2012年07月09日
親権が欲しい二人
離婚協議自体、ほとんどできてないということは話した。
しかし、電話で一度話しただけで、争点はどうやら子供の親権だけであるということがわかった。
今となっては、俺から相手方へ対し慰謝料の請求もしようかと考えるようになったのだが、その時点では、考えていない。
離婚自体にも両者積極的、お互い財産分与も慰謝料請求も争わない前提での会話だった。基本的にはこの状況は今も変わっていない。
相手には、甥っ子姪っ子含めて4人いる。いずれも小学生1年以下だ。
だから、妻の実家に行くと、この国は本当に少子化なのか?と思うほど、託児所状態だった。何せ、我が子も入れれば5人の幼児がいる。
相手は自分の家庭環境の優位性を主張する。
「うちは、子の祖父母も同居してるし、隣に弟夫婦だっている」
「俺だって、頼ろうと思えば両親を頼ることはできるんだ。それをしないだけで」
「でも、離れて暮らしてるし、どうするの?」
「例えば、俺の受験勉強の期間中は両親の住む実家にいるということもできる。もちろん、基本的に面倒は俺がみる。開業したら、保育園に預けるってこともできる。」
「働きながら育てるなんてできるはずないでしょ」
「何言ってるんだ。そういう父親はたくさんいる。それに、これは独立開業のメリットだが、基本的に時間の融通がきく。サラリーマンとは違う」
「絶対できない」
「できる」
この時、よっぽど、嫌味を言ってやろうかと思ったが、こらえた。
「わたしにはできない」と初めから何もチャレンジしようとしない妻とは、俺は根本的に違うんだ。
今までやりたくないことだって、何でもやってきた。公務員としての研修の一環として、ゴミ収集や、ベルトコンベアで流れてくるゴミの分別だってやったことがある。仕事上、不得意なことだって努力しながらやってきた。
まして、可愛い可愛い我が子の養育だ。まったく嫌ではないし、今までだって、おむつを替えたり、風呂に入れたり、寝かしつけたりちゃんとやってきた。
第一、「りゅうき、保育士にも向いてるかもしれないね」と言っていたのは、まだ仲が悪くなる前の君自身じゃないか。寝かしつけるのが俺の方がウマイってショックを受けていたのは君自身じゃないか。子供が最近『パパ』『パパ』としか言わないのにショックを受けていたのも君自身じゃないか。
我が子は、別居前、親の事を『パパ』としか呼ばなくなっていた。妻にも『パパ』って言っていた。我が子にとって、親はすべて『パパ』みたいだった。
夜なかなか寝付かない時に、俺が2階に上がって行くと、我が子は満面の笑みで迎えてくれる。しょうがなく、「もうちょっとパパと遊ぶ?」と言って、妻は眠り、あと1時間ぐらい俺が1階で遊んでやる。そういうことがよくあった。
いろんな遊びを開発した。我が子が一番気に入っていたのは、俺の顔を横に向けるようスライドさせる遊びだった。ちょうどスマートフォンの手つきで。子供は、親の行動をほんとうによく見ている。いつの間にそんな手つきを覚えたのか。
あと、我が子が好きだったのはデジタルいないいないバア。パソコンのデスクトップには、もっと幼い頃の我が子が笑っている。その子の顔をウィンドウで隠してから、「いないいないバア」と言いながらウィンドウをはずす。大喜びだ。我が子は、パソコンの中にいる子をお友達だと思っている。俺がパソコンを開いていると、よくその子に向かって手を振る。
そういえば、俺が勉強をしていると、よく俺の机の下に潜り込むのが好きだった。机の下は、パソコンの配線等があって危ないので、ダンボールで専用の秘密基地を作ってあげた。でも、そっちはあまりお気に召さない様子だった。その秘密基地も、今はもうない。
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とにかく、親権についてはお互い一歩も譲らない
お互い、可愛くて可愛くてしょうがない気持ちは確かだ。
俺は、子供と別居して1か月以上経っても、頻繁に思い出し続ける。
テレビをつけると、剛力彩芽は1時間に数回は見る。親ばかだが、この子に顔が似ている。この件に関しては複数人から指摘されたことがあるから、あながち似てないこともないのだろう。
話してても埒があかないので、電話を切ることにした。
「とにかく、子供には会わせろ。今度連れてこい」
正直、もう妻の顔も見たくないが、子供にだけは会いたい。
しかし、この後たったこれだけのことすら非常に苦労することになる。
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