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2021年06月02日

祈りの恵みの現れ 8−2

以前、認知症だった方が、いやされたことは、地方でカリスマ聖会という集会を持った時の思い出があります。私たちは、いろんないやしや救い、素晴らしい神の業が現わされることを、願い、よく祈って、地方の教会での聖会に臨みます。その時もそうでしたが、その時はパウロ秋元牧師とご一緒させていただいた聖会でした。
そして、その聖会に、あるご高齢の男性の方が、その方の介護をされている方とやってこられました。2〜3年程前から、認知症を発症しておられ、医者であられたご自身の診断としては、自分が、脳腫瘍と思っておられました。そして、激しい頭痛があり、頭痛薬、安定剤、誘眠剤の多服用で、もうろうとしていることが多い日々だったそうです。奥様にも先立たれ、周囲の付き合いも断っていて、「自分も間もなく死ぬ。」「いやになってしまった。どうにでもなれ」を口癖にしておられたのです。
ところがその聖会の時、パウロ牧師が、連れてこられたその男性のために祈ると、知恵知識の言葉が与えられました。パウロ牧師には、その男性の状態は何も知らされてはいませんでした。ところが、「いやになってしまった。どうにでもなれというのが、すべての原因です。いやになってしまったこと一つ一つを感謝するように。」と、まさにその方の口癖を言い当てた、神様からの知恵知識の言葉が語られたのでした。そして、いつもあった厳しい頭痛が、瞬時にいやされてしまったそうなのです。その日の晩から頭痛薬、安定剤、ゆう眠剤は、一度も服用せず、神様の素晴らしい、いやしが現わされました。その方は、その後、本当に元気になられて、一緒にイスラエルやエジプトなど、海外まで行かれたりするようになり、癒しの栄光が現わされました。
認知症に関しても、ぜひ、お祈りされることをお勧めします。主の守りや、癒しが現されます

2021年05月26日

祈りの恵みの現れ 8−1

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私たちは、「祈りの時間」というインターネット番組(TLEA 東京アンテオケ教会 ホームページからリンクの映像:毎週火曜22:00ライブ配信、24時間視聴可能映像)をさせていただいています。いろんなリクエストが送られてきたのを、映像をみて下さっている方々と、共に祈る番組です。最近、介護している方からのリクエストで、そのお父様に、恵みが現わされてきています。お父様が軽い認知症なのだそうですが、急に認知症モードに入ると、人が変わったように頑固になり、デイケアセンター行くことも拒否されて、お風呂に入れなくなったりするそうなのです。とてもひどいことを言われたり、デイケアセンターに行ってくれないと、ご自分の自由時間がなくなり、大変なのだそうです。
それで、リクエストいただいたように、お父様が平安でいられるように番組で、お祈りすると、本当にお父様が平安になるそうなのです。そして、「もう守られているから、祈らなくても」と思っていると、また急に頑固になったりして再び、リクエストをして来られる。そして、急に次の日には、態度が変わり、「いつも、本当にありがとう」などと、言ったりして、素晴らしく平安になるというお話です。みごとに神様は、このお父様に働きかけて守って下さるんだなと、祈りの素晴らしさを感じています。

