新型コロナウイルスの蔓延により、そうした宿泊旅行が下火になっているところ。
水族館「城崎マリンワールド」の経営者が「かに道楽」の経営者日和山観光というのは初めてしった。
ルーツは城崎にあるわけだ。
Yahoo!より、
「かに道楽」ルーツは兵庫・城崎にあった 温泉を救ったカニの物語
11/8(日) 9:33配信
神戸新聞NEXT
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c23eb4bfc8ba832010814da0d1943ccc86ac89a
記事より、
日本海のズワイガニ漁が6日解禁され、待ちに待ったマツバガニ(ズワイガニ雄)料理のシーズンがやってきた。カニ料理といえば、脚の“負傷”で話題になった大阪・道頓堀の飲食店「かに道楽」を思い浮かべる人も多いかもしれない。「とれとれぴちぴちカニ料理〜」のメロディーと、巨大な看板。食い倒れのまち大阪の顔にもなっているが、実は大阪発祥の店ではない。それでは、みなさまにカニ料理のうんちくを披露しましょう。
ルーツは、道頓堀から北に175キロ、車で約3時間の日本海に面した兵庫県豊岡市の水族館「城崎マリンワールド」にある。「かに道楽」は、水族館を経営する「日和山観光」のグループ会社だ。
1958(昭和33)年、日和山観光の創業者今津文治郎氏の8人兄弟の末弟、芳雄氏が、地元で経営していたホテル「金波楼」に客を呼び込むため、道頓堀近くにホテルの案内所を設けたことが始まり。そこに海鮮料理を提供する食堂「千石船」を併設した。
当初は「食い倒れのまちで埋もれて鳴かず飛ばず」だったそうだ。悩んだ揚げ句、日本海のカニを使った鍋料理を考え出した。当時、大阪で名物になっていた「うどんすき」に便乗し、「かにすき」として売り出すと、店の前には大行列ができた。冷凍保存する方法も開発し、日本海のおいしいカニを大阪で食べられる流通を作り出した。
そしていよいよ1962年、道頓堀に「かに道楽」がオープンした。
今津家はもとは鮮魚店で、芳雄氏は幼い頃から兄の文治郎氏に教わりながら鮮魚の行商をし、大八車にカニを山のように盛って売り歩いていたという。そんな苦労人の開拓精神は激しく強い。「やるなら目立て」と考えたのが、あの看板だった。
当時からカニの脚を動かすカラクリで、ど派手で巨大な看板は多くの人の目を引いた。現在の看板は96年に付け替えた3代目(横約8メートル、縦約3・6メートル)。「白地に赤いカニは日の丸を想起させ、戦後の経済成長を踏ん張る日本人に元気を与えたようだ」。文治郎氏のひ孫にあたる、現在の金波楼総支配人の今津一也さん(53)が教えてくれた。
城崎マリンワールドのすぐ近く、城崎温泉も例外ではない。かに道楽でカニ食が脚光を浴び始めた1970年ごろ、城崎温泉では、暴力団排除が進んだ一方、風俗店が一掃されたため、団体の男性客が激減。指揮を執った旅館組合の理事長が責任を取って辞任するほど、城崎は苦難の時期を迎えていた。
そこに救世主として現れたのがカニだった。当時、カニは小鉢の酢あえで会席料理の脇役として添えられていた程度だったが、カニすきが導入されたことで客が戻り、女性客も家族連れもみなが温泉とカニを求めてやって来た。地元では「カニが客を連れて里帰りしてきた」と言われていた。
広尾さんは「今ではぜいたく品として当たり前になってるけど、かに道楽の前は港の地面に転がっていて、見向きもされなかった。地元の宝を再発見し、広めた創業者の着眼点と根性がすごい。カニのおいしさは誰かがいつかは気付いただろうけど、かに道楽がなければ10年は遅れていたかも」としみじみ語る。
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