2015年05月07日
蟻の行動を観察する人間を観察する存在の視点
公園で蟻の行列を観察していたことがある。ベンチに腰かけて足元を通り過ぎて行く蟻におにぎりのかけらを落としてみる。ご飯粒を見つけた蟻はいそいそと巣へ持ち帰って行く。次いでパンの固まりを落としてみる。蟻にとっては自分の体よりも何倍も大きな固まり。この大きな固まりを一体どう処理するのか興味シンシンで見ていた。仲間と協力し合って大きなまま運ぶ蟻、小さなパン粒に小分けしてせっせと巣へ持ち帰る蟻、ここにエサがあると情報を伝えに巣へ戻る蟻、わらわらと動き回る蟻さんたち。いろんなパターンがあって面白い。
しばらくするとさっきよりも蟻の数が増えてきた。その行列の上に水をどばっとかけてみたり、踏んづけてみたりしてみた(ごめんなさい)。私の行動は蟻にとって突然天から恵みが降ってきたようなものでもあり、突然の大災害に遭遇したようなものでもある。とするならば、私が蟻の行動を観察しているのと同じように、人間の行動を観察している何がしかか存在していても不思議ではない。それはもしかしたら神様と呼ばれている存在なのかもしれないし、宇宙人なのかもしれない。蟻を見ながらそんなことを考えていた。
蟻の行動を観察する私を観察する存在の視点。そうやってどんどん俯瞰していくと、人間なんて地球規模で見たら砂粒みたないな存在に過ぎなくて、そんなちっぽけな人間が抱える悩みなんて吹けば飛ぶようなちっぽけなもんじゃないかと思えた。更に俯瞰して地球の上へ上へと視点を移していくと突如自分自身の視点へ戻ってきた。大きく一周して自分の中へ戻ってきたような感覚。そこで思いついたのが、人間ひとりひとりがひとつの宇宙なのではないかという仮説。自分の目に見えていると思っているものは実はホログラムで、すべての事象は自分の中に包含しているのではないのか。
自覚はないにせよ人間の体内には兆を越す細菌や微生物が生息しており、人間はその細菌たちと共生している。細菌にとっては私達人間が食べたものは突然の天の恵みであり、突然刺さってくる注射針や流れてくる薬物は災害のようなもの。細菌たちとて便としてブラックホールに流されていく恐怖を日々味わっているかもしれない。
自分がダメなのだと塞ぎ込むのではなく、自分は自分で最高なのだと開き直ろう。私たちは宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ。完璧な人間になる意味も必要も価値もない。人間的な欠落を抱えたまま、ありのままの最高な存在として黄金色に輝けばいいのだ。Rice is Beautiful…人生は続く。
出典:この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いで、自分を否定しても誰も幸せにならない。『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直れば、世界も開く。(いばや通信)
自分の存在がひとつの宇宙ならば、もうそれだけで完璧ではないか。存在しない欠落を抱える必要は無い。そもそも「完璧」「欠落」という言葉の定義自体があいまいなもの。その定義は人によっても違うし場によっても違う。そんなあいまいなものに振り回されてはいけない。自分に何かが欠落していると感じるなら別の場に移動して環境を変えればいいのだ。
「自分を変えろ」という人を私は信じない。「自分を変えることができる」という人も信じない。自分で自分を変えたくても変えられないから人は苦しむのに。しかしすべては変化していく。日本に四季があるように、全ては移ろっていくもので、変わらないものはない。寂しいかな楽しいときは永遠に続かないし、嬉しいことに苦しい時期もいつかは過ぎ去る。もがき苦しんでいるなら、まずはとことん苦しめばいい。中途半端が一番つらい。とことんまで苦しめば、そのうち苦しむのにも飽きてくる。そうしたら自分を変えようとせず、外側から変えてみる。服装を変えたり、環境を変えたり、付き合う人を変えたり。自分は自分で変えるものではなく、「周囲が変えるもの」であり「自然と変わるもの」だと思う。
私自身は運命があると思っています。運命は宇宙(あるいは神様)が作ったものです。そこに失敗があるはずはないのです。(森田健)
— 他力で生きる (@tariki07) 2015, 4月 13
「あなたの意識を反映しない集団意識をもったグループにいて、集団意識をうまく変更できないとしたら、そこから離れたほうがいい。自分の意識とあった集団意識を持つグループが見つからないなら、自分で創りなさい。そうすれば、似たような意識をもった人たちが引き寄せられてくるだろう」神との対話
— SHIVA (@francisco_bot) 2015, 3月 29
人間の意識の中に現れる世界像の外側に、世界「それ自体(そのもの)」をイメージするためには、少なくとも一人の人間が、つまり、その世界そのものをイメージする人間が必要ではありませんか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015, 2月 13
完璧を怖れる必要はない。決してそこには到達しないから
Have no fear of perfection - you'll never reach it.
サルバドール・ダリ
Salvador Dali pic.twitter.com/ajooQDxndH
— History Image (@HistoryImg) 2015, 1月 22
自分を変えるのは、自分の役目ではありません。森羅万象、変わらないものがありますか? 「自分はこれがダメだと思うから、こういうふうに変える」そんなしくみは、この地球にはありません。
Kan. 問題は解決するなhttp://t.co/Hws4qbzbJV
— WING MAKER LABO (@WINGMAKERLABO) 2015, 1月 29
「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこにとびこむんだ。やってごらん。」
岡本太郎 pic.twitter.com/1gGeOcXIwb
— History Image (@HistoryImg) 2014, 10月 18
ほんの一瞬生まれて死ぬだけの私たちが、その一瞬に意味を見出そうとし、希望をもったり絶望したりする。けれども引いてみればそれは全体の中のほんの一部で、時代が変わったと思ったとしても引いてみればただのゆらぎ。その人が起こしたゆらぎですらなく揺るぎがその人を選んだのかもしれない。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 12月 21
私たちが意識の上で見て感じているものは、あまりにも断片的で表面的で、本当の世界はもっと深淵で境目がなく、そこを変えることなんてできない。変えられるのはいつも自分の見方の方で、見方が変われば世界は変わる。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 12月 21
世界を変えるんだと言った人がいたけれど、変えられる世界はせいぜい人間界ぐらいで、本当の意味での世界はたぶん変わらないし、変えたと思っているものも大きな意味でのゆらぎにすぎないのだと思う。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 12月 21
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