2021年05月03日

祈りの恵みの現れ 7−2

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もう一つ、祈祷会で「とりなす」ことで、勝利が現されたことを書きます。
 以前、イスラエルへの海外宣教チームのためにとりなした時のことです。その頃、15人のチームで、ローマを経由してイスラエルへ、そして帰りもローマを経由して日本へという日程のチームでした。そのチームの通訳をされる牧師が、2回ほど、日曜が不在となるので、私が一時的にその教会の各集会を任され、朝の早天祈祷会、日曜の礼拝メッセージなど任されました。神学校や祈祷会など、たくさん集会があったと思います。その時も、ご婦人が3人ほどいたのでした。ある日、熱心にチームのためにとりなしていると、聖書のみ言葉が示されました。ローマ人への手紙15章からで、エルサレムで、ノンクリスチャンから何らかの妨げを受ける、という示しでした。明確に語られたので、そのご婦人の方々に、示しをお分かちして、妨げを受けず、守られるように祈ったのです。すると、チームが帰ってきてから、どんなことが起きていたのか、お話を聞くことができました。
 テルアビブ(比較的エルサレムに近い都市)から、ローマを経由して、日本に帰ろうと、チームが空港のゲート付近で待っていた時です。なぜか、いろんな食べ物を航空会社から、提供していただいたそうです。「サービスのいい航空会社だ」と思って喜んで食べていたら、何とその日、空港でストが起きていることがわかったそうです。そのため、ほとんどの便が飛び立たないサインが掲示板に出ていたそうです。彼らの乗る予定の便が出ないと、ローマでの乗り換えの便にも間に合わなくなります。そうすると、余計に面倒な手続きをしたり、テルアビブやローマで宿泊となると、大変にお金もかかるし厄介になります。それで、慌てて自分たちの飛行機の便がすぐ出るようになるように、熱心に夢中で祈ったそうです。30分位祈った後、急に掲示板がパタパタと動き、彼らの便、ローマ行きが、なぜかその一便だけ、その後に、出発するようになったそうなのです。まさに私たちの「とりなし」の祈りも、聞かれて、不思議なことが起きたのです。まさにしめし通り、エルサレム(正確にはテルアビブですが)で、ノンクリスチャン(航空会社の人々)から、妨げ(ストによる欠航)を受けず、守られてローマに飛び立つことができるようになりました。そして、その時、熱心にとりなしていたご婦人たちの、ご主人たちにも、熱心な献身者になる方々が起こされたり、栄光が現されていったのです。
 ぜひ、心を合わせてとりなす祝福を受けていただきたいと思います。

2021年05月02日

祈りの恵みの現れ 7−1

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「とりなしの祈り」とは、自分以外の人やグループのために、祈る祈りのことです。このとりなしの祈りが聞かれたことのお話をさせていただきます。
 以前に、東京アンテオケ教会(旧:国分寺クリスチャンセンター)で、ご婦人の祈りの集会が持たれていて、それに奉仕者として導かれて毎週のように祈りの時を持っていました。共に祈ったり、多分メッセージをお分かちしたりしていたと思います。しかし、かなり愚痴を聞かされたような、気もします。だいぶ前、30年ぐらい前ですがら、記憶も薄れています。でも、旦那さんのために、「とりなす」ことも多かったと思います。「きっと、救われて熱心になっていかれますよ。」などと、信仰告白とも、励ましとも言える言葉を告白して、とりなしていました。で、はっきり言って私の心の中では、「本当にそうなるかな?」という疑いの思いもありつつ、、、。しかし皆さんご婦人方が熱心で、いろんな祈りが聞かれていたので、「きっと、旦那さん達も熱心になるのでは」という思いもありました。数年、あるいは十数年というだいぶ月日はかかりましたが、その旦那さん達が救われ「よかったー」、献身し「素晴らしい」、牧師になり「スゴーい」、長老にまでなっていった「たまげた!!」ことは、驚かされました。神様は、ご婦人がたのとりなしの祈りを、本当にきかれるんだなと、強く思わされたものでした。
 ですから、是非忍耐深く、お祈り下さい。「とりなす」なら、人は、神によって変えられていきます。また、このように、祈祷会で心を合わせて祈ることは、聞かれますし、祈祷会は教会の課題とともに、(個人的なリクエストできる祈祷会は)個人的な課題を出して、継続して祈るためには、とても用いられると思います。

