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2012年ですな

 3ヶ月と少々の時を経て不死鳥の如く。

 人生いろいろ〜、キーを叩かぬ日々もありますよ。

 暫くぶりなものでして、何を書けばよいやらわかりませんが新年の挨拶的な?

 とりあえずCSKAの本田がラツィオ移籍ならずというニュースはガッカリしたし
未だ所属の決まらないMLBの松井も心配である。

 そういえば全国的な雪無双らしい。

 程々ならロマンチックな冬の光景だが、度が過ぎると自然災害の類。テレビで
見てると車の運転がデンジャラスに思える。ワイパーが役目を果たせぬレベルの
降雪で視界がほぼゼロみたいな・・・

 雪国の人間ではないから実際のところどうなんだか。

 思いつきで書き始めたが落としどころも無いので今日はこの辺で。
 

はんばーがー

 私はハンバーガー好きである。

 どこのが一番とかはないけど最も利用したのはマクドナルドだと思う。

 気持ち的には毎日ハンバーガーでもいいと思った時期もあった。でも気がつけば
半年以上食べていない。牛丼なども含めてその手の店の商品を口にしていない。

 特別な理由はなく、気がつけばこのような状態であったというだけだ。

 マクドナルドのサイトを見てみる。どんな商品があるのかな。

 色々見たけれど、買いに行こうという衝動は無かった。食べれば美味しいと感じる
と思うが・・・以前なら新商品が発売になる度に食べたことだろう。

 心のどこかで体に気を使っているのかね。

 そのくせ酒は飲んでいる。休肝日、休肝日。

新しい友達候補

 家に住んでいる蜘蛛の話。

 スパイビーと名付けた蜘蛛なのだが、しばらく留守の後に戻ってきた。その時は
そう思っていたのだが、もしかしたら違う蜘蛛かもしれない。種類は同じようにも
見えるけど背中の模様が少し違うように感じる。

 しばらく見ない間に成長したのかもしれないが、足の形も少し違う気もするし・・・

 多分、違う蜘蛛なんだろうな。

 まあ、新しい友達になるかもしれないし親しみを込めて呼び名を考えよう。

 「ニトロ」

 爆発力の高そうな名前だ。

 スパイビーは糸を出さない種類の蜘蛛だったが、ニトロはどうだかね。蜘蛛の巣
は芸術的で美しいけど、部屋中に張られるのはたまらんよ。

 今、部屋の壁を第3の蜘蛛が移動しているオレンジ色の蜘蛛だ。

 そのうち名付けようと思う。

交差点の広さ

 出会いがあれば別れもある。

 私に近い人が転勤で遠く離れた場所に行くことになった。国内なので会えなくは無いが
その頻度は低くなるだろうね。寂しいことだが、体に気をつけてもらいたい。

 人生は出会いと分かれの繰り返し。

 その場限りの関係だったり、道ですれ違うだけの浅い交わりかもしれないし、今後数年
もしかしたら死ぬまで付き合いのある出会いかもしれない。

 交差点も相手によっては面のように広かったり、同じ道を歩むかもしれない。

 途中の分かれ道にて別々になることもあれば、横道から合流する人だっているだろう。

 自分の歩んだ道を振り返って地図にしてみると面白そうですな。今付き合いのある人や
過去に付き合いのあった人、どこで合流したとか、どこを一緒に歩いたとか。

 まあ、面倒くさいからやらないけどね!

 ふと、記憶を辿ると浮かび上がる顔。あの人は元気かな。

 今日も患部が痛いのだ。

低機動

 どうも!

 詳細は省きますが、心身の問題でブログから離れておりました。

 まあ、簡単に言うと下半身の故障ですな。

 機動力が一時的に大幅低下したために、ピーク時にはトイレに行くことも苦痛で
いよいよペットボトルに排泄することも覚悟した。

 結局は受け入れることができなくて痛みに耐えながらトイレに通ったけどね。

 楽な姿勢を発見することがなかなか出来なくて、夜も眠れず酷い日々だったが
回復してきたら何でもない。痛みはあるが殆ど普通に歩けるようになった。

 最初なんて1歩目が踏み出せなくてずっと立ってのにね。治癒力あっぱれ!

