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2023年12月30日

「法華取要抄」に学ぶ

夫れ、諸宗の人師等、あるいは旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗に執著し、曲げて己義に随い、愚見を注し止めて後代にこれを加添す。
『日蓮大聖人御書全集』新版 149頁 (法華取要抄)

法華経信仰、御書信仰、本尊信仰をする中で、重要なのは成仏であり、仏の境涯を得ることにあります。また、その成仏、仏の境涯を自分の周りの人々に広げていくことが肝要なことです。それ以外のことは枝葉末節といってよいでしょう。

しかし、宗門なり、教団なりの、所謂、既得権益を得ている人々にとっては、自宗、自分の教団の利益が一番重要になるようであり、「執着」が生じるようです。そのため、既得権益を守るために、正しいものの考え方を曲げて「己義」を構えはじめるのですね。自分に都合のいいようなことを言い始めるわけです。

それだけでなく、愚かな見解、くだらない意見、すっとんきょうな話をし始め、ご丁寧に文書にして後世に残そうとするのですね。

「自宗に執著し、曲げて己義に随い、愚見を注し止めて後代にこれを加添す」との言葉は、短いながら端的にカルト的教団の特色を言い得ており、日蓮の筆の見事さを感じます。

このような教団とは距離を取り、活用できるところだけ活用するのが賢明な態度でしょう。すべてが悪いという教団は、ほとんどなく、それなりにいいところがあるものです。そのいいところだけいただければよいわけで、悪いところを直すために教団改革が必要であるならば、その教団で生活している人が改革すればよいことであって、一信徒や一会員が苦心する必要はありません。

この「法華取要抄」の指摘のとおり、「執着」、「己義」、「愚見」が感じられる場合、適切な距離を保ち、よく観察して、危害を加えられないように十分注意することですね。

ある意味、宗教、教団という枠だけでなく、世の中を見回しますと、「執着」、「己義」、「愚見」が垣間見られることがあります。おかしいなと感じたら注意する。このような態度が求められます。

現代語訳法華取要抄

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2023年12月29日

教科書は遅く読む

英語をある程度の速度で読みたいと思いますが、なかなか速度が上がりません。途中で嫌になり、読まなくなるのですね。どうすればよいのかと思っていたところ、以下の文章に出会いました。
教科書をおそく読めば読むほど、そのほかの本をますます早く読むことができ、教科書を早く読めば読むほど、別の本の読み方がおそくなる。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 64頁〜65頁

教科書を丹念にゆっくり読み込むことで、英語を速く読むことができるということです。確かに、教科書の内容を把握していれば、同内容の英語の場合、スラスラ読めるでしょうね。私の場合、「黄リー教」を教科書として選択していますが、3周したとはいえ、まだまだ、マスターしたといえる段階に至っておりません。4周目も止まったままですので、英語が速く読めるわけはないですね。

思い返しますと、今までいろいろな英語教材に手を出してきましたが、速く身に付けようとしすぎており、教科書を速く読んでいたように思います。効率よく素早く英語をマスターしたいとの気持ちが強すぎて教科書をゆっくり、遅く読むことがなかったのですね。それ故、「教科書を早く読めば読むほど、別の本の読み方がおそくなる」状態となり、結局、英語をそれなりの速度で読めないまま、英語学習が挫折するという繰り返しであったわけです。

今までの英語教材と違い「黄リー教」は、英語の知識というよりは、英語を読む技術を教えてくれる教科書であり、英語の構造を把握した上で英語を読むという、いわば、当たり前のことを当たり前に教えてくれる教科書です。英語を読むために必要なことを示している教科書ですから、この教科書を遅く読む、つまり、じっくり、時間をかけて、それこそ、効率など無視し、とことんまで丹念に読み込むのがよいですね。「黄リー教」という教科書で勉強するときは、速さを度外視して、ゆっくりゆっくり進むことですね。そして、何周もすることです。そうすると、実際に英語を読むときに速く読める可能性が出てきます。

英語の教科書は遅く読み、英語の本や英語の記事を読むときはそれなりの速さで読んでいくというのが正しいあり方ですね。今までは、教科書を速く読んでいたのですから、逆のことをしていたのですね。教科書を遅く読み、何度も読み返すことによって、自分の血肉にして、その上で、英語を読むという順序を守れば、ストレスなく英語を読むことが、それも速く読むことができるでしょう。