2021年04月02日

祈りの恵みの現れ 6−2

以前と比べると、今は、暑さもだいぶ変わっていると思わされますが、30年程前に、ヨーロッパのギリシャで、連日40℃以上という猛烈な熱波がやってきて、その年の夏に短期間で、1000人も、ギリシャで亡くなったという年がありました。今、インターネットで調べると、1987年。その頃はまだ、クーラーの普及が十分ではなかったので、ギリシャの病院などで、亡くなった方が多かったという理由だそうです。まさに、その年に、ギリシャのパトモスという、黙示録の幻をヨハネが見たという島に、海外宣教チームが送られていきました。3週間ぐらいの長い期間のチームだったと思いますが、ギリシャの熱波について、ニュースでも盛んに出ていました。それで、「一体、チームは大丈夫なのか」とりなしている私たちもチームの方々の安否が気になって、熱波から守られるように、熱心に祈っていました。まだインターネットの普及してない、時代で、滅多に国際電話なんて書けませんでした。ですから、チームの様子が、3週間もわかりません。
 ところが、教会で、み言葉が明確に与えられました。詩篇92篇7節の、「千人があなたのかたわらに、万人が、あなたの右の手に倒れても」(守られる)というような、み言葉が示されたのです。まさに、その時、約1000人以上が死亡したという報道でした。ですから、ぴったりのみ言葉で、きっと大丈夫だろうと。そして、チームが帰ってきてみると、「ちょっと暑いな」など感じたぐらいで、全く問題なかったということでした。チームの中にいた赤ちゃんも含めてみんな元気に帰ってきて、示しのみ言葉通り、完全な守りでありました。

 パトモスにはよく行くようになりましたが、ある時チームで、日本での予報では、45℃になるという予報で、私はまさか気温が、そんなになるはずはないと考えました。日本の気温で、最高は41℃らしいんですよ。だから40℃なんても、特別暑いわけで、滅多にないわけです。だから45℃なんてありえないと思っていたんですね。そんなの信じられないと思っていたんですが、ギリシャに行ってバスのガイドさんに聞いたら、7月、8月、そのぐらいになることは、結構あると言っていたので、私も「えーっ」てビックりしました。そのあと、パトモス島に行ってから、これはまずいと思いました。どうしてかというと、チームリーダーのパウロ牧師が、パトモス島で、26℃ぐらいで熱中症になられたのです。それで、なんとか神様にお頼みして気温を下げていただこうと、祈りのネットワークの方々に、リクエストをお願いしました。もちろんパウロ牧師も祈られたと思います。確かに、予報では45℃だったんですが、数日の間に、予想気温が下がっていき、船でギリシャの本土に向かっている間に、曇っていき、雨も降り、着いた時には、なんと23℃ぐらいまで、気温が22℃も、下がってしまいました。45℃という気温も、信じられないような暑さですが、23℃まで下がるというのも、本当に神様はすごいと思い、感動しました。

2021年04月01日

祈りの恵みの現れ 6−1

最近、クーラーがかかせない時代になってしまいました。黙示録の16章8節では、太陽の激しい炎熱によって人々が焼かれたと出てきます。ですから、暑い黙示録の時代へと、み言葉通り進んでいると思わされますが、そんな中でも、神様は、祈るとき、私たちを助けてくださいます。
 独身で、すでに牧師でしたが、アメリカから帰って、国分寺に住んでいた時、6畳一間ぐらいのアパートに住み始めました。初めての夏、暑いんですね。安アパートで、クーラーがありません。家で、いつもお祈りするのにクーラーがないと、祈りも集中できません。それで、クーラーがないのは、御心ではないので、神に求めました。「横型の、音が静かなクーラーをください」と。当時、電気屋さんにいきますと、横型のクーラーは安めで、15万ぐらい、あるいは20万円。縦型の、音が部屋に響くクーラーは安いので6万ぐらいでありました。数日祈ったのですが、与えられません。暑さに我慢できずに、辛抱切れで、妥協して、6万の安いクーラーを、自腹で買ってしまいました。自分で、電気屋さんに行って購入し、汗をダラダラ流しながら、縦型のクーラーを、自転車の荷台に積んで、持ってきました。自分で時間をかけて、窓に取り付け大変でした。さあ、これで涼しく祈れると、なって、一日か二日後でした。アパートの大家さんから、連絡が入りました。「今度、アパート全部の部屋に、クーラーをつけます。電気屋さんに来てもらって、各部屋に取り付けますので、都合のいい、時間と日にちを教えてください。」という話でした。「え〜、どういうこと!」なんと、取り付けて頂いた、クーラーは、17〜8万するような横型の静かな、クーラーでした。全くタダで、全く苦労することなく、電気屋さんがつけてくださって、私の一間の部屋には、2台のクーラーが・・・・。本当に参りました。祈りは聞かれていたのに、待てなかったのです。でもこのことをとうして、神が、私たちの事を思って気にかけてくださり、祈りを聞いてくださっている事を学びました。ぜひ、具体的に祈って、待ってください。神は聞いてくださいます。

