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ブログ記事「1円の威力」


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2008年09月25日 Posted by のろ at 06:51 | さだコラム | この記事のURL
償い


人間って哀しいね



この「償い」という唄は、1982年に発売されたさださんの7枚目のアルバム「夢の轍(わだち)」に収録された曲です。先年に発売された「うつろひ」を最後にしばらくさださんのアルバムは買っていません。さださんには申し訳ないのですが、貸しレコード(1982年当時は、まだCDが出回っていませんでした(T_T))をカセットに録音して聴いていました。

「極光(オーロラ)」「人買」「前夜(ニッポニア・ニッポン)」「退職の日」を収録したこのアルバムは、僕にとって曲単体ではなくアルバムとして聴きたい作品の一つです。


このアルバムを聴いた当時、僕はまだ高校生でした。しかし、この「償い」という曲を初めて聴いた時の印象は、今まで僕が聴いてきた曲とは全く違う・・・なにか身に迫る緊張感があったことを今でも憶えています。


暗い・・という感じとは違う・・・「重い」といった感じでしょうか?

それまでの曲の中にも同じような感覚の曲はありました。しかし、この曲の重さはそれとは違っていました。なんというか・・・耳を塞ぎたいというか?・・そう、何故かは解らないのですが、無性に怖かったのだと思います。


その後、大きなトラックに乗るようになってから、さだファンの友達とこの曲について酒を呑みながら話したことがあります。彼はその時「なんか引っかかるよね」と言いました。僕も同感で、「どうしてだと思う?」といった話をしたと思います。


その時、彼がぽつりと言った一言

「人間って哀しいね」ってところかなぁ・・。

そう、まさしく僕もそうだったのです。


旦那さんを死なせてしまったという「償い」の気持ちを「仕送り」の形にして毎月郵便局へ通うゆうちゃん。人に「貯金が趣味のしみったれた奴」と云われようとも笑いながらも一人郵便局へと通う。

事故から7年が過ぎた後、被害者の奥さんから便りが届く

「もう仕送りは止めてください。それよりどうか、あなたの人生を元に戻してあげて欲しい」

そして「人間って哀しいね」の叫び(唄の中では叫んではいません)。
でも、叫んでいるようなイメージが僕にはあります。


−歌詩引用−
「人間って哀しいね、だってみんな優しい。それが傷つけあって庇いあって・・・。」


悲しいのは、『事故を起こしてしまった哀しみ・人を殺してしまった哀しみ・愛する亭主を殺された哀しみ・自分の中にある罪が消えない哀しみ・人の罪を許せない哀しみ・時間が経ってしまう哀しみ・それぞれが人間である哀しみ』


交通事故を起こすと行政・刑事・民事として裁かれます。行政は免許取り消し、刑事は懲役、そして民事は賠償責任。もちろん、社会的な制裁として職を無くすということもあるでしょう。しかし、人としての償いはその限りではありません。決して許される罪は無いのだと思います。

さださんの唄う「償い」は、人が人を許すという究極を唄っているのだと思います。


この唄は一度、世田谷三軒茶屋駅ホーム傷害致死事件の公判中に裁判長が引用したことで話題となったことがあります。裁判長もさださんの唄を聴いていたんですね(^^♪

しかし、もし加害者にまたは被害者になったとしたら・・・この唄の「ゆうちゃん」のような償いが僕に出来るのかどうか?そして、被害者の奥さんが言ったような「あなたの人生を・・・」という言葉を掛けるだけの勇気が持つことが出来るだろうか?

この唄は、人間としての業を理解した上で、僕達に「どうする?」という言葉を突きつけているのだと思います。普段、当たり前のように車を走らせ、人と話し、夢を語っている僕達ですが、いざ人を傷つけてしまったときに、逃げずに罪を償えるのか?

