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2008年10月28日 Posted by のろ at 23:46 | さだコラム | この記事のURL
秋の夜長もさだまさし


先日、フジテレビの球体展望室「はちたまスタジオ」から生放送されたNHKの番組「秋の夜長もさだまさし」をビデオで観ました。というのも、放送されたときはバイト中でリアルでは観れない・・・つまり、ビデオに録画⇒そして今、はじめて観た(T_T)という構図です(^^♪


切欠はどうであれ、NHKの番組を民放局と共同放送した事実は、今後、いい相乗効果を生むことでしょうし、地デジは放送局共通の案件なのですから、この一歩は思っている以上に大きなものなのかもしれませんね(^^♪


とはいえ、NHKと民放は「ジキルとハイド」ほど違うと言ったさださんのコメントには笑いました。NHKのアナウンサーが退職後、民放に出演することはあれ、逆は・・・まずない(^^♪

また、「薩長同盟ですか?」という言葉に、どこの幕府を倒すんだ!と言ったコメントも(笑)です。

NHKスタッフも相当フジテレビに気を使っていましたね。途中ジングルが流れる場面では「フジテレビから〜お台場から〜」のアナウンスを入れる念の入れよう(^^♪

NHKアナウンサーの小野文惠さんもフジアナウンサーの中村仁美さんにかなり気を使われていたこともヒシヒシと伝わってきました。ただ、その構図が崩れたのが地デジの説明を中村アナがしていたとき。急遽BSとCSの違いについてさださんが突っ込んだ時に、中村アナが・・・


「BSは無料、CSは有料」

と言ったあとにNHKアナの小野文惠さんが

「BSとCSは衛星が違うこと、BSにも有料チャンネルがあること」

を補足した場面。これで小野アナもかなりリラックスされたように感じました。


まったく・・番組で起こったことを書いているとキリがないですね(^^♪

でも、もう一つだけ(^^♪
フジで放送予定のさださんの曲「親父の一番長い日」を基にして制作されるドラマの最終許可を番組の中でさださん本人に取ったり、毎年NHKで放送される「年の初めもさだまさし」を今年もやるのか?の結論を番組の中で出したりする場面もいいものだなぁ・・って思いました。

それだけ、さだまさしの利用価値が高いことと、人望が大きいってことを証明しているってことですものね(^^♪


いつまで経ってもさだファンをやってると、ほんと飽きる暇がないですね(^^♪
でもこれは、ファンにとっては最高のことです。僕が同じ時代を一緒に生きてきたって思える理由もここにあります。

決して派手さは無い?のかもしれないですが、ライブにこだわってきたさださんの偉業は、何も芸能ニュースの中だけに記録されているものではありません。

長年続けてこられたラジオの深夜放送「セイヤング」をはじめ、車を転がしていた時期にずっと聴いてきた文化放送にも頻繁に登場してくれたさださん。そして、アルバムに書かれているライナーノーツの中にある独特の世界観。もちろんアルバムに込められた数々の物語。

さださんを通じて、時に泣いて、時に笑った経験を共有している仲間は少なくないと思います。長い人生の中でさださんの存在は、いろんな意味で僕の力になってくれました。もちろん、これからもそうです(^^♪


今年の年末・年始に放送決定!
「年の初めはさだまさし(NHK)」
紅白が終わって除夜の鐘がゴーン!!となって年があらたまったら放送されます(^^♪

NHKサイト ⇒ 「お台場から生放送!秋の夜長もさだまさし」

【ニコニコ動画】さだまさしのセイヤング21 2003年3月10日地方放送分(1時間枠)


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2008年09月25日 Posted by のろ at 06:51 | さだコラム | この記事のURL
償い


人間って哀しいね



この「償い」という唄は、1982年に発売されたさださんの7枚目のアルバム「夢の轍(わだち)」に収録された曲です。先年に発売された「うつろひ」を最後にしばらくさださんのアルバムは買っていません。さださんには申し訳ないのですが、貸しレコード(1982年当時は、まだCDが出回っていませんでした(T_T))をカセットに録音して聴いていました。

「極光(オーロラ)」「人買」「前夜(ニッポニア・ニッポン)」「退職の日」を収録したこのアルバムは、僕にとって曲単体ではなくアルバムとして聴きたい作品の一つです。


このアルバムを聴いた当時、僕はまだ高校生でした。しかし、この「償い」という曲を初めて聴いた時の印象は、今まで僕が聴いてきた曲とは全く違う・・・なにか身に迫る緊張感があったことを今でも憶えています。


暗い・・という感じとは違う・・・「重い」といった感じでしょうか?

