孟子曰く、大人は言必ずしも信ならず。行い必ずしも果ならず。惟だ義の在る所のままなり。
孟子がこう言った。
「萬人に勝れた人(大人)は、必ずしも言行一致するとは限らない。
どうかすると、人との約束も実行しない場合がある。
事情が変って、先約を実行しない方が、却って人に対して親切になることもあり得るからだ。
又、一たん始めた事は飽くまでやり通す。無論、これは悪いことではない。しかし始めて見て、これは間違っていたと氣のつくような場合は、さっさと中止した方がよい。どこまでも無理押しして、自分ばかりでなく、世間にも迷惑のかかるような結果になることは、当然避けなければならない。
この見極めをつける心掛けは、義として大切なことだ。」
杉村顕道 『孟子講義』 1985.12
大人(たいじん)とは、一体いかなる人物か、それについて孟子が述べた言葉ですが、なかなか味わい深い言葉です。
確かに、言ったことを守ること、約束を守ることは重要であり、人間としての基準といえましょう。ただし、その基準は絶対的な基準ではないようです。ひとつの基準ではあるけれども、程度とすれば、あまり高くない程度の基準なのでしょう。ある意味、小人の基準ともいえるかもしれません。
大人(たいじん)は、約束を守るという基準に縛られることなく、本当に人のためになる行動を行うという基準があり、その場合、約束を破ることもあり得るということです。単に、約束を守るという基準を遵守すればよいという安易な姿勢ではなく、高度な判断を踏まえて適切な行動をするのが大人(だいじん)なのですね。
決められた基準を守るだけの人間は、小人であり、それはそれで重要ですが、それだけでこと足れりとならないのがこの世の中です。その時、その時に応じた価値のある行動が必要とされることがあり、そのような行動を創造しうる人物が大人(たいじん)というわけです。
また、何事も始めたことは最後までやり通すのがよいという基準もありますが、これも大切ではあるけれども、さほど重要ではないと思いますね。世の中は変化し、また、自分自身も変化する中で、最初の方針がそのまま通用するわけもなく、常に、変化していく必要があります。やり始めたことも、常に、修正を加えながらブラッシュアップしていくのが適切ですね。
大人(たいじん)としての練り上げられた判断に基づき、行動に修正を加え、より価値的な行動をしていくことが肝要です。あるひとつの基準を絶対視して、身動きができないような人物は小人であり、大したことは為せません。やはり、大人(たいじん)でなければならないといえるでしょう。
孟子の言葉は、現代においても力を持ち得ていますね。さりげない言葉でありながら、我々に深い思索を要求し、安逸な基準で満足するなと言っているようであり、常に、自分の頭で考え、その上で行動せよと迫ってくるようであります。