最近、「手紙」という日本映画を観ました。まさしくこの「償い」の世界だと思いました。

「当たり前に暮らせる毎日」がどれほどありがたいものか?今でもこの曲を聴く度に考えさせられています。

−09.2.17 追記−
▼YouTube動画【キミハ・ブレイクで放送された「償い」の動画】

キミハ・ブレイク 「償い」1/2


キミハ・ブレイク 「償い」2/2





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2008年09月24日 Posted by のろ at 04:43 | 日々のコラム | この記事のURL
王監督、お疲れ様でした(T_T)


福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が今期限りでユニホームを脱ぐことを決意されました。思えば・・・巨人の監督に就任されてから今まで、つねに苦労の毎日だったと思います。

ある意味、古巣の巨人軍監督から西の外れの福岡に来て、世界の王の肩書きの重さに辛い日々を過ごされていた時期もあるかと察していました(T_T)

成績が振るわず、「帰れ!」「ヤメロ!」の声をスタンドから掛けられていたことも知っています。生卵を投げつけられたこともありましたね。それだけにホークスがリーグ優勝・日本一になったときは球団のファンでなくても感動しました。

福岡に来られてから、地元ファンから受け入れられるまでには大変な苦労があったかと思います。でも、王監督のお陰で福岡にホークスが根付いたことは間違いありません。それだけに、福岡の・・・いえ、福岡出身のファンにとっても、無くてはならない存在になっているんだと思います。

福岡にいる姉に電話をすると、「ホークスがねぇ・・」なんて話がいつも聞かれます。僕が福岡を出たときにはまだドームもホークスもなかったもので、今でもピンとこないところがありますが・・・。


正直言うと、姉が羨ましく思えたり、少し寂しい思いがしたりしていました。でも、僕がそんな気持ちになるということこそ、地元にホークスが根付いた証拠だと思います。


僕が栃木に来た当時は、西武ライオンズの全盛期でした。好きだった西鉄ライオンズ繋がりから夢中になって応援していたあの頃・・・。

秋山選手や工藤選手が(当時ダイエー)ホークスに入団してはじめてホークスを認識したくらい、僕にとっては馴染みのない球団でした。また、あぶさんや門田さんの影響から、あの緑カラーのユニフォームの南海ホークスが好きだった分だけ今のホークスに馴染めなかったところもあります。


僕にとって栃木って町は、いつも他人の町だと頑なに思い続けて来たところがありました。でもふと気づくと、いろんな苦い経験をさせてもらって、しかも所帯まで持たせていただいた今では、福岡こそが他人の町のような気がするときがあります。

ホークスは、その象徴だったのかもしれません・・・(T_T)


王監督、お疲れ様でした。そして、世界一になったWBCでのご活躍には心底興奮させていただきました。出来ることなら、もう一度WBCの監督として采配を揮って欲しかった・・・と今でも思わないわけではないですが、少し身体を休めていただいて、また元気な姿でユニフォームを着てくれることを楽しみに待っています。


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2008年09月23日 Posted by のろ at 01:28 | 映画日記 | この記事のURL
映画「二百三高地」について


さだまさしさんの「防人の詩」を題材として記事を書いたことから、「二百三高地」を観なおしてみました。

この作品は日露戦争・・・特に激戦だった旅順攻略戦を描いた映画です。この映画が公開された1980年(昭和55年)は、何故かしら?スケールの大きな戦争映画がヒットしていた時代でした。F・コッポラの「地獄の黙示録」もこの年に日本公開されています。


しかし何度観ても、古賀武志中尉(あおい輝彦さん)が輝いて見える映画ですね(^^♪

開戦前、小学校の先生を勤めていた古賀武志は教え子に対して、


「美しい日本」「美しいロシア」


と教えているように、トルストイとロシアを最も敬愛していた人物でした。


しかし、激戦の最中に彼が云った言葉・・・

「ロシア人はすべて私の敵であります。・・・(中略)・・・最前線の兵には対面も規約もありません。あるものは生きるか死ぬか・・・それだけです。死んでいく兵たちには国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です。灼熱地獄の底で鬼となって焼かれていく苦痛があるだけがです。その部下たちの苦痛を・・・乃木式の軍人精神で救えるのですかぁ・・・!」

このセリフの中には、実戦を通じて壊れていく一兵士の苦悩が感じられました。


しかし旅順攻略戦とは、そう言いたくなるほど人が戦死した戦いだったのです。

日清戦争戦没者数      977名
日露戦争戦没者数     55,655名
※アジア歴史資料センター調べ

旅順攻略戦の戦闘では大きな戦いが3回ありました。中でも第一次戦闘に於いて約1万5000人もの兵士が亡くなったという事実をみても、この戦争が如何に厳しいものだったのかが解ります。