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2023年12月28日

小林秀雄の講演

小林秀雄さんが私たちの高等学校へ講演にきたことがあります。
(中略)
小林さんは、外国語の本を読むのにも、一日一冊を片づけられる程度のはやさがなければ、そもそも外国語の知識というものは使い道にならない、という演説をしました。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 97頁

加藤周一が通っていた高等学校は、旧制一高であり、現在の東京大学教養学部ですが、小林秀雄が講演に来るとは相当なことですね。そして、講演の内容も外国語の本を一日一冊読めるほどの力がなければならないというのですから、強烈です。レベルが高すぎますね。目眩がしそうです。

我々からすると浮き世離れした話に聞こえます。もちろん優秀な人は一定数いますから、小林秀雄、加藤周一のような人がいるのは確かですが、我々庶民からしますと、知性の超人の話にしか受け取れません。

小林秀雄が講演に来てくれるというのもすごいのですが、その聴衆の一人が加藤周一というのもすごいことですね。加藤周一は、さらりと書いていますが、なかなかディープな話です。

レベルが高いところには、レベルが高い人々が集まるということでしょう。我々も少しでもレベルが高いところに至れるように日々精進しなければなりませんね。外国語の本を一日一冊読むのは無理にしても、それなりの速度で読めるようにはなりたいものです。ある程度の速度で読めませんと読む気にならないですからね。

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2023年12月27日

御書を読むということは、日蓮を読むこと

一流の作家なら誰でもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。
小林秀雄『読書について』中央公論新社 12頁

小林秀雄は、読書について、一人の作家を隅から隅まで読むことを推奨しています。確かに多作の人では、全部読むのに時間がかかりすぎる懸念があります。手頃な分量というものがあるでしょうね。存命中の人を選んでしまうと次々と作品が生まれてしまうので、常に読み続けなければならず、それは大変ですね。あえて選ぶとすれば、古典の中から選ぶのが賢明でしょう。古典になったという段階で評価が定まったといえ、一流といえます。

この点、私の場合、日蓮をその一人として選んでいます。鎌倉時代の僧侶であり、評価は二分されているともいえますが、一流であることに異議をはさむ人はいないでしょう。残された書は、他の仏教者に比べ多いのですが、それでも、近代、現代の作家のように何十巻もの分量ではなく、それこそ手頃な分量です。古文、漢文で書かれているところが大変といえば大変ですが、我々は日本人であるので、全く分からないということはありません。

一人の著者を選ぶということに関し、加藤周一も同じようなことを言っています。
文学をわかるために、あるいはもしかすると、書物を通して理解できるかぎりで、人間が生きてゆくということを理解するためにも、一人の作家と長く付きあうのは、よい方法だろうと思われます。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 107頁

一人の著者をじっくり読むということは、人間を理解することに繋がり、人生とはどういうものかを理解することに繋がります。一人の著者と一時だけ付き合うというのではなく、長く付き合うことによって、人間、人生を深く理解することができます。

日蓮は、1253年(建長5年)4月28日に立教開宗し、1282年(弘安5年)10月13日に亡くなっていますので、今の暦で勘定すると29年5ヶ月16日の宗教活動です。後年の絶大な影響力から考えますと、それほど長く活動していないのですね。30年足らずの活動でありながら、現代の我々にも大きな影響を与え続けており、偉大な人物といえます。

この約30年にわたって執筆された日蓮の著作を読みながら、自らの人生、信仰を磨こうというわけです。日蓮の宗教実践は、激動であり、波瀾万丈でありました。伊豆、佐渡への流罪、所謂追放刑もあり、松葉ヶ谷の法難という、所謂放火にも遭い、小松原の法難では、刀で切りつけられ殺されそうになりました。竜の口の法難では、死刑になりかけています。

散々な目に遭いながらも、文筆活動は活発なのですね。五大部、十大部といった教理書も執筆しながら、各門下に対する手紙である消息文も多く書いています。もちろん、日蓮の多くの書は紛失してしまったと思われますが、それでも現在伝わっている日蓮の書は多く、日蓮を知るに十分な分量の著作が残っています。

日蓮を知りながら、自らをも知っていくという方向性が正しい読書のあり方でしょう。日蓮という鏡で常に自分を確認しながら、自分を認識し、自己を磨くことが本当の読書であり、研鑽であり、信仰といえましょう。

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2023年12月26日

読書の技術(書物から人間を見ること)