2021年03月15日

祈りの恵みの現れ 5

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今回は、イスラエルに関わる、祈りの祝福について書きます。
神様はある時から、私に「イスラエルに毎年行くようになる」と語って下さいました
。私たちのTLEAの教会に関わるミッションにおいては、毎年、イスラエルへのチーム
が、送り出されています。そのチームに、毎年参加していくという意味です。と言って
も、聖書のみ言葉を通して、そのように語られているのではと、感じていたという程度
のことでした。ですから、実際、最初は神様がそんな風にはっきりと語って下さってい
るとは、あまり信じられませんでした。
 しかし、まず妻に「神様がこのように言っているように思っている」と告白し、そし
て、無理のように見えますが、1年ごとにイスラエルチームに加われるよう、祈り備え
たのです。そうしていく中で、、本当に今年も行けた、また次の年も行けたということ
になりました。ですから、語られているところを祈ることは、祝福を見る一つの秘訣で
す。多分、ここ十数年の間に、行けなかったのは、2回ほどで、神様が語られたように、
毎年のように行くことが、できました。これは本当に恵みであり、特別な祝福であると
信じて感謝しています。
 TLEAにおいてはイスラエルへの宣教の重荷が与えられていて、しかも、ガリラヤ祈
祷院を設立するビジョンが与えられています。そして、イスラエルで祈ること、特にエ
ルサレムのオリーブ山や、ガリラヤ湖畔で祈ることは、特別な霊的な祝福があり恵みが
あります。祈りの働きに召しを受けているものとしては、毎年のようにガリラヤ湖に行
って祈ることが、たいへん重要なご奉仕であると思わされています。だからこそ、毎年
いくことができるように、神は導いてくださったと思っています。ですから、イスラエ
ルに、行って祈ることを、皆様にもお勧めします。

 このイスラエルの毎年のチームで、印象的な出来事が起こったチームがありました。
2012年のウィーンを経由して、テルアビブに入るチームでした。
 ウィーンからイスラエルに向かい、飛行機に乗っていて、「あれっ、もう着いたの」
なんて思ったら、実は、いつの間にか、ウィーンに戻っていました。「えーっ」と思い
ましたが、機体の窓かなんかのトラブルで、一泊しなくてはならなくなり、すべてを感
謝をして、結局次の日を迎えました。
 ところが、全員で移動なら、一人一人は楽ですが、急に62席全員分も空いてる飛行
機はないということで、4チーム程に別れて移動することになりました。4つに分かれ
るとなると大変です。すぐにそのままイスラエルに向かうのではなく、飛行機を探して
、別々の都市を経由して、イスラエルに向かうので、別の都市でまた何かのトラブルに
あったら、イスラエルにたどり着くのが難しくなるのではないか、という状態でした。
とても難しい状況でした。
 しかしこの時、もちろんチームの人たちも祈りましたが、祈りのミッションの方々に
メールで送ってとりなしていただくという形で、神に願い、そして助けを神に求めまし
た。その結果、驚くべきことが起きました。アメリカでハリケーンが許された結果、ア
メリカからウィーンを通ってイスラエルに行こうとしていたある団体がキャンセルが出
て、いっぺんになんと62人の席が空く飛行機が出たというのです。私たちのグループ
はちょうど62人でした。見事に62人が一緒に同じ飛行機で、イスラエルに向かうこ
とができたのです。旅行社の人が、「あなた方には、神様がついていますね。」と驚い
ていたという話です。主に心から、感謝いたします。