この映画の脚本を担当された笠原和夫さんが云っていた『当日の天気まで記した巻物のように長い年表を作成した上で、当時の時系列や状況を徹底して調査・取材を行い、膨大な資料を収集した上で脚本を執筆した・・・』とあるように、日露戦争・・・特に旅順攻略戦の史実に基づいて丁寧に描かれている映画でした。


終戦を迎え、乃木希典将軍(仲代達也さん)が明治天皇の前で戦勝報告をするシーンがあります。その晴れの舞台で乃木将軍は泣き崩れてしまいます。

戦時中、多大な犠牲者を出し「乃木の人殺し!」の言葉で溢れた前編とは違い、結果、日本の勝利に終ったことで「乃木将軍、万歳!」に変わる後半。

それ故に、戦争肯定映画としてバッシングを受けると同時に、主題歌「防人の詩」を歌ったさだまさしさんも「お前は右○か!」とバッシングを受ける結果となりました。

しかし・・・この作品は本当に戦争肯定映画なのでしょうか?




日露戦争という戦いを詳しく知っている人が、今の日本に何人いるでしょう?

僕が学校で習った日清・日露戦争は、年代だけでスルーされていた記憶があります。というよりも、江戸時代以前のことは時間をかけて習った記憶がありますが、戦争・・・特に明治の戦争に関しては、ほとんど年表を記憶したに過ぎない感覚がありました。

しかし、個人的な興味として日露戦争の意味を知ったとき、この戦争の背景、動向、そして勝利は、次に経験する太平洋戦争への布石として重大な位置づけになる戦争だったことに気が付きます。また明治の42年間は、幕末に攘夷を叫んで揺れていた頃とさほど変わっていない時代だったことにも気が付きます。

そして、明治と昭和の戦争が明らかに異なる点として「日本の独立を守る」という大義名分が拡大解釈された結果、「勢力を拡大する」という侵略への道を辿った戦争へと変化していくことにも気が付きます。


これは戦争肯定映画ではなく紛れもない反戦映画です。これだけたくさんの命を懸ける意味が、はたして何だったのか?息子や旦那の遺骨を抱えて歩く女性たちの長い列、意味もなく倒れていく兵士たちの姿。これが戦争の現実。日本だけでなくロシアでもそれは同じことだったと思います。


戦争の事実を隠そうとすること、または興味を持てない、自分には関係ないと思う人の気持ちにこそ「戦争肯定」という言葉が隠されているような気がしてなりません。

毎年8月15日を迎える度に、昭和がだんだんと遠くなるのを感じる現代。不幸な歴史が繰り返されることが無いことを切に祈ります。


(参考記事)
ウィキペディア ⇒ 「日露戦争」

YouTubu映像⇒ 映画宣伝 二百三高地
           さだまさし 防人の詩

のろブロ記事「さだコラム」 ⇒ 「防人の詩」


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2008年09月22日 Posted by のろ at 12:42 | 日々のコラム | この記事のURL
ショックです(T_T)


福岡市西区の小戸(おど)公園で、富石弘輝君が絞殺された事件。故郷で起きた事件だっただけに気になっていました。

今朝のニュースで犯人が母親だったとテロップが流れたときには、妻の話を遮ってまでテレビに釘付けとなりました。まじ、ショックです。

妻曰く 「なんとなく、そんな気がしてた・・・」

僕も弘輝君と同じ歳にトイレで変質者に会った経験を持っています。このニュースを聞いたときにそのことが思い出されてしまって、端っから犯人は変質者だと思い込んでいました。ところがです・・・ショックでした(T_T)


母親が供述したという「子供を殺して自分も死ぬつもりだった」という話はとても信じられるものではないですね。

動機は、犯行を犯したあとに自分の気持ちを日常に戻すために作るもので「信じるに値しない」と京極夏彦さんの本の中にありましたが、彼女のやってきたことはまさしくこの通りの行動でした。

