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2021年10月30日

父のお見舞い

父が癌と分かり、入院は長期になるだろうと思いました。

私は車で毎日お見舞いへ行きました。
ただ一度だけ、1週間ほど行かなかった時期がありました。

息子が風邪をひいたのです。
父にうつしてはいけないと思い、私も行くのを控えました。

するとある日、病院から電話がかかってきたのです。
「お父様が、お見舞いに最近来ないので心配している」とのこと。
私から病院へ、早めに電話しておくべきだった。
と思ったのと、何気に私たちを待っていてくれたのだとも思ったのです。

父は辛い手術も乗り越えました。
ずっと付いていていられれば良かったなと、いまも考えることがあります。
父が一人で癌と戦い頑張っていた時のことを、忘れないようにしようと思っています。






タグ:
posted by たまこ at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気

2021年10月28日

父の病気

なんとなく、私の中の父母の記憶がなくならないうちに、父の病気が分かってからのことも書きたいお思いました。

母は統合失調症なので、父は本当に辛い思いをしたと思います。
でも、とても母を大事にしていました。

父は自由が好きでしたが、母のことで、自分の思うように行動できなかったのは事実です。
でも、父の中では、母を大事にしないといけないという強い気持ちが働いていたのだと感じます。

父の病気がわかってから、母のことを思いつつ、私に告げたことがあります。
内容は
「お母さんに怒るな」ということ。
自信ないよ~
と思ったものです。

父は、母の病気のことを少しばかり理解していたのでしょう。
勉強好きの父は、うつ病や統合失調症のことも勉強していたのだと思います。

私に、「とにかく怒るな」と言いました。
母のことを、心配していたでしょう。
もしかしたら、今でも家族のことを心配しているかもしれません。

真剣に私に言った時の父の表情は、今も忘れていません。







急ですが、父の話をしたいと思います。

今回は、すでに他界している父の話をします。
病気が分かった当時の父が、今の母と重なったからでもあります。

父は厳しくて、小さい頃は怖い存在でした。
嫌うほどではありませんが…

父は20年ほど前に他界しました。
父が重い病気と分かる前の頃、毎日辛そうにしていました。
強い倦怠感があったようです。
体が重くて、動きたくない状態。
食べ物はのどを通らず、何も食べられない状態でした。

ある日父が、「よし行くか」と言いました。
父は、すでにいろいろな医院や病院に行ったのですが、父の倦怠感の原因はわからず、数件目の病院で大病と分かり、大きな病院を紹介されたのです。
自分がなんの病気なのかわからないけど、「よし行くか」と、気合いを入れたのでしょう。

当時の父の恐怖はものすごかったと思います。
結果、病名は癌でした。
症状が出てから3〜5ヶ月が経ちます。
家族誰もが、「もっと早く病気に気付いていれば…」と思ったものです。

入院日には、父が私の車を運転し、病院へ向かいました。
私は、父の運転するのがこれで最後でありませんようにと祈ります。

父は当時、病気を受け入れ、頑張って前を向きました。
食事の流動食が来て、まともに食べられないのに、「これこれ腹減った〜」と笑顔で言っていました。

今思い出しても涙が出ますが。
父は父なりに、周囲への気遣いをしていたのだろうと心から感じます。

父入院初日の話です。






タグ: 病気

統合失調症の母・体調不良

数年前の春の話ですが、母は急に元気がなくなりました。
何も食べないのです。

母は統合失調症です。
いつからなのかわかりません。

母とは時々、買い物に行こうとか、今日ワインを飲もうとか、ちょっとした約束事をしていました。
母はその都度喜び、約束ごとに嬉しそうにしていたのです。
しかし急に、なにもいらないと言うようになりました。

ちょっと不思議でしたが、いつもの気まぐれかな…
と思っていました。

しかし、どこかが悪いのだと感じ、行きつけの内科へ行きました。
すると、腎臓が良くない、と…専門医を紹介されたのです。
やっぱりどっか悪いんだと思い、行く医院に感謝しました。

2週にわたって通院しましたが、病名は分かりません。
その結果、大きな専門の病院に紹介状を書いて頂きました。

母はずっと辛そうな顔…
なんかかわいそう

こんなのは初めてです。









統合失調症の母・腹痛をうったえる

母は統合失調症です。
いつからなのかはわかりません。

ある日母が腹痛で苦しんでいました。
とても痛いようで、夜中なのに救急車を呼んでというのです。

救急車を呼び、お薬手帳や保険証、お金を持ち、私も救急車に乗りこみました。
入院かもしれないので、とにかく思いつくものを持とうと、ティッシュペーパーや歯磨きなども持って母と一緒に救急車に乗り込みました。
母は落ち着いたようになり、一瞬「あれ?」と思いましたが、「お腹が痛いようで」と伝えたのです。

救急の方は、「どこが痛い?」と、親身になってきいてくれます。
そのうえで、近くの病院に受け入れ要請をしてくれました…お薬手帳を見ながら…。

母はメンタルクリニックの薬を飲んでいます。
そのことを病院に告げたとたん、お断りされました!
当時、私はそれが正しい選択なのかもしれないと思いました。
母は本当はお腹は痛くないのかも…と…

