2008年08月28日
防人の詩
映画「二百三高地」のメインテーマとして作られた「防人の詩」。
当時、コンサートなどで披露されても今一ピンとこなかった曲です。トークの中でも、「お前は右翼か!」と言われていたことに触れ、どっちかというと僕は「ピッチャー(投手)」であると冗談を言っていたことが記憶にあります(^^♪
映画「203高地」が日露戦争の映画であり、日本が常勝を続けていた頃の内容であったが故に戦争肯定歌と言われ、さださんが右翼等のバッシングを受けていた作品でもありました。
しかし今となれば、映画自体は決して戦争肯定の内容ではなく、この曲も「生命」の尊さと儚さを表したものとして認知されています。全く、あの騒動は何だったのか?と思わずにおれません。しかし、それだけ注目を浴びていたとも言えるわけです。
さださんは、コンサートでこの曲を歌う前に必ず前置きしていた言葉があります。
「この戦争のことを詳しく知っておられるお年寄りの方が近くにたくさんおられるはずだから、興味のある方はお聞きになってください。今、詳細を僕が語るべきではないと思いますから・・・。また、この曲を映画の主題歌として聴いてもらわなくっても結構です。」
この時のさださんの心境はどんなものだったのでしょうか?
かなり時間が経ってから映画を観ました。映画自体も素晴らしいものでしたが、エンディングで流れた「防人の詩」の、そのメッセージ性の凄さには体が震えるほどの感動を覚えた記憶があります。
昨日見に行った35周年記念コンサートの中で、さださんがこの曲について語られていました。それは、この曲には原曲があるという話・・・・・
万葉集の中に詠み人知らずの作品として、
鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
という詩があるそうです。詠み方は
鯨魚(いさな)取(と)り、海や死にする、山や死にする、死ぬれこそ、海は潮(しほ)干(ひ)て、山は枯(か)れすれ
この詩の意味は
鯨取りの漁師に問う。海は死にますか? 山は死にますか? (いいえ、海も山も死ぬのです)死ぬからこそ、海は潮が干(ひ)いて、山は枯(か)れるのです。
という内容だそうです。しかし、たとえ潮が引き山は枯れても、また潮が満ち山は緑に溢れるわけだから、一度死んでもまた戻るという命について語っている詩でもあるのかもしれません。
それが詠み人知らずとして万葉集の中に収められているという事実。1200年も前の日本に、これほどの言葉を操る文化が成熟していたこと自体、日本人として誇るべき事柄ではないのか?
言葉を大切にしない文化は滅びる。日本には言霊信仰があって、言葉は人を殺す力も人を生かす力もある。だからこそ、今起こっている通り魔のような悲しい事件が起こる前に、犯人に対して言葉をかける人があったならば、このような犯行は起きなかったんじゃないのか?
大きな事件を起こしてしまった犯人だって、目の前で溺れている子供に対して足蹴にする様なことはしないはず。必ず手を差し伸べたはずなんだ。だからこそ、この悲しい事件は防げたはずなんだ。
さださんが語っていたのはそんな内容だったと思います。
このトークの後、防人の詩を歌われたさださん。彼が次に手がける小説の題材と、この防人の詩は微妙にリンクしているのでは?・・・と感じたのですが、いかがでしょう?
歌詞を読む ⇒ のろのろさだまさし「防人の詩」
のろブロ「映画日記」 ⇒ 映画「二百三高地」について
YouTube映像 ⇒ さだまさし 防人の詩
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