今の法華経の文字は皆、生身の仏なり。我らは肉眼なれば文字と見るなり。たとえば、餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども、果報にしたがって見るところ各別なり。この法華経の文字は、盲目の者はこれを見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。されば、経文に云わく「もし能く持つことあらば、則ち仏身を持つ」等云々。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1426頁 (法蓮抄)

法華経を読んで何を見るかはその人の境涯によります。仏界の人間は、法華経の文字を仏と見ます。法華経を説いた仏そのものを法華経に見出すのですね。

小林秀雄も同じようなことを言っています。
書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えて来るのには、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事、読書の技術というものも、其処以外にはない。
小林秀雄『読書について』中央公論新社 13頁

読書するときは、単に本を読むという段階に留まらず、その本を書いた著者を見る段階にまで至らないといけないということですね。

単に文字を追っているだけでは、読書の技術として未熟というわけです。時間もかかり、努力も要しますが、文字から、文章から人間を引き出すことが読書の技術ということです。

読書というと、つい文字、文章だけを読んでいるという感覚になりますが、本来、読書とは、日蓮、小林秀雄が言うように、人間を見ることなのですね。人間を見出さない読書は、実は、読書たり得ないといえましょう。

では、人間を見出してどうなるのかということですが、これについて小林秀雄が答えてくれています。
他人を直かに知る事こそ、実は、ほんとうに自分を知る事に他ならぬからである。人間は自分を知るのに、他人という鏡を持っているだけだ。
同書 15頁

読書をして、その著者を見出し、その著者と対決することにより、自分を認識するのですね。著者が鏡であり、その鏡を通して自らを省みることが読書の醍醐味ということでしょう。

法華経を読む場合、仏を鏡として、自らを見ることになり、御書を読む場合、日蓮を鏡として、自分を見つめることになります。偉大なるものと触れ合う中で自己を磨くという感覚ですね。

ある意味、仏、日蓮という存在は、鏡としては途轍もない明鏡です。毎日、このような明鏡と対峙するならば、愚かな自己も仏界に近付くことになるでしょう。単に文字、文章を追うというのではなく、人間、著者を見るという姿勢で読書していく中で自らの存在をも的確に認識し、誤りのない人生行路を進むことが肝要です。

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2023年12月25日

外国語学習、英語学習について

日本のような高い文明国には、むかしもいまも、数かぎりないよい本が日本語であります。しかし、それでも外国語の本を必要とする人は、一番必要なものからはじめるのがよろしい。外国語を習うのに一番こうつごうな教科書は、私たちが一番必要としている本以外にないと思います。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 144頁

どうしても外国語で書かれた本の内容を知りたいという状況にない限り、外国語を習得することは困難であるようです。

通常、主要な外国語の本には、日本語訳がありますので、外国語を習得する必要はありません。

それ以外の外国語で書かれたものを読む必要がある場合、外国語を読む力が必要になります。ただ、本当にその外国語で書かれたものを知る必要があるのかと問われると、そのような必要性はない、という回答になる人がほとんどでしょう。

実のところ、日本に住んでいる場合、外国語は必要ないのですね。外国語を使う状況に出会うことが、まずないのです。

例外として、ネットの世界では、少し込み入って検索すると外国語のサイトに行き着くことがありますが、その際、早々に読むのを諦めて退出していまうことが多々あります。ある意味、その外国語のサイトに入った段階で、その外国語、それもほとんど英語ですが、その英語サイトにある内容を知らなければならない状況にあるといえますので、まさに、このときこそ、その英語を読めばいいものを、英語を読むのが面倒になり、退出するのですね。全く英語が読めないわけではないにしても、英語を読むのに時間がかかるため、嫌になってしまうのですね。

やはり、ある程度の速度で英語が読める実力を付けませんと英語を読もうとは思わないものです。

そこで、ある程度の速度で英語が読める実力を付けようと思うのですが、これもなかなか大変なのですね。時間、労力がかかるのですね。英語学習そのものを楽しむという側面がないと続かないですね。昨日よりも今日の自分が成長しているというところに喜びを感じる感性がないと勉強は続きません。

英語学習が趣味にならないと英語学習を続けるのは困難です。功利的な観点からのみで英語学習を考えますと、費用対効果が悪すぎるのですね。所謂、コスパが悪いのです。外国語の本であっても、日本語訳が充実していますので、外国語で読む必要がなく、日本語で読めばいいわけですから、外国語学習のモチベーションはあがりません。

