その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・
ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン
:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien
熱力学における黒体放射の研究で有名です。
ヴィーンは東プロイセンで農夫の子
として生まれ、ベルリン大学でヘルツ
の元で学位を取ります。そこでの
学位論文は光の回析特性でした。
レントゲンの後任としてヴュルツブルク大学
で教鞭をとっています。
またヴィーンはドイツ物理学会で会長
を努めていて、前任はゾンマーフェルト
でした。
さて、ここまでヴィーンの記載を
調べていて断片的な印象を持ちました。
人柄が伝わらないのです。考えてたら
時代背景が大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれ
ドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパは大戦を経ていて
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。
ヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは独自のものとなって
いたと考えます。修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする
現代とは異なった環境にあったのです。
ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
が成された形跡はありません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。
私の理解不足もありますが、
マッハとボルツマンの考え方の差異
が思い起こされます。ヴィーンもまた
伝統的な枠組みの中で葛藤していたの
でしょうか。いつかまた考えてみたい
と思えてきました。
それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。
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2020/11/09_初回投稿
2021/01/21_改定投稿
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