動が起こるわけです。

「速成は堅牢ならず」という言葉を自分のものにする中で、自分自身の人生が開かれていくことでしょう。

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2023年11月04日

「河合殿御返事」を読む

 人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。かまえてかまえて、この御おんかぼらせ給いて、近くは百日、とおくは三ねんつつがなくば、みうちはしずまり候べし。それより内になに事もあるならば、きたらぬ果報なりけりと、人のわらわんはずかしさよ。かしこ。
  卯月十九日    日蓮 花押
 かわいどの御返事
『日蓮大聖人御書全集』新版 1952頁〜1953頁 (河合殿御返事)

仕事をしていますと、嫌な人、困った人との出会いがあるものです。相手にしたくないのですが、一応、仕事に関連する場面においては相手をしなければなりません。ストレスが溜まるのですね。

日蓮の書を読むと、「向かい臭きこと」とあり、これは嫌なことをあらわしていると思いますが、それも「臭きこと」と表現していることから、相当に嫌なことをあらわしていると考えてよいでしょう。

つまり、とんでもない嫌なことがあっても、向かい合いなさいというのですね。いわば、覚悟を決めなさいと言っているようです。安易な気持ちで物事に対処してはならないとの教訓が得られます。

また、笑顔になれないことであっても、笑顔で対処しなさいと言っています。顰めっ面では、うまくいくこともうまくいかないですから、笑顔で穏やかに対処せよということです。

御文にある「この御おん」は、どのような御恩のことを言っているのだろうかと考えますと、仏教的な御恩、つまり、功徳のことなのだろうと推測します。どうにかして、この功徳を得て、百日、三年という間、問題がなければ、身の回りは平穏であるだろうと言っています。

百日、三年の間に何かあったならば、果報、功徳がなかったのだなと、人が笑い恥ずかしいことであるよ、と言っており、どうなるかはあなた次第ですよ、あなたの信仰心次第ですよということが含意されているように感じます。

まずは、自分で対処しなければならないことについては、覚悟を決めて対処し、笑顔で対処できるほどの余裕を持ち、根本的な仏教的な功徳を得て、あとは、天にまかせるという感じでしょうか。くよくよするなということでしょうね。

やるべきことを徹して行い、悩んでも仕方のないことには時間、エネルギーを使わないという姿勢が肝要です。

「河合殿御返事」は、昭和定本では第四巻に収録されており、御書新版で新規で収録されていることから、昭和27年以前には確認されておらず、その後に発見された御書です。新たに発見されるのは、断簡が多く、まとまった内容の御書は少ない中で、短い御書でありながら、中身が濃く、強い教訓が得られる御書ですね。

最後の「かしこ」ですが、昭和定本では「かしく」となっています。『日蓮聖人真蹟集成』第5巻144頁で真筆を確認しても、最後の文字が「こ」なのか「く」なのかが判読できず、この部分はよく分からないですね。「かしこ」は女性が手紙の末尾に書くことばであり、日蓮が「かしこ」と書くとは思えません。

いずれにしても、「河合殿御返事」は、人生においてどのように行動すべきかを示してくれており、「覚悟」を決めなさいということ、つまり、「覚り」、「悟り」を得ていきなさいというメッセージが読み取れます。

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2023年10月09日

自分にないものを数えるのではなく、自分にあるものを数える人生

「少欲知足」という言葉は、御書において、以下の通り、2カ所出てきます。
ただ正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1434頁 (曽谷殿御返事(成仏用心抄))

よき師とは、さしたる世間の失無くして、いささかのへつらうことなく、少欲知足にして慈悲有らん僧の、経文に任せて法華経を読み持って人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中に吉き第一の法師なりと讃められたり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 695頁 (法華初心成仏抄)

「曽谷殿御返事(成仏用心抄)」も「法華初心成仏抄」も真蹟がない御書ですが、内容が信仰に深く関わるものであるため、よく読まれている御書ですね。

「少欲知足」は、僧侶にからめて述べられており、僧侶のあるべき姿をあらわす言葉として使用されています。修行の身である僧侶が欲望まみれでは話になりませんので、欲は少なくとされるのは納得できます。また、今所持しているもので満足せよということ、つまり、足るを知ることが大事とされるのもよく分かります。

では、「少欲知足」は、僧侶だけの指針であるのか。別に僧侶に限る必要はないと思います。我々にとっても意義深い指針と思えるのですね。

人は、自分にないものを数え始めると不幸になります。あれもない、これもないと言い続けると心が塞ぎがちになるものです。いわば、欲が肥大化しているのですね。当然、足るを知るなどという状態ではありません。足りない、足りないですからね。「少欲知足」と反対の生き方をすると不幸になります。

一方、自分にあるものを数え始めると、いろいろなものがあると再認識し、自分が恵まれていることに気付きます。いつの間にか顔がほころんで幸せになります。これもある、あれもあるとなって、欲が肥大化する必要がなくなるのですね。まさに、「少欲知足」な状態となり、幸せな生き方となります。