2021年02月18日

祈りの恵みの現れ 4

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前回に続いて、学生から社会人になろうとする時にとても祈るようになっていったお話を書きたいと思います。

 私も学生の時でしたので、社会人になる時には、4年間の学生クリスチャンを終えて、住む所も変わるだろうから、御心の教会に行こうと、賜物を用いている御心の教会を探していた所でした。その頃に「9万人の教会になる」と預言が与えられている教会があるという事を、ある方から聞いたのです。 「え〜っ、9万人。本当かな。」それを聞いた時に、心の中で、そんな思いでした。そして、「ちょっと、そういう教会見てみたいな〜。」それが私のTLEAにくるきっかけになりました。
 一つ捉えておいていただきたいことは、教会は必ずみこころの一つの教会に行き続けるということが原則です。やはり、同じ教会に通い続け、一つの教会を土台にして、クリスチャンとして成長していくことは、健全なことであると思います。しかし、私は学生時代まだ若かった時に、いろんなクリスチャンに出会い、そして、賜物の働き、カリスマの恵みに預かって聖霊のバプテスマ、聖霊の満たしを受けました。それで明らかにその時は、賜物の働きのある教会で、例外的にいろんな教会を訪れて、み心の教会を見つけ捜す、み心があったと思います。
 それからもう一つ、預言というのは、それが神からの言葉であるなら(吟味が必要です)、人々の心を強力に引きつけるものがあると思います。弟子たちがガリラヤでイエス様に「わたしについてきなさい」と言われた時、すぐに網を捨ててついて行きました。それは、イエス様のその言葉になんとも言えない人の心を惹きつける力があったからだと思います。福音書に出てくる、マリヤがイエス様の足元で、人々の接待せずに、一心に話を聞いていたのも、神の言葉に、ひきつけられてしまった結果ではないでしょうか。
 それで私は、「9万人の教会」という言葉にひきつけられて、その教会の集会を訪れたわけですが、最初に出席した集会は、徹夜祈祷会でした。預言の賜物を用いつつ、1時間の休憩を挟んで、4時間半ぐらい祈っていました。確かに「しっかり祈るな」という印象でした。そして、見た感じは、「変な感じの人が、何人かいるな。」という印象でした。どう言ったらわかるでしょうか。例えば、徹夜祈祷などの集会でも、集会途中で、急にガラッと集会場所の戸が開けられたかと思うと、変わった風貌の方々が入ってきたりするのです。遅れてきたのに、いかにも「皆さん、私たちを注目してください。」という感じです。例えば、これは別の集会であったことですが、聖なる、神にある、年に1度の教会の大事な集会で、これから始まろうと皆が静まっている時、急に大きい体の男性の方々が、受付で、お声を上げて「オマエガーッ。」とか、口論を始めたりということが起こるのです。自己中心が、見え見えのいわゆる「わきまえのない者たち」。この雰囲気を、最初の徹夜祈祷会でも感じたのです。牧師さんも、大変だったと思います。でも、その後、なんども、この教会のいろんな集会に出ていってわかってきたのは、熱心に祈るように神が導いて、(私も含めて)20代、30代の人々を整え、立て上げが、進められてる教会だったということです。
 牧師さんが、当時「この教会の人は、1日1時間以上、奉仕者は2時間以上祈ります。」と集会で言われていました。(今は、伝道師、牧師は5、6時間以上、祈りの賜物の方は7、8時間以上を勧めてます。)その中で、一人では5分か10分ぐらいしか祈れなかった私もその言葉に励まされて、1時間以上祈るようになったのです。先月号で書きましたが、多分、グループAという超教派の団体での祈り会で、祈れるようになっていたからなんですね。それで、その後、神に求め、熱心に祈っていく中で、奇跡的に某共産圏の国を宣教で訪れるという体験が実現したのです。祈りの答えでした。

