前回の記事の続き、呼吸ストップ金縛りから覚めて寝れなくなった夜に、タブレット開いてネットサーフィンしてました。
その時たまたま見た人生コラムの記事を見ていた時のこと
人のコラムの詳細書くのも気が引けるのでざっくり書くとそのコラムの主は自分の兄弟が才能豊かでそれに人生順風満帆なため嫉妬して社会人人生辛い思いでおくってきたとのこと。
ちなみに私も兄弟は優秀で順風満帆の人生送っているのでとある時期まで結構嫉妬したりしてました。
鬼滅の刃の敵方幹部十二鬼月最強の上弦の壱、黒死牟おじさんみたいですね!人間時代に人類最強の双子の弟に嫉妬したみたいな?
いちいちアニメに例えるな?すみません何とかここまで原作読み進めてきたものです(笑)
結局そのコラム主はどうしたかというと、他人は他人と折り合いをつけて自分の道を進むことにしたという話。端折りすぎましたが結構この折り合いをつけるという行為は難しいものです。
私の場合は社会人になって兄弟と二人で飲みに行ったときに、私から何でそんな人生順風満帆なんだと聞いたら、幼い頃から無駄に苦労している私を反面教師にして自分なりに努力してきたと本音を聞いて、あぁ自分のこの惨事が誰かの参考になることもあるんだと一種の嬉しい気付きが生まれ、嫉妬心に折り合いをつけました。
このブログのコンセプトも度々、反面教師にせよと言っていますが、元を辿るとそんなきっかけだったりします。
その後読み終えたあと私からコラム主に「共感しました!」というメッセージを送りました。いきなり受け取る方も困惑すると思うので端折って私の自己紹介もしながらですが…そこからのやり取りで
主「マッサンは年齢の割に悟りすぎだけど、その頑張りで救われた人も多いと思いますよ」
私「いやいや、そんなことないですよ。諦めて折り合いつけたものも多いし(笑)」
主「そんな頑張るあなたに、この言葉を送ります。諦め=明らめ」
私は辛いこともすぐ茶化して次に進む傾向あるけど、真正面から受け止められて励まされるとは思わなかったので無意識にウルッと来てしまいました。本名も顔もわからない相手だというのにね…
その言葉の意味することは、「諦めたものが多かった」と顧みることは、「明らめ → あきらかにして見定める」ことでありそれも全て、人生に意味を持つ要素だということだそうです。主の考え方もここから来るものもあるようで。
先日、仏教からの言葉を送ると書いてしまいましたが、この言葉を私独自でも調べたら仏教からくる考え方のようです!
宗教事として捉えるつもりはないですが、経験者から来る言葉の重みは違うな。
ちょっと勇気が出たところでまた前を向いて歩いていきたいですね(笑)
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image