 まあ、私の下半身がどうとかの話題はさておき、この2週間ほどで色々と考える
時間だけはありましたよ。世の中も色々あった。私にも色々あった。

 このブログのことも色々考えたけど、ボチボチ更新してきたい。

 もしかしたら数行で終わる記事になるかもしれないけれど、些細なことでも気に
なったら書くようにしたいッス。

 ではまた
  

 

炎が静まるとき

 その時は何故だかよく分からないのだが、あれほど燃えていた何かが
急激に冷めて行くことはある。多くの人が経験しているはずだ。

 それが趣味や仕事であったり、色恋や人間関係の場合もある。

 悪いことばかりではない。生活の足を引っ張る要因に関しては冷めた
ほうが良いだろう。予算を無視したギャンブルの類、火傷しそうな他人
との関係、摂取自体が体に悪い気体・液体・粉末・錠剤などなど。

 しかし、原因は何だろう。

 心のどこかで踏ん切りはついていたけれど、僅かな未練が自分自身を
騙し続けてきただけなのだろうか?

 楽しいことはやめられない。多少のリスクも気にしない。

 ただ残念なのはリスクを覚悟の上というわけではない。麻痺して考え
ないようにしているだけだ。故に色々と問題が発覚した際に潔い姿勢で
事実を認め非を受け入れる人間は少ないように思う。

 開き直ったり、逆切れしたり。勝手なものですな・・・

 上記に挙げたような例以外でも、ささやかな楽しみですら突然興味を
失うこともある。「あれ、私は何をやっているんだろう・・・」今まで
やってきたことが馬鹿らしく感じてしまうという不思議。しかも、それを
行っている最中に冷めるのだ。

 でも人間なんてわからないもので、逆に何の関心も抱かなかった対象
に情熱を注ぐようになったりすることもある。

 
 心が寒いから何かに火をつけてみる。温かくて安堵するも徐々に暑苦しく
なってきたので火を消してみる。

 しばらくは涼しくて心地よかったけれど、徐々に寒くなってきたから
また火をつけてみた。

 こんな感じなのだろうか?私の頭ではわからないよ。

不要な行為

 AFCアジアチャンピオンリーグ準々決勝第2戦の全北現代対C大阪戦に
おいて全北側のサポーターが「日本の大地震をお祝います。」という
垂れ幕を掲げたことが問題となっている。

 勿論「し」という文字が抜けているという指摘ではない。日本の心情
を傷つける心無い行為だからだ。

 今回の問題だけでなく、ましてサッカーのサポーターだけの話でもない
のだが、相手を野次る行為は必要なのだろうか?
 
 サポーターの存在意義は贔屓チームを応援することにあり、苦しい時間
は選手を鼓舞して奮い立たせ、素晴らしいプレーや試合を称え、チャンス
やピンチに一喜一憂しながらも得点や勝利の喜びを分かち合い、勝利する
ことができなくとも選手を労い、次の勝利に向けて共に準備する。

 ようは愛するチームを応援することにあるわけで、相手を罵ったり試合
の邪魔をすることではないと思う。そういった行為は愚かで恥ずかしい。

 海外のリーグではもっと過激で酷い行為が頻繁にあるが、個人的に民度
の低さを物語っているように思うし、サッカーへの冒涜ではないだろうか。

 とにかく相手があって初めて「試合」というものは成立するのだから
最低限の敬意と感謝の気持ちは忘れるべきではない。

 相手が居なくともできる競技はあると言う人もいるだろうけど、順位や
優劣のつかないそれは試合や競技ではなく記録会でしかない。

 この試合のために一生懸命準備するのは相手とて同じこと、試合結果は
ともかく、試合後は相手チームや相手サポーターに「おつかれさま」
言えるぐらいの広い心でありたいものですな。

らいふげーじ

 今月ある出来事があって家に住みついている蜘蛛のスパイビーを
見かけなくなった。さすがに踏みつけて潰したなんてことは無いが
心配で仕方が無いのだ。

 それもあってか変な夢を見た。

 金魚やら熱帯魚を飼っている水槽が目の前に3つあり、数匹ずつ
魚が泳いでいるが、かなり弱っている。水は汚れ、エアポンプから
空気はあまり出ていない様子。この劣悪な環境の中で魚達は必死に
生きようとしている。

 何とも心苦しくなり、姿見えぬ飼い主に部屋の扉越しに苦言を
呈した。持ち主の勝手なのかもしれないが、惨すぎる。

 場面は変わって幼い女の子が私にカブトムシを捕まえてくれと
ねだる。なにも自然の中のそれを捕獲してほしいわけではなくて
虫かごに入っているカブトムシを掴んで出して欲しいということ
らしい。