それまでの曲の中にも同じような感覚の曲はありました。しかし、この曲の重さはそれとは違っていました。なんというか・・・耳を塞ぎたいというか?・・そう、何故かは解らないのですが、無性に怖かったのだと思います。


その後、大きなトラックに乗るようになってから、さだファンの友達とこの曲について酒を呑みながら話したことがあります。彼はその時「なんか引っかかるよね」と言いました。僕も同感で、「どうしてだと思う?」といった話をしたと思います。


その時、彼がぽつりと言った一言

「人間って哀しいね」ってところかなぁ・・。

そう、まさしく僕もそうだったのです。


旦那さんを死なせてしまったという「償い」の気持ちを「仕送り」の形にして毎月郵便局へ通うゆうちゃん。人に「貯金が趣味のしみったれた奴」と云われようとも笑いながらも一人郵便局へと通う。

事故から7年が過ぎた後、被害者の奥さんから便りが届く

「もう仕送りは止めてください。それよりどうか、あなたの人生を元に戻してあげて欲しい」

そして「人間って哀しいね」の叫び(唄の中では叫んではいません)。
でも、叫んでいるようなイメージが僕にはあります。


−歌詩引用−
「人間って哀しいね、だってみんな優しい。それが傷つけあって庇いあって・・・。」


悲しいのは、『事故を起こしてしまった哀しみ・人を殺してしまった哀しみ・愛する亭主を殺された哀しみ・自分の中にある罪が消えない哀しみ・人の罪を許せない哀しみ・時間が経ってしまう哀しみ・それぞれが人間である哀しみ』


交通事故を起こすと行政・刑事・民事として裁かれます。行政は免許取り消し、刑事は懲役、そして民事は賠償責任。もちろん、社会的な制裁として職を無くすということもあるでしょう。しかし、人としての償いはその限りではありません。決して許される罪は無いのだと思います。

さださんの唄う「償い」は、人が人を許すという究極を唄っているのだと思います。


この唄は一度、世田谷三軒茶屋駅ホーム傷害致死事件の公判中に裁判長が引用したことで話題となったことがあります。裁判長もさださんの唄を聴いていたんですね(^^♪

しかし、もし加害者にまたは被害者になったとしたら・・・この唄の「ゆうちゃん」のような償いが僕に出来るのかどうか?そして、被害者の奥さんが言ったような「あなたの人生を・・・」という言葉を掛けるだけの勇気が持つことが出来るだろうか?

この唄は、人間としての業を理解した上で、僕達に「どうする?」という言葉を突きつけているのだと思います。普段、当たり前のように車を走らせ、人と話し、夢を語っている僕達ですが、いざ人を傷つけてしまったときに、逃げずに罪を償えるのか?

最近、「手紙」という日本映画を観ました。まさしくこの「償い」の世界だと思いました。

「当たり前に暮らせる毎日」がどれほどありがたいものか?今でもこの曲を聴く度に考えさせられています。

−09.2.17 追記−
▼YouTube動画【キミハ・ブレイクで放送された「償い」の動画】

キミハ・ブレイク 「償い」1/2


キミハ・ブレイク 「償い」2/2





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2008年09月03日 Posted by のろ at 10:17 | さだコラム | この記事のURL
水底の町


さださんの曲を聴いていると、ときどき妙に気になる曲と出会うときがあります。この「水底の町」もそのひとつでした。

歌詞の内容はこうです(^^♪

(水底の町 ストーリー)
故郷がダム建設のために水底に沈んでしまった。今は都会で一人暮らしをしているが、どこか?自分が自分でないように感じる時があったりする。
雨の少なく渇水の年には、ダムの水量が減って水底の故郷が顔を出すときがある。ダムに立って懐かしい故郷を眺めていると・・・・

(水底の町 歌詞抜粋)
今故郷が 僕に向かって 大丈夫か?と尋ねてくれている

大丈夫 大丈夫 大丈夫・・・・・


さて?故郷からの「大丈夫か?」との問いに対して「大丈夫」とはこれ如何に???