しかし、事件当初から警察は母親を疑っていたこと、当日は一旦家に帰らせる処置を取り、次の日になって自白となった経緯を知るにつけ、そこまで人の心理がわかるんなら、彼女が事件を起こす前に何とかならなかったのか?と残念でなりません(T_T)


ところで昨日、義理の姉が新築したということで東京に行ってきました。姪っ子の子供と半日一緒に居ただけで心底うんざりしてしまったことを考えると、一概に犯行を犯してしまった母親だけを責める気になれないのも正直な気持ちです。


ただ、あまりにも事件のショックが大きすぎたために、最初は、なんて酷い母親だと思ってしまいました。しかし冷静に考えてみると、好き好んで自分の子供を殺す親がいる訳がないですよね。彼女も相当追い込まれていたんだろうなぁ・・と、同情します。

ただ、彼女の心情には同情しますが、犯行後の彼女の取った行動はやはりショックなことでした。

「償い」って言葉を実行することは、死ぬよりも大変なことだと思っています。
まだ若い彼女のこれからを考えると、重い十字架を背負ってしまったことにどうしても同情してしまいます。でも、周りの人たちのことを考えると決して同情してはいけないことなんですよね。


母として女として生きている女性方に対し、尊敬と畏怖の気持ちを持ちながらも逃げ廻ってきた男に言える言葉では無いってことを十分承知した上で、同じ(元)福岡県人として残念だったという思いだけでこの記事を書かせてもらいました。


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2008年09月17日 Posted by のろ at 13:59 | 映画日記 | この記事のURL
街の灯(超・長編です)


不況のニュースを見たことから、何故だか無性にチャップリンさんの映画が観たくなりました。僕はチャップリンさんが大好きで、彼のビデオだけで24本を所有しています。
中でも「ライムライト」と「街の灯」が大のお気に入り。

きっかけがアメリカ発の不況ってこともあって、今回は「街の灯」を観ました。
※最初に言っておきます。いつもダラダラと長話をしてしまう僕のブログですが、この映画には特に思い入れがある分だけ超・長くなると思います。これに懲りず、頑張ってお付き合いいただけたら嬉しいです(^^♪

アメリカ発の不況で思い出すのが、1929年10月24日に起こったブラック・サースデー(暗黒の木曜日)、続く29日にウォール街の株価大暴落(ブラック・チューズデイ)によって起こった世界大恐慌。この映画が制作されたのは、ちょうどこの不況と同時期のことでした。


チャップリンさんはこの「街の灯」に2年と10ヶ月の歳月をかけました。撮影に入る直前、彼のパントマイムに大きな影響を与えたお母様を亡くされたこともあって、とても思い入れの大きな作品だったのかもしれませんね。


1927年12月より製作が開始され、翌年の12月から撮影開始されたものの、役者解雇によるすべての登場シーンの撮り直しや花売り娘役の解雇と再起用。この映画の一番の見所?の浮浪者と花売り娘との出会いのシーンでは、たった3分にも満たないこのシーンに膨大な時間とフィルムが費やされた結果、NG回数は世界映画史上最高とも云われます。

結局撮影を完了したのは1930年の10月で、公開されたのが1931年の2月のこと。

これだけの映画になると逸話も多く、試写会の会場では「あかんべー」のアインシュタインさんと並んで映画を観ていた話や、観客に全くうけなかった話など、有名な話がたくさん残されています。

当時のお金で200万ドルもかけた作品ですが、アメリカ公開だけで純利40万ドルは凄いと思いませんか?その後、ヨーロッパや日本でも公開されているわけですから、この映画の人気は相当なものだったことがわかりますね。



僕が子供の頃によく観ていた彼の映画は、暴力的などたばた喜劇という印象でした。先日、北野武監督が言ってらした「笑いを表現する人ほど暴力映画が得意」という話には、チャップリンさんの映画とだぶる感じがしたものです。

また映画の中に、賭けボクシングをやるシーンがあります。このシーンでは、唯一昔の彼を感じることが出来ます。しかし、ただの暴力的などたばた喜劇ではなく、リング上にいるチャップリンさんと相手選手とレフリーの3人の「間」の見事さに感動します。ほとんどカット割がされずに撮影されていることを考えると、余計にこのシーンの凄みを感じます。