 快諾して虫かごのカブトムシを見ると体長20cmはあろうかと
いう巨躯が2匹。少し怖かったが掴み出した。

 両手にそれぞれ捕まえられたカブトムシは、サイズこそ大きい
ものの姿は普通のカブトムシが1匹、もう1匹は形こそ何とか
カブトムシだと思わせるがモンスター系の異形である。

 女の子が地面に置いてくれと言ったので従おうとしたところ
急にカブトムシが暴れ出し、体中から変な色の体液が流れ出した。

 みるみる干乾びてカブトムシは2匹とも息絶えた。

 女の子は「あ〜あ・・・」と残念がったが、私はそれどころでは
無い。掴んだ虫が目前で凄まじい死に方をしたのだから。

 私が殺してしまったのだ。

 打ちのめされて、力無くその場を後にすると、何故か玄関のドアを
開けて外に出た場面になった。今度は目前で幼い男の子が子犬と戯れ
ているようだ。

 先程のショックもあり、微笑ましいその光景を目にしても表情が
晴れることはなかった。そんな私の足元に子犬が2匹駆け寄る。
 無視することは出来ずしゃがみ込んで優しく撫でると無邪気に舌を
出して尻尾をフリフリ。

 メロメロになった私は地面に寝転がり子犬と思いっきり戯れた。

 そんなところで目が覚めたのだが、今も変わらずスパイビーの安否
を想っている。どこかへ行ってしまったのだろうか・・・

 いなくなると思いのほか寂しいもんだ。

相手を理解すること

 人生の中で何度か見かけた光景。

 AとBという人がいる。

 2人は同じことをしている。それは時に仕事だったり作業だったり
何かの計画かもしれないし遊びやスポーツかもしれない。

 AとBの担う役割は異なるのだが、2人の成果は組織としての評価
だけでなく個としても評価される。それ自体はあまり問題では無い。

 しかし役割は違えど共通の目的を成す為にやっているので、時に
相手の判断や行動が気になる。そして指摘してみる。

 AはBのやりかたに不満があり、それを指摘してみたところBには
言い分があり、理由や原因を説明するも互いの話は平行線。

 Bは言う「ではAがやってみるといい」
 
 Aは意気込んで取組むも、思ったようにはいかない。Bの説明が
理にかなっていると思い知らされただけだった。

 傍から見れば非効率であったり、不満であっても同じ立場になる
ことで自らの指摘や要求が正しくない場合もあると知る。

 AはBの苦労を理解し謝罪。BはAが理解を示したことに感謝。

 共同で何かを成す場合に大事なのは相互理解であるということ。

 相手が分かってくれないのではなく、相手を分かってあげようと
する気持ち。思いやりと助け合い。チームワークっす!


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どうした泣き虫野郎

 どうしたもこうしたも泣き虫野郎とは私のことです。

 普段からメソメソ泣いているわけではないが、近年は感動すると
目頭が熱くなることが増えた。

 私は感動を売りにしたドラマや映画を観ても殆ど泣かない。感動
しないわけじゃないけど感情の揺れが小さいのだと思う。恐らくは
作り物だとわかっているからだろう。

 例外もあってツボにはまればマンガであっても顔を歪めて泣く事
もある。上記の映像作品なんかもそうだけど押し付けがましい感動
とか安いドラマは逆に冷める。作者の自慰とすら思えてしまう場合
もあったりする。言葉は悪いが素直に述べてみた。

 やはり、真の感動はリアル世界に存在するように思う。

 スポーツにおける日本代表の試合なんかは多くの人に興奮と感動
を与えていると思う。私は海外クラブの試合もTVで観るけど代表と
比較すれば感動は少ない。レベルの高さやタレント性という意味で
負けないぐらい楽しみではあるが、大興奮なんてことはない。

 WBCの決勝でイチローが勝ち越しタイムリーを放った時、昨年の
南アフリカW杯にてデンマークを破り決勝ラウンドへの切符を掴んだ
時、なでしこの女子W杯優勝。これらと同等の感動や興奮をスポーツ
というカテゴリーで感じたことは無い。準ずるのは沢山ある。

 ああ、ウサイン・ボルトの出現には興奮したけれど驚愕という意味
でのそれであって、ガッツポーズして歓喜するのとは異なります。

 TVのドキュメンタリー作品は感動するけど、これも種類が異なると
いうか、感嘆すると表現したほうが近い気がしますな。

 泣いて清々しい気持ちになるのも悪くないね。何か心に溜まった
汚ない何かが洗い流されたような感じがしなくもないッス。

 
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プロフィール

寺池マカロニ
 冬は寒いから苦手だけど恩恵もある。
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