新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2015年05月28日
金剛界 三昧耶会って?
三昧耶会とは?
また最後になっちゃったけど三昧耶会ってなんだろう?ってことを考えてみる。
三昧耶は梵語のsamayaの音訳で、時あるいは平等・本誓・除障・驚覚と意訳される。
平等とは如来の三密と衆生の三業が本来平等であること、
本誓とは如来が一切衆生を救い尽くすとした誓願のこと、
除障とは如来の方便で衆生の煩悩障礙を除くこと、
驚覚とは無明にある衆生を覚醒させることを意味するとされる。
また以上をまとめて、本来衆生は如来と平等であり、如来が衆生救済の誓願をたて、煩悩障礙を除くことによって、無明から覚醒することができる。と続けて解釈することもできる。
さて、金剛界曼荼羅においては三昧耶は主に誓願の意味に使われているように思う。
すなわち、如来は何を誓願し如来となったのか、あるいは、菩薩は何を誓願し修行を行い如来となるのか、というときの誓願を三昧耶といい、それを持物や器物、印契などで象徴した図像を三昧耶形(三形)という。
また同様の考え方を二十天にも広げて解釈し三昧耶形を現している。
各尊格はそれぞれの誓願(三昧耶)に特質があり、また、尊格相互の関係や仏智の現れ方にも誓願が重要な役割を担っている。
で、あらためて三昧耶形とは?と考えてみると・・・アイコンだな
ここで三昧耶会の場所を確認します。
三昧耶会は金剛界曼荼羅で最も重要な成身会の次に位置している。
様々な考えがある中で、御尊像で描かれる微細会や供養会よりも持物など主に物で描かれる三昧耶会が先に来ているということは何かしら重要なメッセージが込められていると思うわけであるが・・・それが三昧耶(誓願)であり、三昧耶形(アイコン)だろうと思う。
成身会は金剛界曼荼羅そのものといってよく、これだけで金剛界を十分に表現している。
しかし、成身会では多数の尊像がほぼ同様の大きさで描かれ、その違いも尊像中に小さく描かれた持物や手の形(印契)で理解するほかなく、また尊格相互の関係性も予備知識がなければ理解することは難しい。
そこで、成身会に描かれている尊像をその特徴(持物や印契など)でアイコン化し、見ただけで誓願や相互作用を理解しやすくしたのが三昧耶形であり三昧耶会であるのだろうと思う。
そもそも金剛界曼荼羅は絵として鑑賞するためにあるのではなく、金剛界世界を深く理解するために存在するのであるから、成身会と同じかそれ以上に三昧耶会の表現する内容が重要であるともいえる。
そう考えるとモノを描いただけの三昧耶会が御尊像を描いている他の会よりも先に表現されている理由もわかり、ありがたみが増すような気がします。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