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2021年05月30日

熱・統計力学のまとめ
_【2021/05/30_原稿改定】

以下にSEO対策で「統計関係」の原稿を投稿します。このページからのリンクは随時改定します。ご覧になってみて下さい。
また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


(↑Credit:Pictaso↑)


力学が成熟した時期に、個別粒子の集団的な(カノニカルな)現象をミクロな視点のモデルを使って考察していったのです。現代の物性論の礎となっているとも言えます。特にここでは、電子物性をカノニカル(統計的)な視点で取り扱った人も含めて網羅していきます。電子って電磁気、または量子関係の話にも思えますが統計的手法の面も大きかったりするからです。ましてや超電導などの巨視的な量子効果は統計的な処理を極めた結果であるとも言えるのです。そんなご紹介の中ではカメリーオネスとポアンカレが並んでいたりします。私が敬愛しているエーレンフェストがまた出てきています。量子でも統計でも彼は大きな役割を果たします。そんな感じでブログでの登場人物を以下に時系列で羅列します。

ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日
ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ_1736年1月25日 ~ 1813年4月10日
ジャック・C・シャルル_1746年11月12日 - 1823年4月7日
N・L・S・カルノー_1796年6月1日 ~ 1832年8月24日
J・C・マクスウェル_1831年6月13日 ~ 1879年11月5日
ウィラード・ギブズ_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日
ルートヴィッヒ・E・ボルツマン_1844年2月20日 〜 1906年9月5日
カメリー・オネス_1853年9月21日 ~ 1926年2月21日
アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日
ヴィルヘルム・C・W・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日
ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日
ポール・エーレンフェスト_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日
ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日
ハリー・ナイキスト_1889年2月7日 ~ 1976年4月4日
サティエンドラ・ナート・ボース_1894年1月1日 ~ 1974年2月4日
久保亮五_1920年2月15日 ~ 1995年3月31日
フィリップ・W・アンダーソン_1923年12月13日 ~ 2020年3月29日




以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/10_初回投稿
2021/05/23改定投稿


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2021年05月29日

J・J・トムソン
_【2021/05/29_原稿改定】

以下にSEO対策で「JJトムソン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介で電子の考え方に対しての「発展史」に関連して、情報補足しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】



その名は正確には
ジョゼフ・ジョン・トムソン
【Sir Joseph John Thomson】。


イギリスのJ・J・トムソンは同位体の発見者です。
指導者としてはラザフォード
オッペンハイマーボルンの師であり
物理学の発展に大きく貢献しました。


また、電子の実在を形にしていった
一人でもあります。電子を発見したか
については異論があるかも知れませんが
いくつかの洗練された実験で、
トムソンは電子の単位量を決めて
特定原子の同位体を示しました。


トムソンと電子の歴史は密接に関係しています。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時も今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。

そして今、いくつもの偉業を遂げ
J・J・トムソンの亡骸は
ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。
英国の生んだ偉人として。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com


2020/09/14_初回投稿
2021/05/23_改定投稿


詳しくはコチラへ→【テキストポン】


2021年05月28日

電磁気学関係の纏め
_【2021/05/28_原稿改定】

以下にSEO対策で「電磁気学関係」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介で電車の画像を使いました。高電圧を使い電車は走るのです。光学関係のホイヘンスを電磁気に含めてご紹介していますが、このブログでの4区分ではやはり電磁気の範疇ではないでしょうか。発展した年代を重視した分け方でもあります。また、人物へのリンクも補記しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


【↑Credit:Pictaso.com】


以下、電磁気学関係を纏めます。アンペールから始まりマクスウェルで終わる形の纏め方もあると思えますが、その後の他分野の発展と共に電磁気学の研究は進んでいくものだと思っています。実際に原子核の状態遷移で放射線が出た際も現象毎に固有な電磁波が生じるのです。また、日本で建設計画があるリニアコライダー(ILC)でも沢山の電磁波が現象理解に必要で、「現象の担い手」となるのです。そんな大事な物理量の発展史でもあります。ここでは波動の伝番として電磁波や光をとらえていて、ホイヘンスから話を始めています。また、関連画像としては電車の画像を使っています。我々は大量輸送手段として電気を動力として使う電車を日常的に使っているのです。大変便利に使っています。そんな原理の発展史としてご覧下さい。


