2010年04月30日
世界恐慌の始まり
世界恐慌の始まりは
1931年5月11日の
オーストリアの大銀行
クレジットアンシュタルト(Creditanstalt
1855年にロスチャイルド男爵により設立)
の破綻であるとされる。
(1929年から1年乗り切り、
次の年1931年の5月であった。)
株価暴落に伴う信用収縮の中で、何の手当もされずに突然閉鎖した。
破綻の原因は、東欧諸国の輸出が激減し経常収支が赤字となり、
旧オーストリア帝国領への融資が焦げ付いたからである。
特に3月の独オーストリア関税同盟の暴露に対抗するフランスの
経済制裁によりオーストリア経済が弱体化したことが致命的であった。[
この銀行の破綻の直接の結果として、
7月にドイツの銀行が倒産し、
その結果はドイツ、東欧諸国と世界に及んだ。
このクレディタンシュタル銀行は、
現在、富裕層向けの銀行として
ウニクレディト・イタリアーノクレディになり
これが今、
ウニクレディト・グループ (UniCredit Group)
だそうです。
追記:
1929年10月24日10時25分、
ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。
下落直後の寄り付きは平穏だったが、
間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、
株価は大暴落した。
この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。
ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。
シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺したものはこの日だけで11人に及んだ。この日は木曜日だったため、
後にこの日は
「暗黒の木曜日(Black Thursday)」
と呼ばれるようになった。
翌25日金曜の13時、ウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。このニュースでその日の相場は平静を取り戻したが、効果は一時的なものだった。
週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあり、
28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、
更に10月29日、24日以上の大暴落が発生した。
この日は取引開始直後から急落を起こした。
最初の30分間で325万9800株が売られ、
午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでなってしまった。
当日の出来高は 1638万3700株に達し(これは5日前に続く記録更新であり、以後1969年まで破られなかった)、株価は平均43ポイント(ダウ平均で12%)下がり、
9月の約半分ぐらいになってしまったのである。
一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、
これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。
投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。この日は火曜日だったため、後にこの日は
「悲劇の火曜日」と
呼ばれるようになった。
そしてアメリカ経済への依存を深めていた
脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産によりアメリカ工業セクターの設備投資縮小が
始まったのが大きな要因であり世界恐慌がさらに投資縮小を
誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では10年に1度のペースで
恐慌が発生していた。
しかし1930年代における恐慌(世界恐慌)は
規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。
補足:
世界金融危機 (2007年-)より:
1929年の世界大恐慌以降、
一国家規模でのバブル崩壊などは起きたが
全世界規模での大恐慌は起きてはいなかった。
しかし、2007年にアメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融危機が発生。ニューヨーク証券取引所の株価の不安定化により、世界的な株価下落を招いている。アメリカ大手のリーマン・ブラザーズといった会社が破綻するなど、2008年10月時点でも世界経済の不安定な状態は続いている。そのため、近い将来に第二の世界大恐慌が起きる危険性、可能性は否定できない。
投稿者:logos-sequence|23:07
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