自分にないものを数える人生ではなく、自分にあるものを数える人生を歩むことが「少欲知足」といえるでしょう。

もちろん、自分に足りない点は、補う必要があります。その際、単に足りない、足りないと嘆くのはよくないですね。自分の持っているものに基づき、その自分の持っているものを最大限活用しながら、自分の足りない点を補うという姿勢が大切です。いたずらに、あれもこれもと強欲になるのではなく、ひとつひとつ着実に自分の至らない点を改善するのがよいですね。

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2023年09月03日

唱法華題目抄を読む

「三類の強敵」とは、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢のことですが、「唱法華題目抄」において、法華経の文と妙楽大師の法華文句記巻八の四の文とを出して、まとめてくれています。御書を読めば、「三類の強敵」が文証付きで理解できるのですね。御書新版では、8頁から9頁にかけて記載されています。

「悪知識」とは、簡単に言うと、人を不幸に陥れる人間のことですが、「唱法華題目抄」では、涅槃経の文、章安大師の言葉を引用しながら説明を加えています。
故に、涅槃経二十二に云わく「悪象等においては心に恐怖なく、悪知識においては怖畏の心を生ず。何をもっての故に。この悪象等はただ能く身を壊るのみにして、心を壊ること能わず。悪知識は二つともに壊るが故に。乃至悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」文。この文の心を章安大師宣べて云わく「諸の悪象等は、ただこれ悪縁なるのみにして、人の悪心を生ずること能わず。悪知識は甘談・詐媚・巧言・令色もて人を牽いて悪を作さしむ。悪を作すをもっての故に人の善心を破る。これを名づけて殺となす。即ち地獄に堕つ」文。文の心は、悪知識と申すは、甘くかたらい、詐り媚び、言を巧みにして、愚癡の人の心を取って善心を破るということなり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 10頁 (唱法華題目抄)

ここで言う「悪象」は、単なる悪人、ただの悪人といった感じですね。確かに注意すべき悪人ではあるのですが、自らの心に悪心を抱かせるほどの悪人ではないため、悪人の程度としては、大したことがないといえます。

しかし、「悪知識」となると、善き心が破られ、悪心とさせられ、結局、地獄に落とされるというのですから、根本的な悪人といえます。注意すべきは、「悪知識」ですが、この「悪知識」は、甘い言葉で近付いてくるというのですね。詐術を使い人を騙しながら、媚びへつらうことさえします。また、口がうまいようで、弁舌爽やかであり、人の心の中にある愚かな側面を見逃さず、そこに集中攻撃をかけながら、人の善き心を破るのですね。

これは、見破るのが困難といえましょう。人は甘い言葉で寄ってこられると、つい気が緩むようで、まんまと騙されるのですね。

「悪知識」を信用してはいけないのですが、信用してしまった場合、どうなるのか。「唱法華題目抄」の記載を確認してみましょう。
日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず、たまたま仏法を知る智者は国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失い利生を止め、この国をすて他方に去り給い、悪鬼は便りを得て国中に入り替わり、大地を動かし、悪風を興し、一天を悩まし、五穀を損ず。故に、飢渇出来し、人の五根には鬼神入って精気を奪う。これを疫病と名づく。一切の諸人、善心無く、多分は悪道に堕つること、ひとえに悪知識の教えを信ずる故なり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 11頁 (唱法華題目抄)

仏法を知る智者が不遇になるようですね。また、守護の善神はどっかに行ってしまうようです。その代わりに悪鬼が国中を暴れ回り、地震、悪天候、不作、飢饉、疫病と数々の災難を起こすのですね。これが「悪知識」の故というのですから、いよいよ「悪知識」には気を付けなければなりません。根本的な悪が「悪知識」というわけです。

また、「唱法華題目抄」では、本尊と行儀についても述べられています。
 問うて云わく、法華経を信ぜん人は、本尊ならびに行儀、ならびに常の所行はいかにてか候べき。
 答えて云わく、第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、あるいは題目を書いて本尊と定むべしと法師品ならびに神力品に見えたり。また、たえたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造っても法華経の左右にこれを立て奉るべし。また、たえたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。
 行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。たえたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸の菩薩・二乗・天人・竜神八部等、心に随うべし。愚者多き世となれば、一念三千の観を先とせず。その志あらん人は、必ず習学してこれを観ずべし。
『日蓮大聖人御書全集』新版 17頁〜18頁 (唱法華題目抄)

文応元年の段階で、曼荼羅本尊の相貌の主要な部分があらわれています。法華経八巻が本尊と言っていますね。また、一巻、一品という言い方もしています。その後、あるいは題目と言っています。法華経八巻が本尊であり、その一部である一巻、一品だけでなく、題目も本尊ということであり、これを書いて本尊と定めるとしています。

題目だけでは物足りない向きには、釈迦如来、多宝仏を書くとあり、また、十方の諸仏、普賢菩薩等をも書いてよしとしています。まさに、曼荼羅本尊の中心部分の相貌があらわれています。

