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2022年07月02日

『論語』における人間の6条件(志学・而立・不惑・知命・耳順・従心)

子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
『論語』金谷治訳注 岩波文庫 35頁〜36頁

孔子が各年代に応じて到達した境地を述べている部分です。十五歳で志学、三十歳で而立、四十歳で不惑、五十歳で知命、六十歳で耳順、七十歳で従心というふうに順序よく、ひとつひとつ得ていくという形になっています。

ただ、七十歳になるまで従心が得られないという意味ではないと思います。五十歳で従心を得てもいいわけです。

この『論語』の一節には、「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つがありますが、これは、人間の6条件といってよいものでしょう。『論語』においては、各年代に配当されていますが、別々にせずとも、常にこの6条件を得るよう精進することが肝要と思えるのです。

人は、何歳であっても、常に学ぶ必要があり、独立自尊の精神が必要であり、惑わされることなく、人智を超えた天の計らいをも把握し、他者の意見を受け入れる度量が必要であり、物事を為すにあたって道を踏み外さないという振る舞いができるようになる必要があります。

「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つの順序は、難易度の順序と考えた方がよいでしょうね。確かに、「従心」はなかなか得られる境地ではありませんが、別に七十歳になるまで待つ必要はなく、得られるならば何歳であってもよいですね。

この6つの条件を満たしてこそ、人間になれるということをあらわしたのが『論語』といえましょう。

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2022年05月31日

ニーバーの言葉

ニーバー〖Reinhold Niebuhr〗
[1892〜1971]米国の神学者・倫理学者・牧師。「文明は宗教を必要とするか」「道徳的人間と非道徳的社会」など、近代社会とキリスト教倫理に関する著書を多数著した。
『デジタル大辞泉』 小学館

アメリカの神学者であるニーバーの言葉は、非常に示唆に富みます。
O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

簡単に訳してみましょう。

神よ、
変えることができないことを受け入れる平静さを、
変えるべきことを変える勇気を、
そして、変えることができないことと変えるべきこととを識別する叡智を、
我々にお与えください。

変えることができないことは、他人や、自分ではどうすることもできない社会の制度、風習などですね。このようなことについては、そういうものなのかと受け入れる平静さが重要のようです。

しかし、愚人は、つい、このような変えることができないことに悩み、憤り、くよくよする傾向があるようです。一方、賢人は、まさに、ニーバーに言葉の通りの振る舞いになっていますね。見事なほどです。

変えるべきこととは、自分のことであり、勇気を持って変えていくことが肝要のようです。

愚人は、自分自身が行わなければならない改善行動をなかなか行いません。ああでもない、こうでもないと言い訳ばかりで、何もしないのですね。一方、賢人は、自分で行える改善行動をすぐにしています。

ニーバーの言葉を実践している人は誰なのかと思い返してみますと、田中角栄がその実践者であったことを思い出しました。
くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。やらなければならないことは、万難を排してもやる。これが田中のオヤジです。
早坂茂三『田中角栄 頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』

我々もニーバーの言葉の実践者となるべきですね。
posted by lawful at 06:00| 生き方

2022年05月30日

時間を迹門、本門で考える

妙法蓮華経28品の内、前半14品を迹門、後半14品を本門といいます。勝劣派からすると迹門よりも本門の方が重要と考えますが、この迹門、本門を時間に当てはめて考えると面白いのではないかと思います。

過ぎ去った時間は迹門、これからくる時間は本門、つまり、人生はこれからだという感覚を常に持ち続けることができるのではないでしょうか。

もちろん、勝劣派の立場をとっても迹門は重要であるのと同様、過去も重要です。しかし、もっと重要なのは、これからの時間です。過去よりも未来が良くあるべきという感覚が大切です。

常にこれからが本門であるという姿勢が好ましいですね。

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posted by lawful at 06:00| 雑感

