南無妙法蓮華経とは、文字通り、妙法蓮華経に南無すること、帰命することです。妙法蓮華経の通り生きていくことといえるでしょう。
では、その妙法蓮華経とは何なのか。鳩摩羅什が翻訳した経典である妙法蓮華経ですね。妙法蓮華経には、どのようなことが説かれているのか。端的に言うと成仏できますよということ言っているのですね。舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王如来というふうに仏から記別を受けています。
妙法蓮華経に南無するとは、自らが仏に成ることなのですね。南無妙法蓮華経とは、衆生が仏になれることをあわらした名号であり、日蓮の文字曼荼羅本尊には、真ん中に大書されています。この本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱えることは、自らが仏の境涯に至りますと言っていることと同義ですね。
よって、南無妙法蓮華経と唱えながら地獄界、餓鬼界、畜生界の三悪道の境涯に留まることは、あり得ないことです。万一、三悪道に留まっているとするならば、その人の唱えているのは、南無妙法蓮華経ではなく、何か得体の知れない名号といえるでしょう。
実際、そのような人は、南無妙法蓮華経とは言っていないですね。よく聞き取れませんし、文字にもできないような変なことを言っています。本尊には、南無妙法蓮華経と書いているのですから、それをそのまま読んで発音すればよいものを、全く違うことを言うのですから意味不明といったところです。
結局、目の前にある本尊の文字を見ていないということなのですね。このようなことでは、信仰になりませんので、我々としては、本尊に書いている通り、南無妙法蓮華経と唱え、自らを仏の境涯にすべく精進することですね。