【時代順のご紹介】


クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日

アントニオ・ヴォルタ_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日_


アンドレ・アンペール_1775年1月20日 ~ 1836年6月10日_

ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日_

ハンス・エルステッド_1777年8月14日 ~ 1851年3月9日


オーギュスタン・ジャン・フレネル_1788年5月10日 ~ 1827年7月14日


G・S・オーム_1789年3月16日 ~ 1854年7月6日_


マイケル・ファラデー_1791年9月22日 〜 1867年8月25日


C・A・クーロン__1804年2月12日 ~ 1865年2月10日_

H・レンツ_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日

A・H・ルイ・フィゾー_1819年9月23日 〜 1896年9月18日


G・ロベルト・キルヒホフ_1824年3月12日 ~ 1887年10月17日

ウィリアム・トムソン_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日


J・C・マクスウェル_1831年6月13日 ~ 1879年11月5日


J・A・フレミング_1849年11月29日 ~ 1945年4月18日


H・A・ローレンツ_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日


J・J・トムソン_1856年12月18日~1940年8月30日


ハインリヒ・R・ヘルツ_1857年2月22日 ~ 1894年1月1日


ロバート・ミリカン_1868年3月22日 ~ 1953年12月19日


アーネスト・ラザフォード_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日


D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
問題点には適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/07_初稿投稿
2021/05/22_原稿改定


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2021年05月27日

ロバート・ミリカン
_【2021/05/27_原稿改定】

以下にSEO対策で「ミリカン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でアメリカ関係の画像を使いました。私は超電導の発展した拠点としてシカゴがアメリカっぽいと思いますが、今回のミリカンに関しては適切であるか疑問です。何時か差し替えを再考したいと思います。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】



ミリカンは非常に優れたアメリカの実験家でした。光に粒子性と波動性がある事を実証していく段階で波動性を前面に出した理論を展開していきます。ただ、実験事実として粒子性を使った実験が非常につじつまの合う結果を出していたことにミリカン自身も自問自答を繰返したと思えます。結果としてアインシュタインが論じた光電効果をミリカンも実験的に裏付けます。また、そうした
実験と光の波長からプランク定数を定めました。


加えて、電気素量を導き出した実験も見事です。金属板の間の油滴の運動を考え、ミリカンらは重力の効果に対してクーロン力の兼ね合いを考えて厳密に計測値が求まる油滴の重量から電気素量を導きます。


この2つの業績でミリカンはノーベル賞を受けました。また、ミリカンは非常に優れた教育者として多くの教科書を世に送り、その中で少し先んじた概念を紹介しています。更にミリカンはカリフォルニア工科大学の創設に大きく関わりました。今でも同大学に彼の名を冠した建物があるそうです。
【そもそも米国の通例で、1号館と言う代わりに
ミリカン・ホールという名をつけたりします】





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返事できていませんが
問題点に対しては適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/12_初稿投稿
2021/05/22_改定投稿


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2021年05月26日

W・E・パウリ
_【2021/05/26_原稿改定】

登場場所の整理をしていますが、以下にSEO対策で「パウリ」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介の画像でドイツ関係の絵を使います。今回、投稿に関して補足しましたが、何時かマッハやユングとの関係についても盛り込みたいと思います。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/12(木)朝の時点でフォロワーは合計【11336】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。


【以下が投稿原稿です】



その名はWolfgang Ernst Pauli。オーストリア生まれの
スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがち
ですが排他律です。
またはパウリの原理と呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦で
ノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストは
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ人で有名な出版社を
経営していたようです。


さて、
排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として磁場付加時の分光は
電子の自転に由来するという仮説を立て、
後にそれをスピンと呼びます。
新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化
を行い数学的に表現します。
個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の師事を受けている点です。私が薫陶を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していてマッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。


私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、パウリは人間的にも面白いところがあります。博士号を習得した直後、パウリはゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆を依頼されます。内容は相対性理論で二か月ほどをつかって完成させました。結果はアインシュタインの査読にかなう見事なもので今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。


更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。


そして、パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。戦争での苦難の時代の後に帰国して、病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。その中で語り継がれている話があります。


もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。


よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/19_初稿投稿
2021/04/25_原稿改定
2021/05/19_改定投稿


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2021年05月25日

マリ・キュリー
_【2021/05/25_原稿改定】

登場場所の整理をしていますが、以下にSEO対策で「マリア・キューリ」の原稿を投稿します使う画像としてはフランス関係のものを使いました。フランスの誇る偉人です。バーナーも改定しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/12(木)朝の時点でフォロワーは合計【11336】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】


 


その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー:Maria Salomea Skłodowska-Curieですがフランス語でマリ・キューリと呼ばれる事が多いです。彼女は物理学と化学で2度ノーベル賞を受けています。マリ・キューリの父は研究者でしたが貴族階級の出身の為に、帝政ロシアの支配下の元で教壇に立つことを禁じられていました。マリ・キューリは10歳をなる前に大変苦労します。父の非合法の講義が発覚して職・住を失い、母の結核による他界があり、更には投機での失敗もあり、マリーは親戚等の世話になります。





