2008年09月24日
王監督、お疲れ様でした(T_T)
福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が今期限りでユニホームを脱ぐことを決意されました。思えば・・・巨人の監督に就任されてから今まで、つねに苦労の毎日だったと思います。
ある意味、古巣の巨人軍監督から西の外れの福岡に来て、世界の王の肩書きの重さに辛い日々を過ごされていた時期もあるかと察していました(T_T)
成績が振るわず、「帰れ!」「ヤメロ!」の声をスタンドから掛けられていたことも知っています。生卵を投げつけられたこともありましたね。それだけにホークスがリーグ優勝・日本一になったときは球団のファンでなくても感動しました。
福岡に来られてから、地元ファンから受け入れられるまでには大変な苦労があったかと思います。でも、王監督のお陰で福岡にホークスが根付いたことは間違いありません。それだけに、福岡の・・・いえ、福岡出身のファンにとっても、無くてはならない存在になっているんだと思います。
福岡にいる姉に電話をすると、「ホークスがねぇ・・」なんて話がいつも聞かれます。僕が福岡を出たときにはまだドームもホークスもなかったもので、今でもピンとこないところがありますが・・・。
正直言うと、姉が羨ましく思えたり、少し寂しい思いがしたりしていました。でも、僕がそんな気持ちになるということこそ、地元にホークスが根付いた証拠だと思います。
僕が栃木に来た当時は、西武ライオンズの全盛期でした。好きだった西鉄ライオンズ繋がりから夢中になって応援していたあの頃・・・。
秋山選手や工藤選手が(当時ダイエー)ホークスに入団してはじめてホークスを認識したくらい、僕にとっては馴染みのない球団でした。また、あぶさんや門田さんの影響から、あの緑カラーのユニフォームの南海ホークスが好きだった分だけ今のホークスに馴染めなかったところもあります。
僕にとって栃木って町は、いつも他人の町だと頑なに思い続けて来たところがありました。でもふと気づくと、いろんな苦い経験をさせてもらって、しかも所帯まで持たせていただいた今では、福岡こそが他人の町のような気がするときがあります。
ホークスは、その象徴だったのかもしれません・・・(T_T)
王監督、お疲れ様でした。そして、世界一になったWBCでのご活躍には心底興奮させていただきました。出来ることなら、もう一度WBCの監督として采配を揮って欲しかった・・・と今でも思わないわけではないですが、少し身体を休めていただいて、また元気な姿でユニフォームを着てくれることを楽しみに待っています。
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