しばらく忘れていた妙な気持ちが再び動き出したのは、さださんの小説「解夏(げげ)」の中にあった「水底の村」という話を読んでから。



栃木県を舞台としたこの小説は、読み進めるにつれ何故かしら涙でぼろぼろになってしまった作品です(T_T)
読み終わったときに無性に「水底の町」を聴きたくなったこともよく覚えています。

今回、「水底の町」をブログに書きたくなったのは、積年の妙な気持ちとこの機会に向き合ってみたくなったから。うろ覚えになっている「水底の村」を読み返してみて強く感じたことは、この物語の根底には「般若心経」があったのか、ということでした。

前にも一度読んでいるのに、当時はまったく心に響かなかった「般若心経」。

主人公がダム底から姿を現した故郷と向かい合ったことで、今まで理解できなかった「色即是空」の意味を悟る場面が物語の後半にあります。


少年にお母さんの故郷を見せてあげようと二人乗りのカヤックで湖面を進む主人公と少年。カヤックが自宅を見下ろすところまで来たところでこの物語の主人公は、


僕は今、当時空中だったところにいてかつて住んでいた自宅を見下ろしている・・・

「色即是空だ!」

ふと、主人公の中で何かがはじける。

『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』

実体があるということと実体がないということは全く違わない。実体がないということと、実体がある、ということはつまり全く同じことなんだ・・・。

今まで写経をつづけてきた主人公が、初めて「色即是空」の意味を悟った瞬間でした。

「長い旅をしてきた。みんなそれぞれ懸命に生きてきた・・・それで十分じゃないか」


「水底の町」という歌をもとにして作られた「水底の村」は、歌とは明らかに異なる世界の物語でした。でも、根底にあるのが「般若心経」だってことは共通しているのかもしれませんね。

そう考えてみると、故郷から問われた「大丈夫か?」の言葉に、主人公が答える3つの「大丈夫」の意味が、

「大丈夫?(自問自答) 大丈夫(ひとりごと) (ありがとう、もう)大丈夫・・・」

と云っているように聴こえてきました。

たとえ故郷が水底に沈んでいようと、仮に実体がそこに無くてもあっても、故郷は故郷としてあることに変わらない。形あるものだけに目を奪われてしまうと、人のこころは簡単に迷いの中に飲み込まれてしまうものかもしれない。

さださんがライナーノーツで云っている、
『水底に沈んでしまった故郷というのはひとつの比喩であり、人の心が「何か得体の知れない嫌なものに沈んでしまわないように」』

という言葉の中には、そんな思いがあったのかな?と、今は理解しています。


「水底の町」は、さださんのソロ16枚目のアルバム「夢回帰線U」の中に収められている歌です。





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2008年08月28日 Posted by のろ at 15:44 | さだコラム | この記事のURL
防人の詩


映画「二百三高地」のメインテーマとして作られた「防人の詩」。

当時、コンサートなどで披露されても今一ピンとこなかった曲です。トークの中でも、「お前は右翼か!」と言われていたことに触れ、どっちかというと僕は「ピッチャー(投手)」であると冗談を言っていたことが記憶にあります(^^♪

映画「203高地」が日露戦争の映画であり、日本が常勝を続けていた頃の内容であったが故に戦争肯定歌と言われ、さださんが右翼等のバッシングを受けていた作品でもありました。

しかし今となれば、映画自体は決して戦争肯定の内容ではなく、この曲も「生命」の尊さと儚さを表したものとして認知されています。全く、あの騒動は何だったのか?と思わずにおれません。しかし、それだけ注目を浴びていたとも言えるわけです。

さださんは、コンサートでこの曲を歌う前に必ず前置きしていた言葉があります。

「この戦争のことを詳しく知っておられるお年寄りの方が近くにたくさんおられるはずだから、興味のある方はお聞きになってください。今、詳細を僕が語るべきではないと思いますから・・・。また、この曲を映画の主題歌として聴いてもらわなくっても結構です。」

この時のさださんの心境はどんなものだったのでしょうか?

かなり時間が経ってから映画を観ました。映画自体も素晴らしいものでしたが、エンディングで流れた「防人の詩」の、そのメッセージ性の凄さには体が震えるほどの感動を覚えた記憶があります。


昨日見に行った35周年記念コンサートの中で、さださんがこの曲について語られていました。それは、この曲には原曲があるという話・・・・・

万葉集の中に詠み人知らずの作品として、


鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼



という詩があるそうです。詠み方は

鯨魚(いさな)取(と)り、海や死にする、山や死にする、死ぬれこそ、海は潮(しほ)干(ひ)て、山は枯(か)れすれ

この詩の意味は
鯨取りの漁師に問う。海は死にますか? 山は死にますか? (いいえ、海も山も死ぬのです)死ぬからこそ、海は潮が干(ひ)いて、山は枯(か)れるのです。

という内容だそうです。しかし、たとえ潮が引き山は枯れても、また潮が満ち山は緑に溢れるわけだから、一度死んでもまた戻るという命について語っている詩でもあるのかもしれません。

それが詠み人知らずとして万葉集の中に収められているという事実。1200年も前の日本に、これほどの言葉を操る文化が成熟していたこと自体、日本人として誇るべき事柄ではないのか?

