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ポンカン収穫!

冬の寒さも本番にさしかかりつつある昨今、みなさんいかがおすごしでしょうか?冬、こたつに入って食べるものといえば、もちろんみかんですよね?たびたび紹介していますが、うちの両親は、現在ポンカン農家をやっております。ちょうど時期は収穫期ということで、俺も作業に駆り出されておりました。



朝早くから、シルバー人材センターで雇った作業員の方々と一緒に、ポンカンをちぎるわけなんですが、シルバーの方々はまだまだ元気です!脚立の上に登ったり、木に登ったりして、まるで猿のように収穫していきます。

俺の中心的な作業はどのようなものかというと、みなさんが収穫したコンテナを小屋やビニールハウスの中に運び込むという役目なのでありました。一つのコンテナは10キロほどとはいえ、こればっかりやってると中々骨が折れる作業なわけでありまして……。

元気なシルバーさんをよそに、俺は筋肉痛でグロッキーです。

今ごろ収穫したポンカン、すぐに食べるよりは2週間から1か月ぐらい寝かしてから食べた方が食べごろということで、今は熟成するのを待っているところです。

今年の糖度はどうかな〜? おいしくできてるかな〜?





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みかん農家の看板犬

今日は朝一番から事件が起こりました。
それは、母の「リックが死んだ」という泣きじゃくる声とともに始まった。

リックとは、この家で飼っていたオス犬のことで、実は先月外科手術を終えて養生しているところだった。
病気というのは、脇の下に腫瘍ができたというものであり、その辺をごっそり切除するという大掛かりなものだった。術後、その腫瘍を病理検査に出して見ると、実に悪性のものだということがわかり、手術をしたものの、その運命はもう覚悟していた。

家族みんな覚悟をしていたものの、エサをやりに小屋に行った母はなきじゃくりながら、その遺体を抱え込んで部屋に入ってきた。
いざその時を迎えてみると、その現実があまりにも悲しく、母は何度も「リックが死んだ」と言うばかり……。
その様子に、父と俺もそばに駆け寄った。
「まだ、温かいのよ。たぶん、朝方死んだんだろうね……」とようやく母が違う言葉を発した。
「リック…。リック! おい!」父親が呼びかける。
しかし、返事はなくぐったりとしている。その身体は力なく母親にだっこされている。
俺はついに来る時が来たかとがっくりソファに横たわった。

リックとの出逢いは、ほんの4年半前のことだった。
4年半前、かねてより寝たきりだった祖母が亡くなった。父にとっては、戦争で父をなくしてから女手一つで育ててくれた母だった。
気丈に葬儀を仕切るものの、いつも元気な親父らしくなく力がないのが側にいてわかった。まるで、魂が抜け出ているかのようにエネルギーが感じられなかった。
その様子を見ていて、心配になった俺は、葬儀が終わった後「犬でも飼ったら?」と勧め、その日のうちにペットショップに犬を見にいった。母は、「見て来るだけよ」と言っていた。
俺と親父も、半分見るだけのつもりで行ったのだが、そこで目が合ったのがリックだった。まだ生後2週間ぐらいの子犬だったが、元気ですぐに俺や親父の手をぺろぺろと舐めた。
すぐに二人とも気に入って買って帰った俺達に、母は「やっぱり……」と呆れていた。

家に連れ帰った後も、とにかく元気でぴょんぴょんリビングを駆け回っていた。犬種はジャックラッセルテリア。飼い始めた後に知ったのだが、中型犬の身体に大型犬が入っていると言われるほどのやんちゃな犬なのだった。(映画マスク2を見たことのある人ならご存知のあの行動力のある犬種である)
このリック、とにかく人懐っこく、人が来るたびによろこんで飛び跳ねる犬で、あっと言う間にこの狭い集落の中で、ポンカン農家の看板犬として人気者になった。よく言われていたのは「あんたのとこの犬は、番犬にはならんな〜」というほど、人に対して吠えなかった。
そしてやんちゃで食いしん坊でみかん好きなこの次男坊は、散歩が日課の両親の愛犬として4年半暮らしてきたのである。

その遺体の側で、まだ「リック。リック……。元気出さんかい」と呼びかけ続ける父親。祖母の葬式でも泣くのをこらえていた親父の涙を、生まれて初めて見た。
「目が動いたぞ。まだ生きとっとじゃなかか?」と何度か言っているのに、何も返す言葉がなかった。

やや落ち着いて、午後天候も回復したので、リックを埋葬することにした。場所は我が家のお墓のある場所の横。海の見晴らせる場所で、看板犬らしく墓地の入り口で、お墓に参る人々を迎える場所だ。近所の石屋からちゃんと墓石ももらってきた。

リックの死を聞いた近所の人が言った言葉。
「犬は家につくと言われていて、家の禍ごとを背負っていってくれる」
その言葉を聞いた母は、早速最近傷んでいた肩の痛みが引いてきたと言っていた。
今年は俺にとってもいろいろあった年だったので、それも背負って行ってくれたんだと思う。

あ〜、悲しい話ですいませんでした。m(_ _)m


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天草キリシタン館

天草と言う地に住むようになった以上、せっかくならこの地の名所を巡ろうということで、今日は天草キリシタン館に行ってまいりました。車
この施設、数年前一度行ったことがあるものの、なんでも改修されたばかりということでどんなもんかなと思い入ってみたのであった。



入ると、まずは天草島原の乱に至った経緯などを紹介するビデオが流されていて、改めて島原の乱について詳しく知ることになったわけですが……。

要約すると
島原の乱とは、キリスト教の禁教や過酷な年貢の取り立てにブチ切れた農民が蜂起した日本史上最大の一揆であるということである。

島原の乱って、誰でも知ってるほど有名なのは何でかって思ったら、日本史上最大だったからなんだな〜と妙に感心しつつ話を聞く。

もともとはこの熊本天草の地はキリシタン大名が統治していたものの、改易によって悪徳大名が統治することになったことから、だんだんと不満が高まり、当時弱冠16歳だった天草四郎を総大将として、天草で決起、その後船で長崎島原に渡って原城で籠城戦になったというものである。

原城の一揆軍は3万7千人。対する幕府軍は12万5千人の大軍でもって取り囲んで海上からの砲撃等を行ったものの、容易には落とせず、ついには兵糧攻めに切り替えて、弱ったところをやっと総攻撃により落城させたという。
城中の3万7千の一揆軍は全滅というからすさまじい……。

この施設では今、『陣中旗』というのをメインに扱っている。まあ読んで字のごとく陣に掲げた旗なのであるが、これらの展示物は全部撮影禁止だったので、天草キリシタン館のリンクからちょろっとしかご覧に入れることができない。しかし、これ直に見ると乱の激しさを物語るように血しぶきやら刀傷があって、なかなか迫力がある。

展示品は、他にも一見するとただの仏像にしか見えないが、裏返してさらに逆さまにするとしっかりクルスが描かれているといった有様で、いかに禁教時代に弾圧を逃れて信仰をしていたかというのを物語っている。

唯一写真撮影がOKだったのが天草五島の教会の写真展。その写真展を写真撮影してきましたのでご覧にいれましょう。






写真を見ると、なんとなく日本の風景や文化とキリスト教が融合してるって感じがしますね。
現在、天草で特にキリスト教信者が多いということはないんですが、かつてはその厚い信仰心を誇った天草という地を改めて思い返し考えたこと。

やっぱり、人を救うべき宗教のために人が争うってのはバカげてる!


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