子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
『論語』金谷治訳注 岩波文庫 35頁〜36頁
孔子が各年代に応じて到達した境地を述べている部分です。十五歳で志学、三十歳で而立、四十歳で不惑、五十歳で知命、六十歳で耳順、七十歳で従心というふうに順序よく、ひとつひとつ得ていくという形になっています。
ただ、七十歳になるまで従心が得られないという意味ではないと思います。五十歳で従心を得てもいいわけです。
この『論語』の一節には、「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つがありますが、これは、人間の6条件といってよいものでしょう。『論語』においては、各年代に配当されていますが、別々にせずとも、常にこの6条件を得るよう精進することが肝要と思えるのです。
人は、何歳であっても、常に学ぶ必要があり、独立自尊の精神が必要であり、惑わされることなく、人智を超えた天の計らいをも把握し、他者の意見を受け入れる度量が必要であり、物事を為すにあたって道を踏み外さないという振る舞いができるようになる必要があります。
「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つの順序は、難易度の順序と考えた方がよいでしょうね。確かに、「従心」はなかなか得られる境地ではありませんが、別に七十歳になるまで待つ必要はなく、得られるならば何歳であってもよいですね。
この6つの条件を満たしてこそ、人間になれるということをあらわしたのが『論語』といえましょう。