余談ですが、僕は作り込まれた笑いが大好きです。落語やドリフ・てんぷくトリオさん達の笑いが大好きでした。ベタベタのわざとらしさがある笑いの中には「しっかりと計算された間」があります。わかっているのに笑ってしまう。そんな安心して楽しく笑える笑いが好きです。ですから、その場の勢いや楽屋落ちの笑いは・・・決して嫌いじゃないけど苦手です。


最初のシーンにある「平和と繁栄の記念碑」を公開する場面では、除幕された像の中で寝ている彼の姿があって笑えます。仕事がなく浮浪者で溢れる恐慌の中で「平和と繁栄」という虚像への痛烈な批判が込められているシーン。思いっきり馬鹿にしているチャップリンさんを見るにつけ、自然と笑いが込み上げます。

また、トーキー時代が始まって尚サイレント映画にこだわった彼の皮肉が見られるのもこのシーンを観る楽しみの一つです。記念の演説をする人間の声がサキソフォンの音だってことも喝采ものです(^^♪



彼の映画を観ながら良く考えることがあります。それは、

彼の映画をリメークしたとしたら・・・どんな映画になるんだろ?ってことです。映像の綺麗さや音響の良さは確かに良くなるだろう・・・でも、いくら映画のストーリーだけを似せたとしても、カット割が多く説明セリフで溢れた映画を観て、彼以上の映画だと感動できることがあるだろうか??

役者を誰にするか?設定をどうするか?とか、一応、無い頭で考えてみるのですが、いつも結論は一緒です。

いくら映像や音が綺麗でも、いくらお金を掛けても、いくら名優を揃えても、そして、いくら言葉を並べてみてもチャールズ・チャップリンさんの映画を超えることは無理だと思います。


だからこそ僕は、チャップリンさんの映画をまた観たくなってしまうんです。





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2008年09月17日 Posted by のろ at 10:03 | 日々のコラム | この記事のURL
あぁ〜ぁぁ・・やんなっちゃった♪


米国のサブプライムローンの焦げつき騒ぎから始まった金融不安が、ついに証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻へと波及しました。ニュースや新聞で「リーマン」の文字を見ると、「(サラ)リーマン」をイメージする人も最初は多かったのではないでしょうか?

何を隠そう!僕もその一人!!昨日のNステを見るまでは、単純にそう思っていました落ち込み

番組の中に突然、「AIG」の言葉が出てきました。どこか人事だったニュースが一転、

ゲッ・・僕にも身近な話じゃん!

と驚きました。実は、妻の友達が「AIG生命」に勤めている関係から、僕の家族全員が「AIG☆」に加入しているんです。


外資は安全・・・といった話は、すでに過去の話になったのか!

その後のニュースで、「AIG」には問い合わせが殺到(そりゃそうだろ!)とあり、「AIG」のホームページを見ると「契約者への保険金支払について問題はない。安心しなさい。」と書いてありました。とはいうものの、「契約が取れん!」と騒いでいた妻の友達にも、もちろん僕自身にも更なる不況の波が迫っているのでしょうか?


アメリカ発の世界不況といえば、1929年に起こった世界大恐慌が思い出されます。このときは、第二次世界大戦とファシズムと共産主義の台頭が起こりました。1987年に起こった暗黒の月曜日では、バブルの膨らみが加速しました。バブルが弾けた結果、めぐり巡って栃木の足利銀行が破綻。その煽りを受けた形で僕の身近なところでも倒産に追い込まれたりしました。

今回の騒動は、暗黒の月曜日並みかも?の言葉が耳に入るにつけ、これ以上の不況になったらどうなっちゃうんだろ?って、とても不安です。


首相選挙中の麻生さんが言っちゃった「岡崎だったから良かったけど・・・」の失言を聞いたときのように「あぁ〜ぁ」と言いたくなる心境です。


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2008年09月16日 Posted by のろ at 09:28 | 日々のコラム | この記事のURL
おでんけいって・・・??


幾つになっても昔のまんま・・と思っているのは自分だけでしょうか?若いつもりでいても、確実に老けていってるんですね(T_T)

僕は今、コンビニのバイト6割、ホームページ制作を4割でなんとか生計を立てています。方やホームページの仕事は夜中もしくは午前中をメインに活動していますが、コンビニの方は夜勤なので夜中がメイン・・・つまり、どっちに転んでもあまり日が当たらない生活を続けている訳です。我ながらなんとも不健康な話です・・・。


先日の深夜・・・というか朝方。4時ごろだったか?

