2008年09月03日
水底の町
さださんの曲を聴いていると、ときどき妙に気になる曲と出会うときがあります。この「水底の町」もそのひとつでした。
歌詞の内容はこうです(^^♪
(水底の町 ストーリー)
故郷がダム建設のために水底に沈んでしまった。今は都会で一人暮らしをしているが、どこか?自分が自分でないように感じる時があったりする。
雨の少なく渇水の年には、ダムの水量が減って水底の故郷が顔を出すときがある。ダムに立って懐かしい故郷を眺めていると・・・・
(水底の町 歌詞抜粋)
今故郷が 僕に向かって 大丈夫か?と尋ねてくれている
大丈夫 大丈夫 大丈夫・・・・・
さて?故郷からの「大丈夫か?」との問いに対して「大丈夫」とはこれ如何に???
しばらく忘れていた妙な気持ちが再び動き出したのは、さださんの小説「解夏(げげ)」の中にあった「水底の村」という話を読んでから。
栃木県を舞台としたこの小説は、読み進めるにつれ何故かしら涙でぼろぼろになってしまった作品です(T_T)
読み終わったときに無性に「水底の町」を聴きたくなったこともよく覚えています。
今回、「水底の町」をブログに書きたくなったのは、積年の妙な気持ちとこの機会に向き合ってみたくなったから。うろ覚えになっている「水底の村」を読み返してみて強く感じたことは、この物語の根底には「般若心経」があったのか、ということでした。
前にも一度読んでいるのに、当時はまったく心に響かなかった「般若心経」。
主人公がダム底から姿を現した故郷と向かい合ったことで、今まで理解できなかった「色即是空」の意味を悟る場面が物語の後半にあります。
少年にお母さんの故郷を見せてあげようと二人乗りのカヤックで湖面を進む主人公と少年。カヤックが自宅を見下ろすところまで来たところでこの物語の主人公は、
僕は今、当時空中だったところにいてかつて住んでいた自宅を見下ろしている・・・
「色即是空だ!」
ふと、主人公の中で何かがはじける。
『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』
実体があるということと実体がないということは全く違わない。実体がないということと、実体がある、ということはつまり全く同じことなんだ・・・。
今まで写経をつづけてきた主人公が、初めて「色即是空」の意味を悟った瞬間でした。
「長い旅をしてきた。みんなそれぞれ懸命に生きてきた・・・それで十分じゃないか」
「水底の町」という歌をもとにして作られた「水底の村」は、歌とは明らかに異なる世界の物語でした。でも、根底にあるのが「般若心経」だってことは共通しているのかもしれませんね。
そう考えてみると、故郷から問われた「大丈夫か?」の言葉に、主人公が答える3つの「大丈夫」の意味が、
「大丈夫?(自問自答) 大丈夫(ひとりごと) (ありがとう、もう)大丈夫・・・」
と云っているように聴こえてきました。
たとえ故郷が水底に沈んでいようと、仮に実体がそこに無くてもあっても、故郷は故郷としてあることに変わらない。形あるものだけに目を奪われてしまうと、人のこころは簡単に迷いの中に飲み込まれてしまうものかもしれない。
さださんがライナーノーツで云っている、
『水底に沈んでしまった故郷というのはひとつの比喩であり、人の心が「何か得体の知れない嫌なものに沈んでしまわないように」』
という言葉の中には、そんな思いがあったのかな?と、今は理解しています。
「水底の町」は、さださんのソロ16枚目のアルバム「夢回帰線U」の中に収められている歌です。
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