人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。かまえてかまえて、この御おんかぼらせ給いて、近くは百日、とおくは三ねんつつがなくば、みうちはしずまり候べし。それより内になに事もあるならば、きたらぬ果報なりけりと、人のわらわんはずかしさよ。かしこ。
卯月十九日 日蓮 花押
かわいどの御返事
『日蓮大聖人御書全集』新版 1952頁〜1953頁 (河合殿御返事)
仕事をしていますと、嫌な人、困った人との出会いがあるものです。相手にしたくないのですが、一応、仕事に関連する場面においては相手をしなければなりません。ストレスが溜まるのですね。
日蓮の書を読むと、「向かい臭きこと」とあり、これは嫌なことをあらわしていると思いますが、それも「臭きこと」と表現していることから、相当に嫌なことをあらわしていると考えてよいでしょう。
つまり、とんでもない嫌なことがあっても、向かい合いなさいというのですね。いわば、覚悟を決めなさいと言っているようです。安易な気持ちで物事に対処してはならないとの教訓が得られます。
また、笑顔になれないことであっても、笑顔で対処しなさいと言っています。顰めっ面では、うまくいくこともうまくいかないですから、笑顔で穏やかに対処せよということです。
御文にある「この御おん」は、どのような御恩のことを言っているのだろうかと考えますと、仏教的な御恩、つまり、功徳のことなのだろうと推測します。どうにかして、この功徳を得て、百日、三年という間、問題がなければ、身の回りは平穏であるだろうと言っています。
百日、三年の間に何かあったならば、果報、功徳がなかったのだなと、人が笑い恥ずかしいことであるよ、と言っており、どうなるかはあなた次第ですよ、あなたの信仰心次第ですよということが含意されているように感じます。
まずは、自分で対処しなければならないことについては、覚悟を決めて対処し、笑顔で対処できるほどの余裕を持ち、根本的な仏教的な功徳を得て、あとは、天にまかせるという感じでしょうか。くよくよするなということでしょうね。
やるべきことを徹して行い、悩んでも仕方のないことには時間、エネルギーを使わないという姿勢が肝要です。
「河合殿御返事」は、昭和定本では第四巻に収録されており、御書新版で新規で収録されていることから、昭和27年以前には確認されておらず、その後に発見された御書です。新たに発見されるのは、断簡が多く、まとまった内容の御書は少ない中で、短い御書でありながら、中身が濃く、強い教訓が得られる御書ですね。
最後の「かしこ」ですが、昭和定本では「かしく」となっています。『日蓮聖人真蹟集成』第5巻144頁で真筆を確認しても、最後の文字が「こ」なのか「く」なのかが判読できず、この部分はよく分からないですね。「かしこ」は女性が手紙の末尾に書くことばであり、日蓮が「かしこ」と書くとは思えません。
いずれにしても、「河合殿御返事」は、人生においてどのように行動すべきかを示してくれており、「覚悟」を決めなさいということ、つまり、「覚り」、「悟り」を得ていきなさいというメッセージが読み取れます。