今、日蓮等の類いは、題目の法音を信受する故に、疑網さらに無し。「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」とて、釈尊と同等の仏にやすやすとならんこと疑いなきなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1135頁(御講聞書)
日蓮仏法の信仰をすると釈尊と同等の仏にやすやすとなれるという御文です。簡単に仏になれると言っています。
本来、仏になることは、自らの中にある仏性を顕現化させることですから、難しいことではないのかもしれませんね。しかし、我々には、疑う気持ちがあります。この御文では、「疑網」と表現していますが、このような自分は仏になれないのではという疑いがあると仏になれなくなります。「疑網」がなければ簡単に仏になれるが、「疑網」があると仏になれないということですね。
簡単に仏になれますよと言われ、「そんなわけはない」と反応することは、まさに「疑網」の状態であり、その「疑網」に基づき、仏になれないという結果になります。
いかに「疑網」を取り除くか。ここに我々の信仰があるように思えてなりません。