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2015年05月22日

本紹介 No. 015『両界曼荼羅の誕生』

『両界曼荼羅の誕生』

『密教の象徴世界』『図説 マンダラの基礎知識』に、両界曼荼羅にはいくつかの系統があり、それぞれに院や尊格の配置、数、構造が異なることが示されていた。

『西院本曼荼羅(伝真言院曼荼羅)』を参考に曼荼羅を描いているが、はたして両界曼荼羅がこの構造、形式でなければならない理由がわからなくなってきた。

そもそもこれほど複雑なものがいきなり現出したとは思えない。

曼荼羅が多様化・複雑化していく過程があるはずで、比較的単純なものから複雑なものへと移行していく流れを見ることで曼荼羅をより深く理解することができるのではないかと考えた。

『図説 マンダラの基礎知識』のなかにいくつかのヒントはあったが、限られた紙面のなかで曼荼羅の進化過程を十分に理解することはできなかった。

そんなことを考えていて目に入った本のタイトルがこれ

田中公明 著 『両界曼荼羅の誕生』(春秋社 2004)


期待の膨らむ良いタイトルだ。
構成

B6版、219ページ、ハードカバー、縦書き右開き、図はモノクロ

構成は4部、十二章で以下の通り。

     はじめに
     第1部 導入編
       第一章 両界曼荼羅の伝搬
       第二章 曼荼羅のあけぼの
     第2部 胎蔵曼荼羅
       第三章 三部の成立
       第四章 八大菩薩
       第五章 胎蔵五仏の成立
       第六章 現図曼荼羅の成立
     第3部 金剛界曼荼羅
       第七章 南天鉄塔の謎
       第八章 三部から五部へ
       第九章 教理命題の尊格化
       第十章 五元論の完成
     第4部 エピローグ
       第十一章 後期密教の曼荼羅
       第十二章 曼荼羅の日本的展開
     あとがき


章立てにも魅力的なタイトルが並んでいる。
内容

まず、「はじめに」に

両界曼荼羅を空海が請来した完成態から見るのではなく、仏教の故国インドに、その原形が現れてから、現在の姿になるまでのプロセスを、最新の発掘成果や文献研究に基づいて解明することを目指している。

と書いてあり、知りたいことに合致している。

本書は胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅が仏教の歴史のなかでそれぞれに様々な発展過程をへて、試行錯誤の末に現在の形へとたどり着いたその道筋を示している。

そのなかで、モノクロではあるものの数多くの図版が内容の理解をヴィジュアル面で支えている。特に石仏などの写真は見たことがないものが多く貴重である。

話は、仏像不表現の時代から始まり、ガンダーラ美術から仏像崇拝、他土仏信仰、サーンチーの四仏、ギャラスプルの四仏へと進み、『華厳経』で説かれた毘盧遮那仏と『金光明経』の四方四仏を組み合わせ、それぞれに紆余曲折を経て金胎両部の中心をなす五仏が成立したことをインドに残る彫刻や経典を元に解明していく。

胎蔵曼荼羅形成の流れとしては、釈迦・梵天・帝釈天の三尊形式から釈迦・観音・金剛手の三尊形式へと進み、それぞれ、文殊三尊から仏部へ、観音三尊から蓮華部へ、また、執金剛神から金剛部へと、仏の智慧と慈悲と力を表す仏連金の三部形式へと発展する。

一方で原初的な曼荼羅形式と考えられる請雨経曼荼羅や宝楼閣曼荼羅のような叙景曼荼羅が見られ、さらに三部曼荼羅が発展し、八大菩薩の形成と八大菩薩曼荼羅の形成から胎蔵曼荼羅へとつながり、胎蔵図像や胎蔵旧図様などの試行錯誤もあり、完全なる左右相称性を獲得した現図曼荼羅の成立へと繋がる流れが示されている。

さらに、金剛界曼荼羅は・・・っと本書の内容を簡単に説明しても、本当の意味で本書の真価を表現していることにはならないことに気づく。

両界曼荼羅の成立は仏教の歴史の中での一つの到達点なのだ

インドで誕生し、中国で一つになり、日本へ伝わった両界曼荼羅の成立が、いかに稀有な運命を辿った道筋であったかをあらためて感じずにはいられない。

歴史、国土、言語、人種、文化・・・様々な垣根を飛び越え人類の歴史の中で共同作業によりかたち作られてきた両界曼荼羅はまさに人類の宝なのだと今更ながらに感じた。

その意味で、「両界曼荼羅がこの構造、形式でなければならない理由がわからなくなってきた。」と感じた不安はまさにどうでもいいことであり、同時に、「曼荼羅をより深く理解することができるのではないか」という期待はその発芽を得たのだと思う。
曼荼羅作画とのかかわり

各尊の性格を個別に見るのではなく、歴史的流れのなかで釈尊から両界曼荼羅への流れをざっと辿ったことで、両界曼荼羅をシステムとして理解できる足がかりができたように思う。

描いているときはどうしても一つの尊格に集中し、その細部やバランスや意味にとらわれる。これは木を見ていることになる。

設計やパーツの配置は全体のかたちやバランスに気をつけて曼荼羅全体がどう見えるかに注意している。これは森を見ているのだろう。

でも、木を見ても森を見てもそれだけで自然を理解したことにはならないように、そこに生き生きとした何かが、生きている何かがなければ木を見ても森を見ても虚しいだけだ。

そうならないように描くために必要な何かのきっかけをもらったようなそんな気がしました。

では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ




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posted by mandalazu at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本紹介
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