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2015年04月10日
薬剤師さんのための『人生の最終段階における医療』について考えてみたよー
こんにちは(・ω・)ノ☆
新学期、新生活、何かと新しいものがスタートする今日この頃・・・
始まりもあれば、終わりもまたあります。
一年もまたしかりで、あっという間に四季がめぐり、気づけば早一年と
なが〜い人生も刻々と砂時計の砂が落ちるかのごとく減っていくものです。
限られた時間の中に生き、あなたは何を成し遂げ、何を遺したいですか??
☆
先月末に、厚労省から、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」の
改訂版の通知がありましたね。
ふ〜ん、
で、何が改定になったの?って。
まず、「終末期医療」って言葉が、
『人生の最終段階における医療』って言葉に変わりました。
そもそも「終末期」って、なーに?って話になります。
じつは、この終末期に≪定義≫はありませんでした。
言葉の意味も、使う人によってバラバラであったので、
結局のところ、何を根拠に「終末期」って呼ぶの?ってわけになったのです。
その言葉の対象が、がんの患者さん相手だったり、ALSやパーキンソンなどの患者さんが
相手だったり、または事故や急性的な症状の悪化で死に直面した患者さんなどが
対象となっていたわけで・・・
あくまで、治療法もなく、死を回避できない、
≪間もなく死をむかえそうだな≫という意味を込めて
「終末期」と表現されてきました。
それだけでなく、その文言自体に、ネガティブなイメージや先入観を
持ってしまうことも多かったので、いよいよ最後だ、とか、もう死ぬってこと
なのかと、「生きること」を否定されたかのような雰囲気を出してしまって
いたのかもしれません。
で、改めて、
『人生の最終段階における医療』と改名を果たすのですが、
ただ単に言葉が変わっただけでなく、
ちょっと「終末期」とは違った容姿をしています。
どんな感じかというと、
障害・疾病・事故・老齢などで、やむなく死が迫ってきた際に、
≪医療従事者から適切な情報提供と説明を受け≫
≪患者本人がその意思決定を行う≫
ものとされてます。
…え?
…それって当たり前じゃない?
って思うかもしれませんが、今までの「終末期」においては、
患者さんに、≪幅広い選択肢≫は無かったのです。
限られた選択肢・・・それは何か?
『延命をするのか?しないのか?』
これは、選択肢と呼べるのでしょうか?
インフォームド・コンセントと呼べるのでしょうか??
YESを選択して、『納得』できるのでしょうか??
選択肢というより、一方的なコンセントですよね・・・
で、話しを戻しますが、
もし、患者本人が意思決定できないときは、
≪その家族が意思決定します≫
で、さらにその家族がいない時は、
≪医療従事者が最良の選択を考慮して、意思決定していきます≫
☆☆
延命をするのか、しないのかという医療ではなく、
人生の最終ステージで、
どこで?
どんな?
ケアを受けたいのかを、より具体的に患者さんやその家族が理解し、
そのうえで意思を決定していくプロセスが必要になります。
また、医療従事者だけでなく、自治体も絡めて
患者さんが穏やかに過ごすことができる環境を整備して必要があります。
つまり、
『人生の最終段階における医療』ってのは、
患者さんが最後まで人として生きるための尊厳を
最大限に尊重していくための医療ということになります。
それが本当のQOL向上につながるって考えなんです。
その「プラットフォーム」を創りあげていくためのガイドライン改定が
『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』
になります。(なげー笑)
☆☆☆
2025年代に入ると、こぞって団塊世代が75歳を超えてきます。
その死亡数は、年間約150万人に達すると見込まれてます。
これから【少子社会】と【多死社会】に突入する中で、
あなたは、薬剤師としてどう生きますか?
自分の親、自分、配偶者、兄弟・・・人生の最期をどう過ごしますか?
これは、ひとりひとり考えも選択もすべて異なります。
もちろん、正しい答えなんかありません。
そして、どれも不正解ってわけでもありません。
唯一言えることは、
『自分の選んだ答えが正しい』
ということ。
日頃から、自分の意思や考えを決定し、周囲に伝えていく…
そんな姿勢が私たちには必要なのではないでしょうか?
