サラリーマンは同じ会社や同級生とつるみがちがちだ。呑み屋で知り合った人や仕事で知り合った人と同等の立場で・人として一緒に時間を過ごすことの楽しさをどれだけの人が経験できているのだろう。
まあ、僕は会社は生業として給料を貰っているからそれ以上の効果を出し、プライベートでは関わらないようにしている。これも寂しい人かも。
昨日のクスリ忘れ。昼前からチクチクと疼痛がある気がする。午後、外出先で仕事をしている時はなんともない。その後、会社には戻らずに飲む場所である新橋に1時間半前に着いてコーヒーを飲んで時間を潰した。
その間も、なんかここ最近よりも疼痛が気になる気がする。やはり昼に家にクスリを取りに戻ったら良かったかとウジウジ考えていた。
これが脳のネガティブ判断なのだろう。飲んでいたら安心がある。飲んでいないから痛さへの恐怖を思う。いや、実際にクスリの効能はある。リリカは世界を代表する神経性疼痛のクスリだ。
そんな事を思いながら時間を潰している時に鉄ジイを思い出した。鉄ジイは前にも書いたか?
居酒屋Sで知り合った「鉄ジイ」。僕より20位年上。その時から風貌は爺さんっぽかった。
リリカのメーカー「ファイザー」に勤めていた。薬剤師の資格を持っている。ちょうど退職して、どこかの病院で薬剤師として勤め始めた頃だったか。
よく隣合わせに座って飲んで話した。頑固なジジイだ。自分の将来もこのクソジジイになるのだと思った。似たところがある人は魅かれあう。物怖じせず年上に毒のある話をする僕と気が合った。
居酒屋Sが閉店して、その後は毎週スナックLで会うことが多かった。そうだ、週末はスナックLによく行っていたんだ、思い出した。Sが閉店した後は亡くなったAさんとか、居酒屋Sの飲み仲間はスナックLで会っていたのだ。
鉄ジイも毎週行っていたようだ。そこでも仲良く話した。一緒にゴルフも行った。
あるゴルフ運営会社の株を鉄ジイに薦めた。優待券が年に2回貰える。その時が底値でその後大きく値上がりした。その会社の株主総会に一緒に行ったのを覚えている。それは受傷前だったろうか。
受傷後、鉄ジイと会ったかどうか。ただ電話がかかってきたのを覚えている。
リリカをK整形外科で処方してもらったのは病院の退院後だ。確か出張中の新幹線の中で電話を受けた。
リリカを処方されたことを話した。鉄ジイは「それがオレの年金になっているんだよ」と言った。
ファイザーでも大きな売り上げで利益もあるのだろう。確かに後発薬はない。
それを聞いてリリカを止めようと思ったことを思い出した。
鉄ジイは元気なのだろうか。もう80前だろう。縁があった人とそのままになるのは寂しいことだ。
電話をしてみようか。生きているかの確認だ。
「生きてるの?」と言ってみようか。クソジジイ節で「ウルサイっ」と返されるだろう。
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