言葉を大切にしない文化は滅びる。日本には言霊信仰があって、言葉は人を殺す力も人を生かす力もある。だからこそ、今起こっている通り魔のような悲しい事件が起こる前に、犯人に対して言葉をかける人があったならば、このような犯行は起きなかったんじゃないのか?

大きな事件を起こしてしまった犯人だって、目の前で溺れている子供に対して足蹴にする様なことはしないはず。必ず手を差し伸べたはずなんだ。だからこそ、この悲しい事件は防げたはずなんだ。

さださんが語っていたのはそんな内容だったと思います。

このトークの後、防人の詩を歌われたさださん。彼が次に手がける小説の題材と、この防人の詩は微妙にリンクしているのでは?・・・と感じたのですが、いかがでしょう?


歌詞を読む ⇒ のろのろさだまさし「防人の詩」

のろブロ「映画日記」 ⇒ 映画「二百三高地」について

YouTube映像 ⇒ さだまさし 防人の詩


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2008年08月28日 Posted by のろ at 13:05 | さだコラム | この記事のURL
さだまさし35周年コンサート


昨日、父の日のプレゼントとして息子からもらった「さだまさし35周年記念コンサート」を見に宇都宮文化会館へと行ってきました。中学1年の時からさださんを聴き始めて早30年。生涯で2回目の生さだまさしさんとの対面でした。

今回、さださんのコンサートを聴きながら、しみじみ30年の時間を感じていました。

思えば、熱狂的なさだファン時代は最初の5年くらいだったかと思います。映画「道化師のソネット」を観たことが切欠でさださんを認識して、一番興味のある時に友達から借りることのできたグレープのライブアルバム「三年坂」。さださんのルーツであるグレープの音楽からスタートできたことが、僕が未だにさだファンの一員でいられる最大の要因だと思っています。

新聞配達で稼いだお金と母に支援されて一気に揃えることができたグレープとさださんのアルバム。姉がラジオから録音してくれたさだまさしコンサートのカセットテープ。こうして考えてみると、僕の中にさださんを取り込むスピードがいかに早かったかを懐かしく思い出すことができます。


今回のコンサートは、さださんの弾き語りが多かったのがとても印象的でした。
ギターのサウンドだけで聴くさださんの楽曲。

「秋桜」「案山子」「天然色の化石」「関白宣言」

往年のスタンダードがしみじみ聴けたのも贅沢なものでした。

オープニングは「唐八景〜長崎小夜曲〜絵はがき坂」、「指定券」「最終案内」「フェリー埠頭」と続いた帰去来・風見鶏・私花集の別れ三部作。
さださん曰く、別れ歌の陸・海・空(^^♪

グレープの楽曲「殺風景」と1部の最後に歌ってくれた「フレディもしくは三教街」。
生フレディが聴けることが僕にとってどれほど嬉しかったか・・・(T_T)

2部は「北の国から〜五郎のテーマ〜純のテーマ〜蛍のテーマ〜北の国から」のメドレーからスタート。「防人の詩」「まほろば」「修二会」、アンコールは「風に立つライオン」。


コンサートが終わり、帰り道で聞こえてきた会話ですが、

「今日のトークは、なんか説教くさかったなぁ・・・」

3時間15分のコンサートの中で、約1時間ほど(^^♪ さださんが語られた言葉についてのトーク。確かに説教くさいと感じた人も多かったろ、と思います。面白いトークを聴きにくるファンの方も多いでしょうから、気楽に笑える内容でなかったのも事実。

でも、僕はそうは思わなかった。さださんの小説「精霊流し」「解夏」「眉山」「茨の木」につづく構想中の作品について、先日テレビ東京で放送された「ソロモン流」という番組の中でさださんが語られていたのを観ていたせいかもしれません。

次回作は、今年秋葉原で起こってしまった通り魔事件に触発されて構想ができたといいます。どうやら人の心の闇をテーマにしているそうです。さださんが説教臭く?語っていたのは言葉について。今のさださんの心境として、語らずにいられないほど心を痛めていたのだと思います。