精神疾患の薬を飲んでいることで、お断りれることもあるのか。
それは、様々な知識があるうえでのことなのだと思います。
 
受け入れてくれた病院では、とりあえず検査はしてくれました。
MRIとエコー、血液検査です。

検査結果は、健康そのもの。







2021年10月24日

統合失調症の症状は人それぞれ

統合失調症の症状は、人それぞれ異なるようです。

私の母は統合失調症です。
いつからそうなったのかはよくわかりません。

私の母の場合、どちらかというとプラス思考的なところがあります。
反対に、マイナス思考的な場合もあるようです。

たとえば
「誰かにつけられている」
「殺される」
「誰かが自分の悪口を言っているのが外から聞こえてくる」

などなどです。

しかし、今のところ母はそのようなことは言いません。
誰かに見られているということは言いますし、幻聴も聞こえてくるようですが、危害を加えられる的なことは言っていないと思います。

ただ
「結婚を申し込まれた」とか「国に貢献したからお金がもらえる」とかはいいます。
幸せなことだね…。
と思ってしまいましたが

症状は様々で、幻聴が聞こえることが、統合失調症のせいだと理解している方もおられるようです。
母は自分が統合失調症だとは思っていないため、幻聴を信じ込むのでしょう。

今は薬を飲むことで症状は抑えられているようですが、何かの拍子に悪化することもあります。
季節的なことや、孤独感を長いこと感じている場合、実際一人でいる時間が長い場合や、薬をきちんと飲まないことも悪化につながるでしょう。

統合失調症の家族と一緒に住むということは、やはり病気と向き合い、慎重に対応することも必要なのだと思います。
病気について知り、統合失調症に詳しい人やそのことについて相談できる人と触れ合ったりすることも大事です。

ですが正直、私は私のやりたいことがあります。
子供もそうです。

子供のころから母について悩んできたので、これからも続くと思うと元気がなくなります

あれも出来ないこれも出来ないと思うと辛いですが、統合失調症の母を持ったことで何を知ったかどんな経験ができたかを考えると、意外と笑顔になれることもあります。
人より経験できていることもあるので、それを活かして何かできないかと考え、ブログを書き始めたのも母のおかげ

今後もいろいろ考えながら、出来る限り前向きに生活していきたいと思っています。








2021年10月22日

統合失調症の母、知らない人が目の前に…

ある日、母は誰かと話をしているようでした。
しかし、部屋にいるのは母一人。
ん…?

母は統合失調症です。
いつから症状があったのかはわかりません。

ある日家に帰ると、母が部屋でなんか叫んでいるようでした。
「あなたね、なんで・・・するのよ」
とか
「それでもダメなの!」

といった感じで
なんのこっちゃわかりません。

私が部屋に入ると、急に話すのをやめたのです。
母にどうしたのか聞いてみると、何でもないとのこと。

のちのち聞いたのですが、目の前に知らない年配の男性が立ち、母に説教をするのだそうです。
ずっと説教されていて、そもそも注意とかされるのを嫌う人なのに幻聴で説教されるのは嫌だろうな…と思いました。

母の話は、妄想の中の話なのに、リアルに考えているんだなと感じました。
本人からすると、ちょっと辛いことです。

でもちょっと、なんでそうなっちゃったの?
とか、考えたりもします。

統合失調症に詳しい方から言わせると

「本人は本当に辛いんだよ」
「病気になっちゃったんだから仕方がない、話だけでも聞いてあげないと」

といったことを言います。

でも、一緒に住んでいると、そんなに寄り添うような優しい気持ちにはなれません。
「私は現実を生きたい…」

と思うのです。

もともとの相性も悪いのでしょうか
母が妄想の話をしているときは、ほとんど
「はっ意味わかんない」

と思っています。

幻聴が聞こえる自分は、ちょっとおかしいのでは?と思わないのか…。
母は、自分が統合失調症で精神的な病気とは思っていません。

なので幻聴が聞こえていると思っていなくて、自分は世の中から選ばれた人なので、電波を通して自分に誰かが必要なことを伝えていると思っています。

ことらからすると、なんだそら〜って感じ。
まともに聞いていられないのです。

私は、母が自分の幻聴の話をする時は、できるだけ話をそらすようにしています。







2021年10月20日

統合失調症の母・木魚をたたきまくる

数日間、木魚をたたきまくっていた母。
なぜだろう?

母は統合失調症です。
なぜそうなったのかはわかりません。

ある日母が、朝から仏壇に向かい、木魚をたたき出しました。
お経を唱えるわけでもありません。
ただずっと木魚をたたいているのです。

約半日くらい、たたいています。
いやもっとかもしれません。

しかも、休日にたたいているのです。
うるさい…。

ストレスを発散していたのだろうか
なんかイライラしてた?