そんな時期にマリ・キューリにも恋をした時代があったようです。当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしましたが、最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリのパリ行きに繋がった様です。


パリでもマリ・キューリは苦労します。
屋根裏部屋に住んで寒い時には
持っている全ての服を着ながら
勉学に励みます。そんな生活は
大学の学部を卒業する迄、続きました。


そんなマリ・キューリに
漸く光明がさします。
知り合いを通じてピエール・キューリ
と出会ったのです。


そのピエール・キューリは国外で
評価を受けていて1893年には英国の
ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。
ところがピエール・キューリは
勲章を辞退するような性格で
ひたすら研究に励んでいました。


そんな二人が惹かれ合い、認め合い、
マリの帰国後もピエールは恋文を
贈り続け、遂には簡素な結婚式をあげます。
幸せな結婚生活だったと思います。
祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、
つつましい形式でしたが
祝い金で買った自転車に乗り、
フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。


料理を頑張り、長女に恵まれながらも学問を続け、ベクレルの見出した放射線に対して二人は研究していきました。そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の含有量が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。
同位体の存在に近づいていったのです。


関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。その中で第二子を流産してしましました。そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。すなわち、特定元素は別の元素へ変化し得る、という事実です。


そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。


当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。


所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの言葉と時間が必要でしたが、最終的に妻マダムは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。


この内容に関してはいずれ追記したいと思います。
いつか、書き足すに値する部分だと思えます。
ケルヴィン卿・カメリーオネスアインシュタインといった
当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。


そして、何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。


波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。








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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/10/14_初稿投稿
2021/05/19_改定投稿




2021年05月24日

ルイ・ド・ブロイ
_【2021/05/24_原稿改定】

登場場所の整理をしていますが、以下にSEO対策で「ド・ブロイ」の原稿を投稿します。特にドブロイの新しい原稿では「物質波」について増補しました。私のブログを考えた時に想定している読者は高校生も含めた「知的好奇心」を持つ人々です。そんな人が物理学を分からなくても「粒子の二面性」に対して多少の知見を持ってもらえたら嬉しいのです。使う画像としてはフランス関係のものに差し替えてあります。バーナーも改定しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/12(木)朝の時点でフォロワーは合計【11336】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】



フランス貴族、公爵の血を引いてます。その血筋は由緒正しいのです。そもそも、フランス国王ルイ14世により授爵頂いている名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは直系子孫です。兄の没後は兄に子供が居なかった事情もあり、正式に侯爵家の当主を務めています。ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代当主アルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、生誕時にルイの父は当時公子でした。こんな逸話が沢山あるのですね。そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、ド・ブロイ波(物質波)の考えにたどり着くのです。


そのルイ・ド・ブロイの考えは初めは中々理解されませんでした。関連して超有名なエピソードがあります。ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達がド・ブロイの考えを理解出来ずアインシュタインに意見を求めたたのです。すると、ド・ブロイの考えは博士論文よりもノーベル賞に値する。と評価され、更に考えを進めていく事が出来たのです。その考えはパラダイムシフトでした。当時の物理学の世界を変えたのです。


波が粒子性を持つのと同時に、粒子であると考えられていた電子も、実際には波動性を持つだろうという考えがドブロイ波の本質です。現代の量子力学の理解ではこの二面性は必然ですが、波動性を持つ故に特定元素の周りを周期的に運動する電子は特定波長の整数倍のみ許された軌道を描きます。逆に考えれば特定波長の整数倍の運動しか、その電子には許されないのです。特定原子核の周りを回る電子は特徴的な波長の整数倍を定常状態として周期運動を続け、定常状態間の遷移が起きる際に放射線が生じる事実は、ドブロイを初めとする考えがあってこそ成立する概念なのです。それこそが電子の存在なのです。


実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞
を受賞します。いつの時代も中々、
新しい考えは理解出来されないものですね。






以上、間違い・ご意見は
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最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


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2020/08/19_初回投稿
2021/05/19_改定投稿


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2021年05月23日

クリスティアーン・ホイヘンス
_【2021/05/23_原稿改定】

以下にSEO対策で「ホイヘンス」の原稿を投稿します。電磁気学関係での整理に伴う改定です。バーナーも改定しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/12(木)朝の時点でフォロワーは合計【11336】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】



ホイヘンスはオランダの名家に生まれ、ライデン大学では数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かすフィールドだったとも言えます。特に数学で優秀さを発揮していたと言われています。


物理学関係の業績としては特に、光学での業績が顕著です。所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、振動解析や音階解析へと話が進んでいくのです。また今世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがライデン大学で議論していた事を鑑みると、人々の繋がりに小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネスも研究を進めていくのです。