日本には先人から続く素敵な言葉がたくさんある。しかし、今語られている言葉は・・・・

ボキャブラリーが少ない。会話が少ない。メールは会話じゃない、あれは言いたいことを一方的に押し付けてるに過ぎない・・・等々。

今のさださんに真正面から触れることができたと僕は満足しています。来年?宇都宮にさださんが来たときには、どんな話が聴けるのでしょうか?今から楽しみです(^^♪


宇都宮文化会館裏手の風景です(p_-)


まっさんの愛車が停まってた(^^♪



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2008年06月29日 Posted by のろ at 05:59 | さだコラム | この記事のURL
診療所(サナトリウム)


さださんの作る歌は、『点滴ソング』と呼ばれることがあります。個人差はあるでしょうが、何度か聴いているうちに、体中に染み渡っていくような歌という意味です(^^ゞ

僕の身体の中に、おそらく最初に染みた歌が、この『療養所』だと思います。
特にこの歌詩・・・・


『たったひとつ僕にも出来る ほんのささやかな真実がある それは  
 わずか一人だが 彼女への見舞客に来週からなれること』



歳を取るということが、寂しく感じたのもこの歌からだと思います。人に優しくするとか、思いやるという気持ちは、人としてとても大切なことだと思います。でも時としてこちら側の思い込みが優先してしまうこともあるかもしれません。結局、人にとって自分は第三者なんだって、これを聴いたとき初めて考えたような気がします。


『けれど 人を 哀れみや同情で語れば それは嘘になる』

『思い通りに飛べない 心と動かぬ手足 抱きしめて燃え残る夢たち』



この歌の中にあることは、人が他人に出来る最大限の誠意であるような気がします。何も出来ないということを知った上で、自分に今、何が出来るのかを考えることで、この歌が出した結論は、


『彼女への見舞い客になれる』



この結論が出せるということが、僕とさださんの違いなんだなぁ・・と、この歌を聴いたときに感じました。だから、あの頃と一貫して変わらないさださんの歌と話を僕は好きでいられるんです。


『人生そのものが病室で 僕より先にきっと彼女は出て行く・・』



さださんの歌から、ちょっとだけ人生を考えた瞬間でした。



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2008年06月28日 Posted by のろ at 07:24 | さだコラム | この記事のURL
邪馬臺


『倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。』


その昔・・・福岡KBC放送の特別番組として「さだまさし 邪馬臺の詩」という番組が放送されたことがありました。その番組を僕は完全保存版としてカセットテープに録音して何度も何度も・・何度も聴いていました。

ですから、今でも一字一句思い出せるほど僕の中には残っています。でも、大事にしていたテープは、僕の不注意から雨に濡らしてしまって、今はもう残ってはいません。当時はそれほど感じませんでしたが、今になると、もっと大切にしておけばよかったと残念でなりません。

この番組は、盲目の作家宮崎康平さんが亡くなり、その追悼番組のようなものでした。



宮崎康平さんとは、奥様の和子さんとともに、邪馬臺国の所在を探り、ついに九州邪馬臺国論としての「まぼろしの邪馬臺国」を執筆された方であります。さださんにとって云えば、父と宮崎康平さんが古くからの知り合いだったことから、昔から近所のおじさん的存在の人だったそうです。

さださんはこの番組の中で、「さだまさしが辿る邪馬臺国論」を展開してました。詳細は別に記載するとして結果、邪馬臺国は阿蘇山の麓にあったと結論づけ、今では有明海の底に沈んだと断定しておりました。

ちなみに、この理論の根拠となったのは、

@ 3世紀ごろの糸島半島は、今のような陸続きでは無かったという事実から『水行10日、陸行1月』の謎が説明できる。(糸島水道論:これは事実です【▼下図参照】)

A 都府楼跡から発見された黒い地層を分析したところ、邪馬台国の記述が途絶えた同時期に、未曾有の大嵐が九州を襲い、それに伴う大水害が起きて糸島半島が陸続きになったという新事実を掴んだこと。

B このことは、屋久島にある縄文杉の中に見られる年輪の乱れの時期とピッタリ重なること。

とまぁ、ラジオの中でさださんは、


『これは新発見だ!間違いない事実だ!私は推測ではなく断定したんだ!』


と、興奮しながら叫んでいました(@_@;)



