Aセンセイに言った。先週の鍼で左足裏の内側が地面に付くようになったこと。歩くときに左脚に力が入るようになったこと。それが鍼を打つだけでそうなることがどうしても信じられないこと。
いささか失礼なことだろう。そうなるよう狙って鍼を打っていただいているのだ。ただ、Aセンセイとはそんなことまで話せる間柄ではある。
狙ったとおりの効果を及ぼしたことでセンセイも喜んでくれている。ただ、本音も聞ける。狙ってもうまくいくかどうかは解らない。それはそうだろう。ただ、そう思って打つ。まあ、そんな事は鍼灸学校では教えないですけどね・と。
そう、センセイはただ経絡のツボに打っているだけの鍼ではない。“皮膚の表面を見ていて打って欲しいところが解る”センセイがいつも言っているコトバ。実際に自分が打って欲しいところと一致するから不思議だ。
何度も鍼信者じゃないと否定しているが、鍼信者というよりAセンセイへの信頼なのだろう。
先週はK整形へも薬をもらいに行った。
いつもの「どうですか」。「変わりはないですが、力を意識しないと右足先も左足先も地面に擦れる時がありますね。さっきはこれまでなかった右足が擦れました」。
整形で話すことはないのだ。ただ薬を処方してもらうだけ。たまたま、K整形に向かうときに急いだので右足先が地面に引っかかった。左足はたまにあるが、右足はない。たまたまだ。
Kセンセイには“歩くときに常に意識しないといけない状態は変わらないですよ”と伝えたくて言ったのだが、「これまでになかったことですか?」と聞いてくる。「いや、たまに」と答えると。「あぁ、それじゃあ問題ないです」と返ってきた。
Kセンセイの中では、いや、西洋医学の中では症状固定なのだ。永遠に治らない病気。
何か変わるとすれば、それは悪化。
良くなる・症状が改善されるといった見方をしてはくれないし、そのアドバイスもない。それは仕方ないのだ。
人に依存してリハビリをする人。自分で何とかしたいと考えてリハビリする人。
これは大きな差だろう。ただ仕方ないのが、ほとんどの人が医学的知識を持たない。僕もそうだ。お医者様の言うことが全てになる。医者が仕方ないといったら仕方ないと納得する。
それを信じず何か行動する人はあまりいないだろう。生活ができればそこで満足してしまう。
でも治るか治らないか・良くなるか良くならないかの人無責任に希望を持たせられないのも事実なのだろう。
鍼の帰り際、Aセンセイに言った。
「生まれ変わったら、脳神経外科になってなお且つ鍼灸の資格を取りたいな」
Aセンセイが言う。医者は鍼灸の資格いらないんですよ。打てるんですよ。
えー、そうなんだ。知らなかった。
金曜日は息子の高校入試だった。別に連絡はないが、いつ入試でいつ発表かはネットで調べている。
どこを受けたのだろう。自分が卒業した高校だろうか。それだったら彼の家から近い。実力は出せただろうか。来週発表だ。高校生は大人だ。もう大人になったのだ。
金曜日・土曜日と居酒屋Qで過ごした。悲しいことが土曜日に起こった。それについてはまた次回。
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