2011年09月29日
不要な行為
AFCアジアチャンピオンリーグ準々決勝第2戦の全北現代対C大阪戦に
おいて全北側のサポーターが「日本の大地震をお祝います。」という
垂れ幕を掲げたことが問題となっている。
勿論「し」という文字が抜けているという指摘ではない。日本の心情
を傷つける心無い行為だからだ。
今回の問題だけでなく、ましてサッカーのサポーターだけの話でもない
のだが、相手を野次る行為は必要なのだろうか?
サポーターの存在意義は贔屓チームを応援することにあり、苦しい時間
は選手を鼓舞して奮い立たせ、素晴らしいプレーや試合を称え、チャンス
やピンチに一喜一憂しながらも得点や勝利の喜びを分かち合い、勝利する
ことができなくとも選手を労い、次の勝利に向けて共に準備する。
ようは愛するチームを応援することにあるわけで、相手を罵ったり試合
の邪魔をすることではないと思う。そういった行為は愚かで恥ずかしい。
海外のリーグではもっと過激で酷い行為が頻繁にあるが、個人的に民度
の低さを物語っているように思うし、サッカーへの冒涜ではないだろうか。
とにかく相手があって初めて「試合」というものは成立するのだから
最低限の敬意と感謝の気持ちは忘れるべきではない。
相手が居なくともできる競技はあると言う人もいるだろうけど、順位や
優劣のつかないそれは試合や競技ではなく記録会でしかない。
この試合のために一生懸命準備するのは相手とて同じこと、試合結果は
ともかく、試合後は相手チームや相手サポーターに「おつかれさま」と
言えるぐらいの広い心でありたいものですな。
おいて全北側のサポーターが「日本の大地震をお祝います。」という
垂れ幕を掲げたことが問題となっている。
勿論「し」という文字が抜けているという指摘ではない。日本の心情
を傷つける心無い行為だからだ。
今回の問題だけでなく、ましてサッカーのサポーターだけの話でもない
のだが、相手を野次る行為は必要なのだろうか?
サポーターの存在意義は贔屓チームを応援することにあり、苦しい時間
は選手を鼓舞して奮い立たせ、素晴らしいプレーや試合を称え、チャンス
やピンチに一喜一憂しながらも得点や勝利の喜びを分かち合い、勝利する
ことができなくとも選手を労い、次の勝利に向けて共に準備する。
ようは愛するチームを応援することにあるわけで、相手を罵ったり試合
の邪魔をすることではないと思う。そういった行為は愚かで恥ずかしい。
海外のリーグではもっと過激で酷い行為が頻繁にあるが、個人的に民度
の低さを物語っているように思うし、サッカーへの冒涜ではないだろうか。
とにかく相手があって初めて「試合」というものは成立するのだから
最低限の敬意と感謝の気持ちは忘れるべきではない。
相手が居なくともできる競技はあると言う人もいるだろうけど、順位や
優劣のつかないそれは試合や競技ではなく記録会でしかない。
この試合のために一生懸命準備するのは相手とて同じこと、試合結果は
ともかく、試合後は相手チームや相手サポーターに「おつかれさま」と
言えるぐらいの広い心でありたいものですな。
投稿者:寺池マカロニ|17:27