最近の研究では邪馬臺国近畿説が有力になっている傾向にあるみたいですが、なにはともあれ、中国で書かれた「魏志倭人伝」というわずか2000字余りの文字を一つ一つ紐解きながら辿る構成に、僕自身、にわか邪馬臺国論者の仲間入りをするキッカケにはなりました(^^ゞ

この邪馬臺という詩は、この番組の為に制作され、当時この歌は「静かに海を観てた」という詩が「静かに時空(とき)を見てる」となっていたと記憶しています。

じっくりとこの歌の歌詩を読んでみてくだされば、宮崎康平さんを題材にしていること。それから、宮崎康平さんが「まぼろしの邪馬臺国」で定義した邪馬臺国雲仙説のことが書かれていることがお判りになると思います。

歌詞を見る ⇒ 「邪馬臺」

さださんを聴き始めたばかりの僕にとって、当時の最新アルバムだった「うつろひ」の中に収められているこの「邪馬臺」という曲は、思い入れだけ一番深い作品です(^。^)y-.。o○



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2008年06月26日 Posted by のろ at 09:52 | さだコラム | この記事のURL
飛梅


小学生の頃、学校の遠足と云えば都府楼跡か太宰府でした。都府楼跡では、弁当を食べたあとは、ただ走り回って遊ぶぐらいしかやることも無かったのですが、大宰府には遊園地がありましたから、都府楼跡よりは楽しい場所でした(^^♪

余談ですが、さださんが「都府楼」という歌を作ったときに思ったことですが、もう一曲、香椎花園の詩を作ってくれたら小学校の遠足コースが完成するのにって馬鹿なことを思ったことがあります(^^♪

しかし、わざわざ学校で連れて行ってもらわなくても、大宰府はすごく身近な場所でした。ちょっと裕福な家の子だったら西鉄電車を使うとすぐに行けたし、貧乏な子供でも一山超えるだけで行けた場所ですから、僕もよく遊びに出かけました・・自転車を使って(@_@;)



高校卒業と同時に栃木に来てから、そのまま居ついてしまったもので、そう気軽に行ける場所では無くなりましたが、今でも大宰府は特別な場所って気がしません。ただ、さださんの「飛梅」を聴くと話は別。

時々、無性に懐かしく感じる時があって、九州に帰りたくなる衝動が襲ってきます。だから、あまり聴かないようにしています(T_T)

栃木に来てから、魏志倭人伝や防人などに興味を持って、一時期たくさんの本を読み漁ったことがありました。そこには、単なる遊び場だって思ってた都府楼をはじめ、たくさんの遊び場が登場します。

今更って感じですが、すごい歴史を踏みつけながら育ってきてたんだなぁ・・って、しみじみ思いました。



歴史はともかく、母が元気な内に一度は帰ってやんないと・・ほんとは、今すぐ帰りたいってのが本音なんですけど、最近とくに、飛梅になりたいくらい、望郷の念が溢れて困る今日この頃なんです(T_T)


『東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』


道真公の詠んだ詩は、とても美しく、そして、寂しい詩ですね。でも、僕が知ってる早春の大宰府のイメージは、不安と期待が入り混じったとても賑やかな所なんですけどね。


歌詞を見る ⇒ 『飛梅』



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2008年06月26日 Posted by のろ at 08:53 | さだコラム | この記事のURL
ちょっと書いてみよう(^^♪
先日の父の日のこと。息子から8月27日に宇都宮文化会館で公演される「さだまさしコンサート」のチケットをもらいました。

今まで、父の日ってのは僕には関係ないものだと思っていましたので、突然「今日は父の日だから・・」と言われた日には、なんとも不思議な気持ちがしました。

今回のコンサートチケットは即日完売になっていたチケットだっただけに、手に入れるのも大変だったろうに・・・ほんと、ありがたいサプライズでした!(^^)!

中学のころからさださんを聴き始めて早30年。さださんのコンサートに出かけるのもこれで2度目となります。

僕にとって、生きてきた証と言っても言い過ぎでないくらい、たくさんの思い出が詰まったさだまさしさんの曲ですが、最近では紅白で聴く程度になっていました。

SEAMOさんの「MOTHER」といい、父の日のサプライズといい、なんとも日に日に望郷の思いが募って困っている今日この頃です(T_T)

これを切欠にして、久しく封印していたさださんのレコードを眺めながら酒を飲む機会が増えました。

ちょっと思い出話しでも書いてみます(^^♪


×

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