やけに急ぎますが、そんなに急いで出来上がったものが長持ちすることはなく、いわば、安物買いの銭失いに似た状態になるだけでしょう。
中国の古典に学びながら、どのように行動すればよいのか、考えてみましょう。
物盛んなればすなわち必ず衰え 驍ればまた替あり
速成は堅牢ならず すみやかに走れば顚躓多し
灼灼たる園中の花 はやく発きてまたまず萎む
遅遅たる澗畔の松 鬱鬱として晩翠を含む
賦命は疾徐あり 青雲は力めて致し難し
語を寄せて諸郎に謝す 躍進は徒為のみと
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 235頁
現代語訳を見てみましょう。
物が盛んであれば必ず衰える 栄えている者も没落する
速成されたものは堅牢でなく 急いで走ればつまずきが多い
きらびやかに咲く園中の花も 開いたかと思えばすぐにしぼむ
成長のおそい谷間の松は やがて緑が濃くなってその姿を保つ
運命には早いおそいがあり 立身出世は人力では定めがたい
申しわけはないけれど 焦ってもこればかりはどうにもならない
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 234頁
「速成は堅牢ならず」ですから、急いでも意味がないようです。慌てず、焦らず、ゆっくりと、じっくり物事に取り組むことですね。いろいろな知識にしても、すぐにものにしたい、身に付けたいと思いがちですが、付け焼き刃の知識は、すぐに忘れがちであり、いざというときに役に立ちません。堅牢でないのですね。
やはり、知識を得るならば、堅牢な知識でなければなりません。そのためにも、速成でなく、歩みが遅遅たる状態でありながらも、じっくりと知識を充実させることです。そうすることによって、その知識をいつでも活用できる状態にすることができます。
いつまでも浮き足立つのではなく、どっしりと構えて物事に取り組むべきですね。まさに、「速成は堅牢ならず」との言葉は、ある意味、安心感を与えてくれます。何事もスピードだ、早ければよいという安易な、そして、軽薄な風潮に流されてしまいがちですが、やはり、ここは中国の古典から学び、慌てる必要はないことを確認したいところです。
いままでの人生を振り返りますと、急ぎすぎて、息切れがしておりました。どこかで、早ければよい、何事も早く身に付けるのが有利だ、得策だという感覚に苛まされていたように思います。
別に慌てることはないのですね。息切れがするような人生は、つまらないと感じはじめております。深呼吸して生きていく方が人間的であると思うのですね。
たしかに、仕事の面では、スピードも大切でしょう。しかし、仕事にしても、私生活の面にしても、大事なところは、じっくり、ゆっくり身に付けていくことを意識する必要があります。
堅牢な知識、堅牢な技術、堅牢な対応術等々、堅牢なるものを身に付ける方が、長い目で見れば、実は、得策なのですね。誰かに後れを取るのが嫌だという気持ちは分かりますが、別に、他人が早く進もうが、他人には他人の人生速度があるのであり、自分の人生速度とは関係がないのですね。それが関係あると誤解するから、早く早くという誤作動が起こるわけです。
「速成は堅牢ならず」という言葉を自分のものにする中で、自分自身の人生が開かれていくことでしょう。