2015年04月24日
坂爪圭吾さんツイートまとめ
優しさと馴れ合いはまったくの別物で、みんなと仲良くしなければとか、空気を盛り上げなければとか、楽しまなければいけないとかいう気持ちから発揮される優しさは、単純に自分が嫌われたくない(他人から良く思われたい)だけなんだろうな、と思う。友達ごっこは無益だし、何も生まない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 23
「常に完璧でなければ誰にも受け入れてもらえない」というのは大嘘で、完璧だからひとに好かれる、完璧じゃないからひとには好かれないなんていうことは、自分が好きなひとのことを思い出せば「大嘘だ」って、すぐに分かる。愛されるのは『晒け出された弱点(不完全な部分)』だったりする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 22
「自分には何もない」という無力感に襲われている瞬間は、自分にないものばかりを数え上げてしまっている。生きていることは「それなりの困難を乗り越えてきた」ことの最大の証明だし、誰もが『あの頃に比べればマシだ』と思える地獄の期間を隠し持っている。だから、負けちゃいけないと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 22
自分が嫌だと思うことには、はっきりと嫌だと言う。同じように、自分が好きだと思うことに対しては、周囲の人間が何と言おうが「自分はこれが好きだ」と宣言する。周りがどうあれ自分自身は、言いたいことを言う、やりたいことをやる、それだけのことで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 21
何処かで「いまの自分には価値がない」とか「いまの自分のままでは通用しない」みたいに思い込まされているふしがある。ほんとうはそんなことはないのに、着飾らない限り通用しないと思い込まされてしまうから、自分でも無意識のうちに「自分以外の何者かになる」嘘を重ねてしまうのだろう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 20
自分の中には醜い部分があると認識している人と過ごす時間は比較的楽になる。何よりも厄介なのは「自分は正しい」「自分は偉い」「自分は善人である」と思っている人と過ごす時間で、彼らはひとたび自分の善意が脅かされる状況になると、他人を殺してまでも自分の善意を立証しようとする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 18
自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感は「価値観の押し付け(暴力)」になる。私は他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。「自分のため」にやることが、結果的に「誰かのため」になれば幸運だと思っている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 12
死にたいとか言うと「死にたいとか言うな」と言われてしまうが、死にたいという言葉でしか生きたいと言えないこともあるし、言葉にするだけでも楽になることもある。問題なのは「死にたいと口にすることが許されない」ことで、それが原因で実際に死んでしまう人もいるのだろうと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 9
学校に行くのが絶対じゃないし、仕事をするのが絶対じゃないし、幸せな家庭を築くことだけが絶対じゃない。幾通りの人生にもそれぞれの味わい深さみたいなものがあって、大事なのは「意味不明な他人と比べないこと」と「(厳しい場合もあるけれど)他人に優しくあろうとすること」だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 9
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