2022年05月29日

まずは、本尊に大書されている文字を読むこと

南無妙法蓮華経とは、文字通り、妙法蓮華経に南無すること、帰命することです。妙法蓮華経の通り生きていくことといえるでしょう。

では、その妙法蓮華経とは何なのか。鳩摩羅什が翻訳した経典である妙法蓮華経ですね。妙法蓮華経には、どのようなことが説かれているのか。端的に言うと成仏できますよということ言っているのですね。舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王如来というふうに仏から記別を受けています。

妙法蓮華経に南無するとは、自らが仏に成ることなのですね。南無妙法蓮華経とは、衆生が仏になれることをあわらした名号であり、日蓮の文字曼荼羅本尊には、真ん中に大書されています。この本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱えることは、自らが仏の境涯に至りますと言っていることと同義ですね。

よって、南無妙法蓮華経と唱えながら地獄界、餓鬼界、畜生界の三悪道の境涯に留まることは、あり得ないことです。万一、三悪道に留まっているとするならば、その人の唱えているのは、南無妙法蓮華経ではなく、何か得体の知れない名号といえるでしょう。

実際、そのような人は、南無妙法蓮華経とは言っていないですね。よく聞き取れませんし、文字にもできないような変なことを言っています。本尊には、南無妙法蓮華経と書いているのですから、それをそのまま読んで発音すればよいものを、全く違うことを言うのですから意味不明といったところです。

結局、目の前にある本尊の文字を見ていないということなのですね。このようなことでは、信仰になりませんので、我々としては、本尊に書いている通り、南無妙法蓮華経と唱え、自らを仏の境涯にすべく精進することですね。

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2022年05月04日

悪口に対処する方法

たとい敵人等悪口を吐くといえども、各々当身のこと、一・二度までは聞かざるがごとくすべし。三度に及ぶの時、顔貌を変ぜず、麤言を出ださず、軟語をもって申すべし。「各々は一処の同輩なり。私においては全く遺恨無し」の由これを申さるべきか。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1271頁(問注得意抄)

悪口を言う人に絡まれることがありますが、その際、こちらも同じく悪口で対処しますと袋小路に入り、収拾がつかなくなり、結局、こちらも悪いという評価になりやすくなります。いいことがひとつもないのですね。

日蓮の書を見ますと、悪口に対処する方法が書かれていました。

まず、悪口を言われても、一度、二度は、聞かないようにしておくべきであるといいます。

そして、悪口が三度に及んではじめて、対処すべきとするのですが、この際、顔色を変えてはいけないと指摘します。また、粗暴な言葉を使うべきではないといいます。穏やかな優しい言葉遣いでもって、「私は、あなた方に対し、恨みは一切ありません」という旨を述べておけばよいといいます。

要は、悪口に対し、まともに相手をするなということですね。相手のペースに合わせるのではなく、こちらのペースで物事を進めていけばいいということです。そして、相手を恨むことなく堂々としておけばよいのですね。

そもそも悪口を言っている方が悪いわけで、こちらも一緒に悪くなる必要性は全くありません。ほっておけばよいのですね。

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2022年04月03日

「観心本尊抄」の音読(約1時間)

『日蓮大聖人御書全集 新版』が届いた後、まず、読んだのが「観心本尊抄」でありました。その後、通し読みを行いますと「観心本尊抄」が出てきますので、そこで読み、通し読み終了後の今回、「観心本尊抄」音読して読んでみました。「送状」を含め、1時間かかりましたね。
三遍読むに功徳まさる。
『日蓮大聖人御書全集 新版』358頁(一念三千法門)

このような感覚がありますね。「観心本尊抄」の力でありましょう。

今度は、じっくりと「観心本尊抄」を研鑽してきたいと考えています。

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2022年03月24日

仏法の力とは何か

当に知るべし、日月天の四天下をめぐり給うは、仏法の力なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1557頁(四条金吾釈迦仏供養事)