外国語学習、主に英語学習ですが、その英語学習そのものに価値を見出しませんと、学習を続けることはできません。
外国語を外国語そのもののために勉強することにも、言葉の構造がものの考え方を制約し、ものの考え方が言葉の構造を制約する以上、大きな意味があるといわなければなりますまい。
同書 154頁

このように英語学習そのものに価値があるという側面があります。基礎的な英語力、それなりの速度で英語が読める力を付けることは、費用対効果は悪いにしても、功利的な面だけでない価値があります。

地道に英語を学習しますと、少しずつではあっても、英語力が付きます。1年2年という単位で考えるのではなく、10年20年という単位で考えますと、なかなかの英語力が身に付くでしょうから、とにかく、英語の構造が分かった上で英語が読めるようになるために、黄リー教を軸に英語を学ぶほかないようです。

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2023年12月24日

自我偈の威力

田村芳朗氏は、戦争中の思い出として、
新しい中隊長が赴任してまもなく、中隊は一〇人を残してフィリッピンに転出し、上陸寸前で全滅した。私は一〇人の残り組のほうであったが、中隊長は出発にさいし、戦死者をとむらうための適当な経文を教えてくれと私に頼み、そこで、私は、『法華経』如来寿量品第十六の有名な詩句である自我偈を紙きれに書いて手渡した。それを受けとった中隊長の喜びと安心した顔が、いまでも浮かんでくる。しかし、その中隊長は、それを兵士たちにたむけるいとまもなく、ともどもに死んでいったと思われる。私が書き写した自我偈の紙片も、中隊長の胸ポケットにしまいこまれたまま、散華をともにしたことであろう。
『日蓮に出会う』旺文社 196〜197頁

と書かれています。

悲しげな物語ですね。中隊長は、自我偈を受け取って、喜びと安心した顔をしたということであり、中隊長が仏教における自我偈の位置付けを知っていたとは思えませんが、それでもなお、喜びが溢れ出たというのは、自我偈の威力といえましょうか。また、自我偈は安心をももたらしたのですね。

中隊長に限らず、我々も、自我偈を読誦するなかで喜びを得ていく必要があるように思います。毎日、自我偈を読誦していますと、単なる習慣となり、本来、得ていくべき喜びがなくなっていく懸念があります。なんとなく経文を読誦しているということがあり得るのですね。

やはり、常に、新たに、瑞々しく自我偈を読誦しながら喜びを歓喜を得ていくべきでしょう。また、安心をも得ていくべきでしょうね。現今、不安な世の中になっていますが、こういうときにこそ、信仰が求められますし、その信仰も自我偈を軸にした信仰であるべきです。そして、安心を得ていくことが肝要です。

田村芳朗氏が法華経の中で自我偈を選んだということにあらわれているように、自我偈は、法華経の精髄といえましょう。510字の中に、仏教の根本が詰まっているといえます。分量としては、極めて少ないのですが、内容が濃いのですね。

自我偈は、衆生が仏になれることを示した経文であり、仏教そのものを体現している経文です。仏教を信仰し、仏になれないならば、何の意味もなく、やはり、仏の境涯を自らに得ることが仏教の根本です。

八万法蔵ともいわれる膨大な教典がありますが、我々は、そのすべてを読むことはできません。また、仮に読んだところで仏の境涯を得られるかというと、それも怪しいですね。分量は少なくとも仏教の勘所を押さえた経文を軸にすることが大切です。ぶれないものを持った上で、幅広く学ぶことが重要ですね。

日蓮も、
夫れ、法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましいなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1425頁 (法蓮抄)

と述べているように、自我偈は、たましいであり、命であり、眼目であるのですね。根本中の根本といえます。

また、日蓮は、
されば、十方世界の諸仏は、自我偈を師として仏にならせ給う。世界の人の父母のごとし。今、法華経寿量品を持つ人は、諸仏の命を続ぐ人なり。我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや。もしこれを捨て給わば、仏還って我が身を捨て給うなるべし。これをもって思うに、田村・利仁なんどのようなる兵を三千人生みたらん女人あるべし。この女人を敵とせん人は、この三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや。法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは、三世の諸仏を敵とするになるべし。
同書 1426頁 (法蓮抄)

とも述べているように、自我偈によって仏になれるのですね。

このように自我偈は、あまりにも功徳満載の経文ですが、身近にあるだけに、その有り難さを感じることが困難です。しかし、我々としては、その自我偈の威力を常に意識しながらの信仰でありたいと思います。

