2018年07月11日
覇穹封神演義 21話感想 イメージ通りの映像化で満足度の高いエピソード
21話 閃光・静寂・そして…
21話配信(Abemaビデオ)
あらすじ
聞仲は普賢真人の自爆に耐えるも、太公望と楊ゼンを見失い元始天尊を倒しに向かう。元始天尊は宝貝・盤古幡により手負いの聞仲を追い詰めるが、聞仲の底力が勝り逆転される。
聞仲は元始天尊にとどめを刺そうとするが、そこへ死んだはずの王天君が黄飛虎を連れてくる。
感想
仕事が忙しいのと夏バテが重なって感想が渋滞しております。すでに最終回が放送されてから10日以上経っておりますが、あと3話分、少しずつ書いていきたいと思います。夏の新アニメの感想は難しそう……。「そう……みんなが生きて帰れるようにと……」
アバンはこれまでのように時間や場所、視点が飛んだりせず、ちゃんと前回からの地続きで好印象。上記のセリフはてっきり太公望のものかと思っていたので普賢が発言して驚いた。原作をよくよく思い返すとどちらが発したとも取れる描写になっている。しかし普賢に言わせると皮肉っぽい印象になる気もする。
「スープー族は大人しか変身できねえはずなのに……」
「何かアイテムを使ったのかな?」
原作では「また何かアイテムを使ったのかな?」というセリフだが、覇穹ではスープーが”復活の玉”を使用した趙公明編がカットされているため「また」を消すという
「分かっておる、勝算はゼロだ。だがもはや引き返せぬのだよ。わしは……わしはなんとしてもあやつを乗り越えねばならぬのだ。」
もはや引き返せぬのだよ、以降の部分はアニメオリジナルである。付け加えた意図がよくわからないが死出の特攻からほんの少しポジティブな印象を受けるようになっている。「もはや引き返せない」というのは聞仲にふさわしいフレーズなので主人公側は差をつけたということだろうか……?
「貴様が武成王 黄飛虎だな?」
「なんだ親父の知り合いか?」「んなわけねーだろボケ息子」
なんと、王天君は生きていた!!!……知ってた。正確に言えば生きていたというより別の王天君が存在した。服装が違うのがポイントである。黄親子は相変わらず親子というよりは友人か兄弟のようで面白い。掛け合いも7・5・7・5でリズミカルである。
「あなたが崑崙山の教主……元始天尊ですね?」「いかにも」
「では……殷のために消えていただく!!」
敵の首魁に一礼しあなたと呼び、太公望の師だけあって潔いと称賛する。権威に一応の礼儀を払いリスペクトするが、まあそれはそれとして絶対ブッ潰すね……という聞仲の優先順位を徹底する性格が表れている、個人的に好きなシーンである。
「私なら未来永劫に渡って人間界を幸せにできる!わが子、殷の旗のもとで!」
「じゃが、わしはそれを幸福とは認めたくない!」
下手な民主主義よりも名君による独裁支配が幸せというお話。人間の場合はその名君が死んだら破綻する問題があるが、永生の仙道であればその問題も限りなく薄まるかもしれない。それを強い口調で否定する元始天尊。「幸福ではない」とは言わず「幸福とは認めたくない」であるところが感情的に見えて連載時は印象的だった。
原作ではこの時点で歴史の道標(=ジョカ)についての詳細は明かされておらず、元始天尊は聞仲がジョカと同じことをしている点に強い嫌悪を感じている、ということに読者は後になって気付く見事な伏線になっている。覇穹ではこの時点でジョカが登場しているので、カットを入れるなどして聞仲との共通点を暗示しても良かったように思う。
ボコンボコンと分裂する盤古幡の動きが実に気持ち悪い。まさしくイメージ通りで素晴らしい映像化と思う。
るろうに剣心しかり、HUNTERXHUNTERしかり、少年ジャンプのジジイの戦いは名勝負と相場が決まっている。(だいたいジジイが負けるのだが。)聞仲役、前野智昭さんの渾身の絶叫がすさまじいが、元始天尊役の津田英三さんも負けていない。御歳70歳とは思えない力強さを感じる。
元始天尊へのトドメを放つところでEDに入り、Cパートで王天君が登場。展開が転じるところにEDを挟んでいるのがうまい。アバンやCパートで変に時系列や場面をいじらずに、漫画における3話分を極めて原作通りに構成。作画も迫力があり、中の人の熱演もお見事。まさにこういう映像化を求めていたという覇穹屈指の完成度を誇るエピソードだったように思う。
Tweet
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7871311
この記事へのトラックバック
うむ。