その本尊の前での行儀はどうすべきか。「必ず坐立行なるべし」ですから、座ったり(坐)、立ったり(立)、歩いたり(行)ということであり、座るだけではないのですね。立ったままでもよく、歩いてもよいわけで、動きがある行儀となっています。座るにしても、正座してもよいし、椅子に座ってもいいですね。そもそも立ったままでもよく、歩いてもいいわけで、正座にこだわる必要もなければ、座ることにこだわる必要もないでしょう。信仰は動きの中にあるといえるでしょう。

「道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず」ですから、歩いたり(行)、立ったり(住)、座ったり(坐)、横に寝たり(臥)してよいとあります。横になる以外は、「坐立行」と変わりがありません。横になっていても題目をあげることができますから、信仰の形としては、柔軟性がありますね。ある意味、信仰心がしっかりしていれば、なんでもありということでしょう。ただ、その信仰心がぐらぐらなのが凡夫なのでしょうね。

最後に「唱法華題目抄」では、よく引用される最後の文を見てみましょう。
ただ法門をもって邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず。
『日蓮大聖人御書全集』新版 23頁 (唱法華題目抄)

つい、宗教というと「利根と通力」が重要と感じてしまいますが、日蓮仏法にとっては、「利根」という、いわば才能のようなもの、勝れた資質のようなものは、確かに重要ではあるけれども、根本とすべきほどのものではないのですね。また、「通力」という、いわば超能力のようなもの、絶大な力といったもの、魔力といったものは、日蓮仏法においては、どうでもよいようです。日蓮仏法は、あくまで「法門」によるべしということなのですね。

世の宗教を概観しますと、「通力」を売り物にしている宗派がありますが、日蓮からすると偽物ということですね。宗教は、やはり、「法門」で判断すべきですし、「法門」に基づいて信仰したいと考えています。「通力」で信仰するのは困難ですね。あやふやなものというよりは、単なるインチキなのですから、そもそも、信仰に値しません。

信仰する場合は、「法華経」、「御書」を中心として信仰していくべきでしょう。

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2023年08月07日

初心の功徳

妙楽大師、「五十展転」の人を釈して云わく「恐らくは、人謬って解せる者、初心の功徳の大なることを測らずして、功を上位に推り、この初心を蔑る。故に、今、彼の行浅く功深きことを示して、もって経力を顕す」文。文の心は、謬って法華経を説かん人の、この経は利智精進・上根上智の人のためといわんことを、仏おそれて、下根下智・末代の無智の者のわずかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人・上聖の功徳に勝れたることを顕さんとして、「五十展転」の随喜は説かれたり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 6頁〜7頁 (唱法華題目抄)

「初心の功徳」という言葉が出てきます。『法華文句記』巻10の中にある妙楽大師の言葉ですね。信仰を始めたばかりの人にあらわれる功徳のことをいいます。

信仰において、重要なのは信仰を始めたその時なのでしょうね。しかし、親が法華経信仰をしている場合、生まれたときから信仰の世界にいるわけで、その場合、「初心の功徳」と言われてもピンとこないところもあります。

しかし、改めて、信仰とは、法華経とは、御書とは、本尊とは、との問いを発し始めると、まさにその時が、事実上、信仰を始めたときといえるかもしれません。その時に信仰をしていく中であわられる功徳が「初心の功徳」といえるでしょう。

また、長年、信仰を続けてきた場合であっても、常に心新たに信仰をするならば、その時が初心ともいえるわけで、常に「初心の功徳」を得ることができると考えられます。

この「初心の功徳」は、初心の時の功徳ですから、浅い、深いでいうと浅い信仰になります。浅い信仰であるから、功徳も浅いのかというと、そうではないのですね。

「彼の行浅く功深きことを示して、もって経力を顕す」ということですから、修行が浅くとも、功徳は深いのですね。これが法華経の力であるというわけです。浅い修行では浅い功徳、深い修行で深い功徳というのではなく、浅い修行でも深い功徳を得ることができるのが法華経であり、そうであるからこそ、法華経が素晴らしいといえるのですね。

「初心の功徳」という考え方は、信仰する上で有り難い考え方ですね。仏道修行が段階的であり、徐々に功徳を得ていくものだとするならば、いつまでたっても大した功徳が得られず、途中で嫌になってしまうでしょう。

また、「利智精進・上根上智の人」には、深い功徳があるが、「下根下智・末代の無智の者」には、浅い功徳しかないとなれば、これまた、信仰を続けるのがばかばかしくなるというものです。

しかし、法華経信仰は、「初心の功徳」を強調しますから、「行浅く功深き」であり、はじめから法華経の真髄の功徳を得ることができるのですね。信仰を続けることが容易といえるでしょう。

もちろん、「利智精進・上根上智の人」になるよう努力はすべきですが、そこが根本ではないのですね。「初心の功徳」を大切にする信仰、これが根本ということです。
posted by lawful at 06:00| 御書

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