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2016年03月24日

第48回 新妻莞






文●ツルシカズヒコ



 奥村は藤沢の実家から転送されて来た、紅吉からの二通めの手紙を受け取った。

 簡単な絶交状だったが、奥村はともかくらいてうに知らせておこうと思い、さっそく手紙を書いた。


 手紙と《青鞜》ありがとう。

 雑誌は待ち切れず、三崎郵便局まで取りに行きました。

 きょうしげりからこんな手紙を貰いました(別に二通の写しが添えてある)が、何んにも知らないわたしは これに対していったいどうしたら好いでしょう?

 しかし、ほんとうのところ、この時からあなたとしげりの関係というものが、わたしには全く新しい謎として何か妙に薄気味悪いものに映って来ましたが、なぜでしょう?

 もし違ったら許して下さい。

 九月四日 浩


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p62)

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 この手紙と行き違いに、帰京したらいてうから奥村に手紙が届いた。


 私は茅ガ崎から今戻ったところです。

 私の知らぬまにしげりがあなたの藤沢のお宅宛に絶交状を出したそうですが、私の子供はもの狂おしくなりました。

 あなたの詩の書かれたはがきは、そのとき丁度私の部屋に来ていたしげりの目にいちはやく触れました。

 何も知らない、何の罪もないあなたに絶交状を送ったしげりを悲しんでいる私は、恐ろしい復讐をあなたに対して企てたと聞いたときどんなに驚いたことでしょう。

 けれどご安心下さい。

 しげりの心はやや平穏を得て来ました。

 私はしげりの今度の行動に対する責任のすべてを負う覚悟をしています。

 あなたに対してしたあの発作的な無法の行為のかずかずをどうか咎めないで下さい。

 あの可哀そうな心情も憐れんでやって下さい。

 けれど今夕限り私はしげりを失いました。

 あなたを想う私の愛に生きることの不安に堪えないというしげりと私は涙を呑んで別れて来ました。

 九月四日 昭


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p63~64)





 この手紙を読んだ奥村は唖然としたが、奥村自身もらいてうを想う自分の心の迷いがなくなった。


 きょうも三時を過ぎると雨の中を渡し場まで出かけて行きました。

 そして三崎から来る舟の中に郵便配達の帽子が見えたときわたしの胸は俄に騒ぎました。

 やがて舟が着いてこっちから言葉をかけるまでもなく、もう見知りごしのわたしの手に手紙と小包が渡されました。

 ほんとに嬉しかった。

 ほんとに有難う!

 九月七日 浩


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p65)





 そんなおり、突然、城ヶ島の宿に滞在中の奥村を新妻莞(にいづま・かん)が訪ねて来た。

 後の『サンデー毎日』編集長、新妻莞である。

 新妻も前田夕暮が主宰する短歌雑誌『詩歌』の同人で、奥村の先輩格にあたるが、さほど親しい仲ではなかった。

 新妻は「歌心を肥やす目的でやって来た」と言い、ふたりは奥村の部屋でしばらく起居をともにすることになった。

 新妻は奥村に届く女性からの手紙や小包に興味を示し、その送り主が煤煙事件で有名なあの青鞜社の平塚らいてうであることを知り、驚いた。

 らいてうから奥村に届く郵便物が、新妻に筒抜けになった。

 明治天皇の大喪の礼が執り行われたのは九月十三日だったが、紅吉が南湖院から退院したのは翌十四日だった。

 らいてうは奥村宛ての手紙に、こう書いている。


 とうとう明治も終わりましたね。

 ゆうべ私は家を飛び出して白い高張提灯の並ぶ諒闇の淋しい町をひとりさまよい歩きながら、わけもなく涙が流れて……。

 しげりは今日午後退院して小母さんに送られて帰京するのです。

 私はよろこばずにはいられません。

 けれど、わずかの間にこうも変りはてたふたりの仲を思うとき、私はどう考えても涙を綺麗にぬぐい去ることが出来ないのです。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p68)





 この手紙を読んだ新妻は、強度の近視の眼鏡の内の眼を異様に鋭く輝かせ、奥村に煤煙事件について語り、らいてうと紅吉と絶交すべきだと強く主張した。

 やがて、新妻はひとつの寓話を作り上げ、それをさも得意気に奥村につきつけながら言った。

「さ、博くん! これを写し給え、そうして平塚と紅吉に送ろう。君のために今あんなへんちくりんな女たちと絶交することが一番大事なんだから……ね、そうしよう!」

 奥村はらいてうと紅吉の関係に関しても何かもやもやしたものが醸し出され、茅ケ崎で泊まった日のことまでを妙に憶い出した。

 雨にばかり呪われ、せっかく取りかかった絵が頓挫したことが、奥村の憂鬱に輪をかけた。

 奥村はらいてうと紅吉に絶交する決意をして、新妻が書いた原稿を写し始めた。

 一九一二(大正元)年九月十七日、二通の絶交状を城ヶ島のポストに投函した新妻と奥村は、秋雨の中、島を去った。




★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:01| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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