2008年06月28日
邪馬臺
『倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。』
その昔・・・福岡KBC放送の特別番組として「さだまさし 邪馬臺の詩」という番組が放送されたことがありました。その番組を僕は完全保存版としてカセットテープに録音して何度も何度も・・何度も聴いていました。
ですから、今でも一字一句思い出せるほど僕の中には残っています。でも、大事にしていたテープは、僕の不注意から雨に濡らしてしまって、今はもう残ってはいません。当時はそれほど感じませんでしたが、今になると、もっと大切にしておけばよかったと残念でなりません。
この番組は、盲目の作家宮崎康平さんが亡くなり、その追悼番組のようなものでした。
宮崎康平さんとは、奥様の和子さんとともに、邪馬臺国の所在を探り、ついに九州邪馬臺国論としての「まぼろしの邪馬臺国」を執筆された方であります。さださんにとって云えば、父と宮崎康平さんが古くからの知り合いだったことから、昔から近所のおじさん的存在の人だったそうです。
さださんはこの番組の中で、「さだまさしが辿る邪馬臺国論」を展開してました。詳細は別に記載するとして結果、邪馬臺国は阿蘇山の麓にあったと結論づけ、今では有明海の底に沈んだと断定しておりました。
ちなみに、この理論の根拠となったのは、
@ 3世紀ごろの糸島半島は、今のような陸続きでは無かったという事実から『水行10日、陸行1月』の謎が説明できる。(糸島水道論:これは事実です【▼下図参照】)
A 都府楼跡から発見された黒い地層を分析したところ、邪馬台国の記述が途絶えた同時期に、未曾有の大嵐が九州を襲い、それに伴う大水害が起きて糸島半島が陸続きになったという新事実を掴んだこと。
B このことは、屋久島にある縄文杉の中に見られる年輪の乱れの時期とピッタリ重なること。
とまぁ、ラジオの中でさださんは、
『これは新発見だ!間違いない事実だ!私は推測ではなく断定したんだ!』
と、興奮しながら叫んでいました(@_@;)
最近の研究では邪馬臺国近畿説が有力になっている傾向にあるみたいですが、なにはともあれ、中国で書かれた「魏志倭人伝」というわずか2000字余りの文字を一つ一つ紐解きながら辿る構成に、僕自身、にわか邪馬臺国論者の仲間入りをするキッカケにはなりました(^^ゞ
この邪馬臺という詩は、この番組の為に制作され、当時この歌は「静かに海を観てた」という詩が「静かに時空(とき)を見てる」となっていたと記憶しています。
じっくりとこの歌の歌詩を読んでみてくだされば、宮崎康平さんを題材にしていること。それから、宮崎康平さんが「まぼろしの邪馬臺国」で定義した邪馬臺国雲仙説のことが書かれていることがお判りになると思います。
歌詞を見る ⇒ 「邪馬臺」
さださんを聴き始めたばかりの僕にとって、当時の最新アルバムだった「うつろひ」の中に収められているこの「邪馬臺」という曲は、思い入れだけ一番深い作品です(^。^)y-.。o○
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