2008年09月23日
映画「二百三高地」について
さだまさしさんの「防人の詩」を題材として記事を書いたことから、「二百三高地」を観なおしてみました。
この作品は日露戦争・・・特に激戦だった旅順攻略戦を描いた映画です。この映画が公開された1980年(昭和55年)は、何故かしら?スケールの大きな戦争映画がヒットしていた時代でした。F・コッポラの「地獄の黙示録」もこの年に日本公開されています。
しかし何度観ても、古賀武志中尉(あおい輝彦さん)が輝いて見える映画ですね(^^♪
開戦前、小学校の先生を勤めていた古賀武志は教え子に対して、
「美しい日本」「美しいロシア」
と教えているように、トルストイとロシアを最も敬愛していた人物でした。
しかし、激戦の最中に彼が云った言葉・・・
「ロシア人はすべて私の敵であります。・・・(中略)・・・最前線の兵には対面も規約もありません。あるものは生きるか死ぬか・・・それだけです。死んでいく兵たちには国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です。灼熱地獄の底で鬼となって焼かれていく苦痛があるだけがです。その部下たちの苦痛を・・・乃木式の軍人精神で救えるのですかぁ・・・!」
このセリフの中には、実戦を通じて壊れていく一兵士の苦悩が感じられました。
しかし旅順攻略戦とは、そう言いたくなるほど人が戦死した戦いだったのです。
日清戦争戦没者数 977名
日露戦争戦没者数 55,655名
※アジア歴史資料センター調べ
旅順攻略戦の戦闘では大きな戦いが3回ありました。中でも第一次戦闘に於いて約1万5000人もの兵士が亡くなったという事実をみても、この戦争が如何に厳しいものだったのかが解ります。
この映画の脚本を担当された笠原和夫さんが云っていた『当日の天気まで記した巻物のように長い年表を作成した上で、当時の時系列や状況を徹底して調査・取材を行い、膨大な資料を収集した上で脚本を執筆した・・・』とあるように、日露戦争・・・特に旅順攻略戦の史実に基づいて丁寧に描かれている映画でした。
終戦を迎え、乃木希典将軍(仲代達也さん)が明治天皇の前で戦勝報告をするシーンがあります。その晴れの舞台で乃木将軍は泣き崩れてしまいます。
戦時中、多大な犠牲者を出し「乃木の人殺し!」の言葉で溢れた前編とは違い、結果、日本の勝利に終ったことで「乃木将軍、万歳!」に変わる後半。
それ故に、戦争肯定映画としてバッシングを受けると同時に、主題歌「防人の詩」を歌ったさだまさしさんも「お前は右○か!」とバッシングを受ける結果となりました。
しかし・・・この作品は本当に戦争肯定映画なのでしょうか?
日露戦争という戦いを詳しく知っている人が、今の日本に何人いるでしょう?
僕が学校で習った日清・日露戦争は、年代だけでスルーされていた記憶があります。というよりも、江戸時代以前のことは時間をかけて習った記憶がありますが、戦争・・・特に明治の戦争に関しては、ほとんど年表を記憶したに過ぎない感覚がありました。
しかし、個人的な興味として日露戦争の意味を知ったとき、この戦争の背景、動向、そして勝利は、次に経験する太平洋戦争への布石として重大な位置づけになる戦争だったことに気が付きます。また明治の42年間は、幕末に攘夷を叫んで揺れていた頃とさほど変わっていない時代だったことにも気が付きます。
そして、明治と昭和の戦争が明らかに異なる点として「日本の独立を守る」という大義名分が拡大解釈された結果、「勢力を拡大する」という侵略への道を辿った戦争へと変化していくことにも気が付きます。
これは戦争肯定映画ではなく紛れもない反戦映画です。これだけたくさんの命を懸ける意味が、はたして何だったのか?息子や旦那の遺骨を抱えて歩く女性たちの長い列、意味もなく倒れていく兵士たちの姿。これが戦争の現実。日本だけでなくロシアでもそれは同じことだったと思います。
戦争の事実を隠そうとすること、または興味を持てない、自分には関係ないと思う人の気持ちにこそ「戦争肯定」という言葉が隠されているような気がしてなりません。
毎年8月15日を迎える度に、昭和がだんだんと遠くなるのを感じる現代。不幸な歴史が繰り返されることが無いことを切に祈ります。
(参考記事)
ウィキペディア ⇒ 「日露戦争」
YouTubu映像⇒ 映画宣伝 二百三高地
さだまさし 防人の詩
のろブロ記事「さだコラム」 ⇒ 「防人の詩」
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