ではまた、よろしこー(・ω・)ノ☆
新学期、新生活、何かと新しいものがスタートする今日この頃・・・
始まりもあれば、終わりもまたあります。
一年もまたしかりで、あっという間に四季がめぐり、気づけば早一年と
なが〜い人生も刻々と砂時計の砂が落ちるかのごとく減っていくものです。
限られた時間の中に生き、あなたは何を成し遂げ、何を遺したいですか??
☆
先月末に、厚労省から、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」の
改訂版の通知がありましたね。
ふ〜ん、
で、何が改定になったの?って。
まず、「終末期医療」って言葉が、
『人生の最終段階における医療』って言葉に変わりました。
そもそも「終末期」って、なーに?って話になります。
じつは、この終末期に≪定義≫はありませんでした。
言葉の意味も、使う人によってバラバラであったので、
結局のところ、何を根拠に「終末期」って呼ぶの?ってわけになったのです。
その言葉の対象が、がんの患者さん相手だったり、ALSやパーキンソンなどの患者さんが
相手だったり、または事故や急性的な症状の悪化で死に直面した患者さんなどが
対象となっていたわけで・・・
あくまで、治療法もなく、死を回避できない、
≪間もなく死をむかえそうだな≫という意味を込めて
「終末期」と表現されてきました。
それだけでなく、その文言自体に、ネガティブなイメージや先入観を
持ってしまうことも多かったので、いよいよ最後だ、とか、もう死ぬってこと
なのかと、「生きること」を否定されたかのような雰囲気を出してしまって
いたのかもしれません。
で、改めて、
『人生の最終段階における医療』と改名を果たすのですが、
ただ単に言葉が変わっただけでなく、
ちょっと「終末期」とは違った容姿をしています。
どんな感じかというと、
障害・疾病・事故・老齢などで、やむなく死が迫ってきた際に、
≪医療従事者から適切な情報提供と説明を受け≫
≪患者本人がその意思決定を行う≫
ものとされてます。
…え?
…それって当たり前じゃない?
って思うかもしれませんが、今までの「終末期」においては、
患者さんに、≪幅広い選択肢≫は無かったのです。
限られた選択肢・・・それは何か?
『延命をするのか?しないのか?』
これは、選択肢と呼べるのでしょうか?
インフォームド・コンセントと呼べるのでしょうか??
YESを選択して、『納得』できるのでしょうか??
選択肢というより、一方的なコンセントですよね・・・
で、話しを戻しますが、
もし、患者本人が意思決定できないときは、
≪その家族が意思決定します≫
で、さらにその家族がいない時は、
≪医療従事者が最良の選択を考慮して、意思決定していきます≫
☆☆
延命をするのか、しないのかという医療ではなく、
人生の最終ステージで、
どこで?
どんな?
ケアを受けたいのかを、より具体的に患者さんやその家族が理解し、
そのうえで意思を決定していくプロセスが必要になります。
また、医療従事者だけでなく、自治体も絡めて
患者さんが穏やかに過ごすことができる環境を整備して必要があります。
つまり、
『人生の最終段階における医療』ってのは、
患者さんが最後まで人として生きるための尊厳を
最大限に尊重していくための医療ということになります。
それが本当のQOL向上につながるって考えなんです。
その「プラットフォーム」を創りあげていくためのガイドライン改定が
『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』
になります。(なげー笑)
☆☆☆
2025年代に入ると、こぞって団塊世代が75歳を超えてきます。
その死亡数は、年間約150万人に達すると見込まれてます。
これから【少子社会】と【多死社会】に突入する中で、
あなたは、薬剤師としてどう生きますか?
自分の親、自分、配偶者、兄弟・・・人生の最期をどう過ごしますか?
これは、ひとりひとり考えも選択もすべて異なります。
もちろん、正しい答えなんかありません。
そして、どれも不正解ってわけでもありません。
唯一言えることは、
『自分の選んだ答えが正しい』
ということ。
日頃から、自分の意思や考えを決定し、周囲に伝えていく…
そんな姿勢が私たちには必要なのではないでしょうか?
ではまた、よろしこー(・ω・)ノ☆