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2023年11月28日

カルヴァンの予定説

キリスト教には、予定説というものがあると世界史で勉強しました。救われる人と救われない人とは、はじめから決まっているという説です。思い切った説であるなと感じていましたが、なんとなく、そうだろうなとも感じていました。

仏教徒としては、キリスト教のひとつの説という認識であり、気になる説ではありながら、深く考えることはありませんでした。

しかし、仏教信仰、法華経信仰、日蓮信仰をしていく中で、また、一時、新宗教団体での活動をしていく中で、救われる人と救われない人がいるという現実を見続けてきました。どうしようもない業を感じるのですね。実は、予定説のとおりなのではないかと感じることが多くなりました。

もちろん、仏教、法華経、日蓮の思想からは、予定説をいう必要はなく、修行すれば、すべての人々は仏の境涯を得ることができるという信仰になるのですが、やはり、予定説が引っかかるのですね。なぜか気になるのですね。

そこで、カルヴァンは予定説について、実際どう言っているかが気になりました。予定説と言われているけれども、カルヴァン自身は、はっきりと救われる人間と救われない人間がはじめから決まっているとは言っていないのではないかと想像していました。ああでもないこうでもないとカルヴァンがいろいろ論じている中で、予定説といえるような言説がそれらしくあるという感じかと思っていました。

しかし、カルヴァンの著作である「キリスト教綱要」を確認すると、
わたくしたちは、予定を、神の永遠の定め(aeternum Dei decretum)と呼びます。この定めに従って、神は、何が、各自に起きるべきかを決定します。なぜなら、すべての人は、同じ状態に創造されていないからです。ある人には、永遠の生命が予定され、ある人には、永遠の滅亡が予定されているからです。
カルヴァン 「キリスト教綱要」3.21.5 小平尚道訳 『世界大思想全集(社会・宗教・科学思想篇29)』 河出書房新社 153頁

とあります。

予定説そのまんまですね。モロ予定説です。はじめから決まっているという穏やかな言い方ではなく、神が決定しているのですね。神の決定、それも神の永遠の定めですから、人間がどうのこうのできる問題ではありません。ここまではっきりと予定説を言っているとは思いませんでした。

よく現代の哲学者、思想家にあるように、うだうだ言いながら、結局、何が言いたいのかはっきりしない言説が多い中、カルヴァンは、明確に、明瞭に、一切の誤解を許さない書きっぷりで永遠の生命が予定されている人間と永遠の滅亡が予定されている人間が神によって決定されていると言います。

すべての人は同じ状態で創造されていないということですから、平等ではないのですね。法華経薬草喩品では、「三草二木の喩え」があり、圧倒的な平等観に貫かれていますが、予定説では、あっさりと救われる人間と救われない人間が分断されています。

法華経信仰をしながらも、カルヴァンの予定説は気になってしまい、なぜか、魅力的に感じるのですね。実際は予定説ですよと何かがささやいているように思えるのですね。

では、私は、と考えますと、やはり、そこは仏教的な感覚が出てきて、信仰する人間であるから、救われる人間だろうと簡単に判断してしまいます。ここが仏教信仰、法華経信仰、日蓮信仰している人間に特徴的なところなのでしょうね。予定説を採用しても、私は救われる側の人間ですと自分で決定してしまうのですね。キリスト教を信仰しているわけではないので、神が決定するという感覚が今ひとつ分からないのですね。

自分については、予定説であっても救われる側であることは確実としながら、他者を見るときには、この人は救われない側の人ではないかと、予定説が出てきます。当然、世の中は、ある意味、不条理ですから、不幸になる人々も多く、その姿を見続けますと、法華経信仰に基づき、すべての人々が成仏できると安易に夢想できないのですね。やはり、予定説でしょう、となるのです。予定説は、気になる説であることは確かです。

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2023年11月25日

「雨ニモマケズ」から物事の認識方法を学ぶ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ
夏ノ暑サニモ
マケヌ
丈夫ナカラダヲ
モチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニ
ワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト
少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲ
カンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシ
ワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ
小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ
看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ
ソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテ
コワガラナクテモ
イイトイイ
北ニケンカヤ
ソショウガアレバ
ツマラナイカラ
ヤメロトイイ
ヒデリノトキハ
ナミダヲナガシ
サムサノナツハ
オロオロアルキ
ミンナニ
デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
宮沢賢治『雨ニモマケズ』三起商行株式会社