この日はバイト先のコンビニにお巡りさんが頻繁に訪れる日でした。もちろんお客さんとしてではありません。お巡りさんが帰ると決まって若い人(10代)が店内にたむろしていました。


なるほど・・お巡りさんは彼らが目当てだったのか。


しかし、最近の若い人(この言い方には未だに抵抗がありますが・・・)の言葉は理解できません(T_T)


9月に入っておでんの販売が始まりました。さすがに4時ごろともなると、おでんの販売は終っています。しばらくの間、コンビニ外で赤色灯を回していたパトカーが帰ると、お決まりの若い子が入ってきました。このときは10代の女の子3人。


しばらく店内を騒がしく歩いていた彼女達でしたが、その中の一人が僕に話しかけてきました。

「おでんけいって・・・・。」


ちなみに、「・・・・。」は良く聴き取れなかったところを現しています(^^♪


僕は最初、何を云われているのかわからずにポカンとしていると、その様子を察してか?(いや絶対!・・・このおじんには伝わらないんだと感じたんだと思う・・・)彼女は、

「おでんってありませんか?」

と、まともな言葉を使ってくれました。

あぁ・・おでんの話か!と思った僕は、

「すみません、おでんは終ってしまって。4・50分は掛かりますが・・・」と答えると、

「そんなに掛かるならいいや」

って感じでおでん鍋から離れていきました。


今さっきの「おでんけいがどうたらこうたら・・・。」って、何だったんだろ?

そんなことをつらつら考えていると、

「あぁ・・おでん系」のことか!と理解できました。朝方で少しボーっとしていたとはいえ、直ぐには理解できなかった言葉。


それからの約1時間ほどは彼女達と時間を共有していたと思います。彼女達はどうやら彼からの電話を待っていたらしく、出たり入ったりを繰り返していたのち、男の登場とともに姿を消しました。


つうか、朝4時ごろだというのにお巡りさんに職質かけられてる君達って何やってんの?って思いで、「親は何やってんだろ・・・」なぁんて偉そうなことを考えてたりして、この時ほど自分の年齢を感じた時はなかったと思います。


考えてみると「○○系」って言葉は、僕の若い頃に流行った言葉です。それを聞いても理解できないくらい歳を取っていたのか?というショックと、どう考えても親子だよなぁ(^^♪・・・というWショックをまともに食らった出来事でした。

この歳になって、深夜のコンビニでバイトしている僕って・・・。

なぁ〜んてことも少しは考えてたりして、これでトリプルショック!


でも、色々あった人生なんだもん、後悔なんてしてないさ!


と言い訳をしつつ、バイト明けの明るい光のなかでタバコを吸っている僕でした。


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2008年09月15日 Posted by のろ at 09:45 | 日々のコラム | この記事のURL
チロルチョこたつって何だ!


今日の読売新聞を読んでいて驚きました(@_@;)

一面全部に「チロルチョこたつ」プレゼントの広告が掲載されています。

これは、読んで字の如く・・・チロルチョコモデルのコタツがもらえるキャンペーンの広告です。なんでもチロルチョコが四角い一粒バージョンになってから30周年ってことで、この大型?キャンペーンが始まったそうです。僕にとっては3連バージョンで当時20円だったチロルチョコの方が身近なんだけどなぁ・・(T_T)


とにかく実にくだらねぇ!・・・とはいいながらも、なんか無性に可笑しくって(^^♪

特に写真下に小さな文字で書いてあった言葉がまたいいんです。


※写真はイメージです。おばあさんと猫とみかんは賞品ではありません・・・


云われなくてもわかるっつうの・・・(T_T);


別にコタツが欲しいわけじゃなかったけど、思わず一口乗っちゃいました(^^♪
仮に・・・いや、絶対に「ネエコバック」はもらえる(はず)だから損はしません。
興味のある方はご一緒しませんか(^^♪