科学での一番最初の障壁は一般化を含めた理解だと感じます。一般の人々にも説明出来る「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が作り出すことが大事です。その点、ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。


また、土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、その進取の精神には驚かされます。特に1675年に世界で初めて火薬を使った往復型の内燃機関を形にしているそうです。ニュートンのプリンキピア刊行が1687年ですので、「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自に形にしていると想定されます。特筆すべき一面かと。


またホイヘンスは、いわゆるエーテルの存在を想定して
後の物理学に議論の土壌を残しました。
この功績も非常に重要だと思います。



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/18_初版投稿
2021/05/19_改定投稿


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オランダ関係の紹介へ】
ライデン大学のご紹介へ】
電磁気学の纏めへ】

2021年05月22日

H・A・ローレンツ
_【2021/05/22_原稿改定】

以下にSEO対策で「ローレンツ」の原稿を投稿します。電磁気学関係での整理に伴う改定です。収縮・変換に関する内容を補稿しました。今後も補稿を続けて、物理の知識が無い人にもローレンツの偉大さをも伝えたいと思います。バーナーも改定しました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/12(木)朝の時点でフォロワーは合計【11336】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下原稿です】


↑ Credit ; Wikipedea ↑



その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。
です。オランダに物理学で有名なライデン大学
がありますが、ローレンツは其処の出身者です。
この大学では他に、
エンリコ・フェルミ
西周(日本の哲学者)、
ヘイケ・カメリー・オネス_
アルベルト・アインシュタイン
クリスティアーン・ホイヘンス
フィリップ・シーボルト(博物学者)、
ポール・エーレンフェスト
が学んだり、教えたり、議論をしたりしていました。
他、オランダで個人的に関心があるのは
デルフト工科大学です。そこは現在、
低温物理学で有名な拠点ですので別途、
機会があれば取りあげたいと思います。





さて話戻ってローレンツですが、
電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。
手法としては座標系の変換を徹底的に使います。
特にアインシュタインが特殊相対性理論
を論じる際に起点の一つに使った、
「光速度不変の概念」はローレンツが導いた
変換に関する考察があって成立しています。
無論、アインシュタインは、
その業績を高く評価していて、
ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」
であったと語っています。





ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、
相対性理論と多岐にわたりますが、
特に印象深いのは変換に関する物でしょう。
ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。そこから、
「ローレンツ収縮」といった言葉も生まれてます。
理論的な要請として、
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だと感じます。


最後に、そのご臨終の話を語りたいと思います。
ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、
オランダ中の電話が3分間電話が止められました。
英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォード_
お別れの言葉を述べる中で多くの人が
ローレンツを惜しみました。


お花の定期便【Bloomee LIFE】


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/24_初版投稿
2021/05/26_改定投稿


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2021年05月21日

江崎玲於奈 _【2021/05/21_原稿改定】

登場場所の整理をしていますが、以下にSEO対策で「江崎玲於奈」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介で銀杏並木を使いました。筑波大学時代もありますが何時か取り入れようと思います。。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。4/29(木)朝の時点でフォロワーは合計【11785】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。


【以下が投稿原稿です】



 
概説

江崎玲於奈は先の世界大戦時代の物理学者です。電子デバイスを発明してスゥエーデンのグスタフ国王からノーベル賞を受けています。量子力学を深く理解して、その原理を応用したトンネル効果を応用したデバイスでした。因みに、このグスタフ国王って面白い人で、結婚式の披露宴にABBAを呼んだら新曲のダンシング・クィーンを披露してくれて、それが世界的な大ヒットになったという逸話なんかがあります。その国王が26歳で初めてノーベル賞を手渡した一人が江崎玲於奈だったのです。別の一人はブライアン・ジョゼフソンとでした。1973年、江崎玲於奈48歳の時でした。そこで彼は国王に『自然科学の成果を称える式典では「人種や差別無く」違った国から人々が集まってくるのだ』、と喜びを伝えました。



江崎玲於奈の業績

デバイス工学においてミクロの性格を応用することはとても重要です。対象としているデバイスの中で量子的な性格が顕著に表れる部分を応用すると従来の考えでは予測できなかったような機能が使えるようになったのです。



晩年の江崎玲於奈

江崎玲於奈は学者という立場で活躍した後、筑波大学等で教育者として活躍しています。第2の人生をしっかり歩んでいて、とても尊敬出来ます。更に語りたい部分はありますが、江崎玲於奈氏はご存命中なのでここまでと致します。書き足したい気持ちはありますが、半面で少しでも静かに長生きして頂きたいと思っています。



〆最後に〆



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/27_初版投稿
2021/05/13_改定投稿


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