「アラユルコトヲ ジブンヲ カンジョウニ入レズニ ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」の部分は、物事をどのように観察すべきか、どのように学ぶべきかの指針といえましょう。

自分を勘定に入れて、いろいろ考えますと、邪念、雑念が入り、正しく物事を見ることができません。自分に都合のいいように考えるだけであり、間違った認識を得ることになります。当然、間違った認識から正しい行動が生じるはずはなく、不幸へ一直線となります。

まずは、自分を勘定に入れずに、よく見て、よく聞くことですね。まあ、これがなかなかできないことですが、宮沢賢治はさりげなく、そうすべきであると書いています。

よく見て、よく聞いた後は、分かる必要があります。ただ見て、ただ聞いてという場合も少なくありません。分からなければなりません。理解しなければなりません。自分の中で消化する必要があるのですね。

そして、それだけでなく、理解したことを忘れないようにしなければなりません。忘れてしまうならば、いざというとき役に立ちません。いつでも理解したことを活用できるよう、忘れず、覚えておくことです。

「雨ニモマケズ」のこの部分は、あまり注目されないかもしれませんが、よくよく読むと重要なことが書いています。人間のあるべき姿の1つ形があらわれています。理性的人間、智慧ある人間の特徴ともいえましょうか。

このミキハウスの宮沢賢治の絵本には、宮沢賢治が手帳に書き付けている「雨ニモマケズ」の全文が写真で掲載されています。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を、所謂、真筆にて読めるのですね。当然、歴史的仮名遣いとなっていますが、日本語ネイティブである我々からすると、さほど難しくはありません。

また、絵本ですから、絵があるのですが、この絵を描いているのが柚木沙弥郎さんです。明るい色を使い、味わい深い絵を描かれております。「雨ニモマケズ」を読みながら、柚木沙弥郎さんの絵を見ると、心穏やかになりますね。不思議な絵本です。

雨ニモマケズ (宮沢賢治の絵本シリーズ)

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2023年11月22日

死から生を考える

かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習いなり。されば、まず臨終のことを習って後に他事を習うべし
『日蓮大聖人御書全集』新版 2101頁(妙法尼御前御返事(臨終一大事の事))

賢明な人間も、思慮分別がない人間も、老人も、若人も、どうなるか、いつ死ぬかは分かりません。それ故に、まずは、臨終のこと、つまり、死の時のことを念頭に置いて、その後に、その他のことを考えるべきと日蓮は言います。

人間にとって、一大事といえることは死ぬ時のことでしょう。死は、人生の総決算であるわけで、その時にその人間の真価があらわれるといってよいでしょう。どのような人生であったのか、それは、死の状態を見れば明瞭であると、日蓮は、この御書で述べていますが、ある意味、厳しい現実ですね。ごまかしがきかないのですね。

元気なときは、取り繕うこともできますが、死の間際では、取り繕うことは、まあ、できないでしょうね。その人間そのものがあらわれてしまいます。いままでどのような生き方をしていたのか、それが死の時に出てくるのですから、安易な生き方はできないですね。

死から生を考えると身が引き締まります。ダラダラと生を続けるのではなく、死というものを念頭に置き、その上で、生を考え、日々を過ごすことです。まさに、宗教的な生き方といえましょう。

法華経、御書を研鑽しながら、死を見つめ、そして、生を見つめる。生だけでなく、死を直視することによって、人間は人間たり得るといえるでしょう。極めて仏教的な、極めて宗教的な生き方が求められます。

この「妙法尼御前御返事(臨終一大事の事)」は、真筆があるのですが、一部分が欠けているのですね。引用している部分があるのは、真筆でいうと第2紙の部分です。この第2紙も一行だけは真筆があるのですが、残念なことに引用している部分ではないのですね。引用している部分は、真筆がない部分です。

この御書の重要なところですから、この第2紙だけでもといって持っていた人がいたのでしょう。そして、その第2紙も分割され、バラバラになり、その一部である一行の部分だけ残ったのでしょうね。そして、引用している部分は欠けています。重ねて残念なことです。

また、この御書の最後の部分である第8紙、第9紙も欠けているということで、この部分も分割されてしまい、そして、紛失したのでしょう。

ただ、写しがあったので、真筆の一部が欠損しているとはいえ、全文が確認できる状態ですから、この点は、ありがたいですね。

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