とにかくポクポクポクポク…ポクポクポク…
父が、「うるせー
と叫びましたが
それでもポクポクポクポク…

理由は聞きませんでしたので、なぜ木魚をたたいていたのかわかりません。

統合失調症は、妄想がひどくなることもあるので、母は何かしらのそういった儀式をしないといけないという思い込みをしたのでしょう。

木魚をたたくことの母としてのメリットはなんだったのか。
木魚をたたいた後は、何事もなかったかのように過ごしていました。

母が木魚をたたく日々は、3〜4日続いたと思います。
正直、一緒に住んでいるこちらまでおかしくなりそう。
家族はみんな、我慢していました。

母は、悪いことをしたという気持ちは当然なく、どちらかというと良いことをしているという感覚です。
木魚をたたいた後、満足そうに笑みを浮かべている母をみて、ちょっと気持ちが悪いな…と思ってしまいました。

長期間続くのか?
と恐怖に思ったのですが、意外に数日で終わったのでホッとしました。







2021年10月13日

幻覚の話

先日私が見えていた幻覚の話を以前書きましたが、幻覚って本当にリアル。

母が統合失調症のため、このような記事を書き始めました。
母の統合失調症は、いつからなのかわかりません。

母は幻聴が聞こえます。
私は幻聴がよくわかりません。

しかし、幻覚は見たことがあるのでわかります。
テレビを見ているのと同じ感じです。

きっと、幻聴も同じようで、本当に聞こえてくるのでしょう。

母の幻聴では、人に何か言われているようです。
責められていることもあるようで、反発して返答していることもありました。
具体的にいうと、
「なによ!」
「うるさい!」

というようなことを一人で言っているのです。

母が受けている幻聴を自分の事のように考えると、すんなり想像できることが今ビックリしてます。
母に対して、否定的なことをよく思っていましたが、意外に分かり合えたりして。
と思っていたりします。

幻覚は、見えるわけないものが見えます。
私が見たものの一つに、人形やおもちゃが自分にゆっくりと向かってくるということがありました。
あまり怖くはなかったです。
4歳くらいに経験していたことですが、不思議と当時見たことのないものがありました。

仏像です。

仏像がゆっくり自分に向かってくるのです。
思い出すと不思議な感じ。

今、私は仏像が大好きです

特に意味はないと思いますが
他に、寝ている時に天井ををずっと見ていると、インベーダーゲームが始まったりもしていました。
あれも不思議でした

自分の経験から、ちょっと母のことを理解できるのではないか?
と期待もします。

しかしそもそも、母との相性が悪いのかもしれないので、あまり期待はしない方がいいのでしょうが

でもしっかり、今後も母を見ていきたいと思います。







2021年10月12日

統合失調症の母にたたかれる

だいぶ前のことですが、母に思いっきりたたかれたことがあります。

母は統合失調症です。
いつからなのかは、よくわかりません。

もう15年以上前のこと。
母は毎日30分〜数時間ブレーカーを落としていました。
数年にわたってやっていたと思います。
ブレーカーを落とすことによって、人助けになるというのです。
誰を助けたかったのかわかりませんが、毎日時間に関係なく電気が使えなくなります。

子供の友達が家に遊びに来ていても、関係ありません。

冬なのにストーブが使えない
冷蔵庫の氷が解けている
録画していた番組が録画されていない
家に帰ってビールを開けるとぬるい
ストーブやDVDプレーヤーの時間設定を毎日しなければいけない

いろいろと迷惑な状況がありました。
この状況はなかなか慣れることができず、腹立たしさは増してくるものです。

数年我慢していたのですが、ある日私はブチ切れました。
きっかけは覚えていません。
たいしたことではなかったと思います。

わたしは

「いいかげんにしてよ〜〜〜〜

と叫び、
ブレーカーを上げて、ガムテープでとめてしまいました。

すると母は
「なにをするのよ〜〜〜」
と、
その辺にあった分厚い大きめの辞典で、私の頭をたたいたのです。

頭の中が真っ白になって、火花が飛びちったようにピラピラとなりました。
大きなケガはしませんでしたが。

「警察に電話するから!」と言って受話器をとると、母は無理やり私から受話器をもぎ取りました。

母がしていることはおかしいのだと、なぜわからないのか?
当時私は母の病気をよく理解していなかったので、本当に辛かったです。
今でも嫌ですが…。

その時、ブレーカーだけでなく、母の部屋が汚い、家事をしない等々のことでも相当我慢していたので
も〜〜〜むり〜〜〜

と思ったのでしょう。

同じ家に住んでいますが、その日は数時間母と顔を合わせないようにしました。

統合失調症のため、妄想のすごくなっていた母は、何を思っていたのでしょう。
こんな生活イヤだな〜。
と、正直毎日思っています。
普通の母が良かったな
せめてもう少しマシなら…
とか、いろいろ考えます。

自分で母を見ると覚悟していたものの、ちょっと自信を無くした日でした。







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母と子供と暮らしています。 統合失調症の症状のある母と一緒に住んでいると、いろいろ気付くこともありますが、辛いことも多い。 小さなことも大きなことも、つぶやきたいと思います。
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