詳しくはこちらをどうぞ ⇒ チロルチョコ株式会社キャンペーンサイト


しかし・・・ホームページとQRコードまで用意してるのに、あんでハガキでしか応募できないんだろ??でも、そこがまた面白いんだけどね(^^♪


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2008年09月13日 Posted by のろ at 03:06 | 映画日記 | この記事のURL
おくりびと(感想)


今年話題の映画「おくりびと」を観てきました。恥ずかしい話ですが、何度か声を出さずに涙と鼻水を流してしまいました(隣にいたおばさんは終始泣いてたけど(T_T);)。

嫁と一緒に見に行ったのですが、映画が終って感想を聴いてみたら

「筋書きが読めたから、期待したほど感動しなかった・・・」との答え

僕は、この映画の「静けさと温かさ」にドップリと浸って観ていたもので、筋書きの話をされたときにはちょっと意外・・って感じがしました。しかし、同じ空間で同じ映画を観ていても人それぞれ感じ方は違うものなんですね(^^♪



滝田監督は、この映画の中で納棺師の仕事を「こんな仕事」「汚らわしい」「早くまともな職に就け!」という言葉で表現されました。脚本の小山薫堂氏が云ってらしたことですが、最初は差別的な云い方をしないようにオブラートに包んだ表現で書いていた脚本だったそうです。それをあえて厳しい言葉にこだわった滝田監督。

しかしこれは、納棺師や葬儀屋がしている仕事の凄さに対して最敬礼の賛美をいただいたのだと僕は思います。これらの言葉のお陰で、美装の現場に立ち会ったご葬家からいただく「ありがとう」という言葉に凄みがでているのだと感じました。



さて、この映画には石文(いしぶみ)という素敵な伏線が用意されていました。

まだ言葉が無かった時代、自分の気持ちに似た石を相手に渡して思いを伝えたという「石文」。主人公が子供の頃に使っていたチェロケースを開けると、新聞紙に包まれた石ころが出てきます。


物語が進む中でこの「石ころ」の存在感が増してきます。


そして、子供の頃に別れた父との再会。しかしそれは悲しい再会でした。

亡骸を目の前にして主人公は、父の70何年の人生がたった荷物2つなのか・・・とつぶやきます。その思いを足蹴にして棺を持ち込む葬儀屋。これには僕も心底腹が立ちました。

人の死に慣れている葬儀屋だからこそ「もっと遺族に気を使わんかい!」と思ってしまったシーンでした。これが自分ごとだったら・・・、決して許せなかったと思います。

でも、それだけにこの時の本木さんの姿が一番心に残っています。

この時、妻(広末さん)が云った一言・・・

「主人は納棺師なんです」


この言葉で観ている人がどれだけ救われたことか。最初「汚らわしい」とまで云い捨ててた彼女から出た言葉だからこそグッときました。


僕の親父が死んだとき・・・
一晩中、誰もいない式場に置かれたままにされていた親父の棺。未だに後悔しているんです。せめて最後の晩だけでもそばにいて通夜ができなかったのか?って。

当時も今も変わらない・・・ちっとも成長できない未熟な自分を悔いながら映画を観ました。


主演が本木さんだったこと、奥さんが広末涼子さんだったこと。納棺師の社長が山崎努さんだったこと。音楽が久石譲さんだったこと。すべてに感謝です。僕はこの映画をもう一度観たいと心から思います。


予告編が観られます ⇒ おくりびと公式サイト

脚本家:小山薫堂さんの話が読めます ⇒ eiga.com

葬儀たそがれ日記 ⇒ 「納棺師の記憶」


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2008年09月10日 Posted by のろ at 16:58 | 映画日記 | この記事のURL
試写会に行って来ます(^^♪


マロニエリビングで申し込んでた「おくりびと」の試写会ご招待チケットが当たりました。

今回の試写会に外れたとしても観に行こうと考えていた分、人よりも早く、しかもタダで観られるってことに「感謝!感激!雨こんこん!」の気分です(^^♪♪♪♪


映画「おくりびと」への僕の思い入れは、以前このブログでも書いたことがありますので、興味のある方はご覧ください・・・かなり長いけど(@_@;)

≫≫ 納棺のはなし

≫≫ おくりびと公式ホームページ(p_-)

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