太陽、月の動きは、仏法の力によると言っています。そうしますと、仏法とは宇宙そのものを動かすエネルギーといえましょう。まさに根本的な動力の源ですね。

日蓮は、この仏法の力の根本の法を「南無妙法蓮華経」の題目に集約させています。唱題行によって、宇宙全体のエネルギーを我が身に充満させるという観点から信仰を行うことがよいでしょうね。壮大な信仰となります。おすがり信仰、御利益信仰という小さい枠を超えています。そもそも仏法とはこのようなスケールの大きい宗教なのでしょうね。

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2022年03月23日

『日蓮大聖人御書全集 新版』読了

『日蓮大聖人御書全集 新版』を読了しました。昨年の11月18日から読み始めましたので、約4ヶ月かかったことになります。総頁数が2232頁ですから、非常に分厚い本です。この御書を読了しても、1冊の本を読んだことにしかならないのは辛いところですね。

最初に「編年体」の御書で通し読みをし、2回目に通し読みしたときは「全集」の御書でありました。今回、「新版」の御書で3度目の通し読みとなります。
三遍読むに功徳まさる。
『日蓮大聖人御書全集 新版』358頁(一念三千法門)

となりましょうか。

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2022年02月28日

厄の払い方

厄の年、災難を払わん秘法には、法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1375頁(太田左衛門尉御返事)

大田乗明が、自らの大厄の年について嘆いていることに対しての日蓮の返事の一節ですね。

厄を払うにはどうすればよいのか。いろいろな秘法があるようですが、日蓮は、法華経に及ぶものはないと言っています。

結局、自らの法華経信仰に基づき、自分自身の厄を払っていくことが肝要ですね。

ただ、日蓮は、
当年の大厄をば、日蓮に任せ給え。
同書 同頁

とも言っており、厄を払っておこうというのですね。それこそ、頼もしい限りです。大田乗明と日蓮との信頼関係がいかに深かったかが分かる御文ですね。

我々としては、法華経信仰に基づき、また、日蓮の書である御書を拝しながら、自らの厄を払っていくことですね。

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2022年02月15日

呪っているのか、呪っていないのか

大衆も、日蓮を心えずにおもわれん人々は、天にすてられたてまつらざるべしや。こう申せば、愚癡の者は、「我をのろう」と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1208頁(清澄寺大衆中)

清澄寺の大衆に対して与えられた書の一節です。清澄寺の大衆の中には、日蓮を理解し得ないと思っている人々がいたようです。日蓮は、そのような人々に対して、天に捨てられないようなことがあろうか、いや、捨てられるに決まっていると言うのですね。このように言うと、愚か者は、「我を呪っている」と言うだろうとしています。

日蓮がこのようなことを書いているところからすると、実際に、「日蓮は、我を呪っている」と人々に言われていたことが窺われます。日蓮からすると、死んだ後に無間地獄に堕ちてしまうのが可哀想なので言っているのであり、ある意味、慈悲の言論ということなのですね。

やはり、日蓮ほどの人であっても、「日蓮は我を呪っている」と言われることを気にしているようですね。呪っているのではなく、慈悲の気持ちで言っているのですよと弁明しているところが興味深いですね。

日蓮は、厳しく他宗排撃を行っていますから、「日蓮は、呪いをかけている」と言われていたでしょうね。日蓮としては不本意でしょうが、他者はそのように思っていたようです。考えてみますと、手厳しく批判されると「呪っているのか」と言いたくもなるでしょう。

ただ、日蓮は、呪う気持ちなど全くなく、正しい法門を追求する過程での厳密な言論をなしていただけなのですね。

正しい仏法を追究し、法華経こそ最第一との確信を得てからの言論には、他宗への配慮はなくなり、容赦ない言論をしていましたから、誤解されることも多かったでしょう。公場での法論を求めても応じる僧はおらず、日蓮としては、心苦しかったでしょうね。

日蓮の本意は、清澄寺の大衆にも、なかなか伝わらなかったことが、この御文からも窺われます。ましてや、他宗の人々には伝わらなかったでしょうね。

我々としては、日蓮の言論は、無間地獄への道を塞ぐ言論であることをしっかりと認識し、信仰に励むことですね。

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