2020年12月16日

祈りの恵みの現れ B

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 今回は、連載3回目ですが、前回は、妻がルーマニアリバイバルに触れて、祈る者と変えられ、祈りの働きに導かれていったことを、妻に書いてもらいました。前々回は、私がアルゼンチンリバイバルに触れて、祈りと祈りの答え、天のしるしを間接的に体験したこと、別に自分の祈りが聞かれたことなど書かせていただきました。
 今回は私が、共産圏の某国に導かれ、祈りがきかれ、そして献身していく途中までのことを書きたいと思います。この某国も、やはり有名なリバイバルが起こっている国でした。
 
 話は前後して、学生時代のことにさかのぼりますが、私は、茨城から、東京の学校に進学する直前に、洗礼を受けて、そして親元を離れ、新しい学生生活が始まりました。そこでクリスチャンサークルでいろんな教派のクリスチャンと出会うことが導かれ、ペンテコステ派の牧師を通して、聖霊のバプテスマを受け、異言で祈ることを体験していきました。そのうち、別の超教派の団体で、共産圏への働きをしているグループAの方々とも出会うことになりました。そして、その国で驚くべきリバイバルが起こっていること、共産圏であり彼らが、依然、迫害を受けていて、信仰的に自由ではなく、制限を受けていること、彼らは貧しい中で熱心に祈り、奇跡が起きていることなどを聞いたのです。実際に彼らが、体験した証とともに、そのお話を聞くこととなりました。超教派
のグループAでありますが、ベースは、福音派でありながらも、奇跡的な事柄を認めて活動して、神に聞き従っているグループでした。私も、その方々とともに祈り会に加わり、とりなしたり、献金したり、する中で、非常に信仰的に恵まれて喜びで満たされていくようになりました。私の、聞き従いの始めだったと思います。祈り会では、30分とか、1時間とか祈るのですが、一人では5分とか、10分とかしか祈れない感じでした。それでも不思議な体験をするようになっていったのです。祈り会で祈ることが、やはり、信仰的に恵まれたこととその体験と関わっていたと思います。ですので、積極的にともに、祈ることをお勧めします。

 例えばこんなことがありました。福音派の学生伝道団体Bの奉仕者をしている人から「一緒に住みませんか?」と声をかけられました。お部屋をシェアしてクリスチャン生活を共にするということです。信仰的にはとても、いいことと思いましたが、1ヶ月にかかるお金がその時住んでいるお部屋代、プラス1万円ほどが必要だったのです。ですので、卒業するまで1年間住むとして12万円程余計に必要という感じでした。それで「一緒に住むことがみ心なら、この必要を満たして下さい」と祈っていました。それほど祈ったわけではないのですが、その時、決して無理だろうと思っていたその学校の100周年記念の奨学金を、180名の中で選ばれて、1人か2人しか与えられない、返さなくていい30万円、を与えられたのです。まるで、100年前から神が私のために備えておら
れたんだと思ったぐらいのタイミングで、驚きました。それで、団体Bの先輩クリスチャンや宣教師の方々と一緒に住むクリスチャンライフが始まりました。そして今度は、グループAの方々と、そのリバイバルの起こっている国に、私自身も、実際に行ってご奉仕の一部を担いたいと思うように変えられていったのです。それでますす、祈るようになっていきました。

 そんな学生生活の中で、TLEAの東京アンテオケ教会(旧国分寺クリスチャンセンター)にも集う機会が与えられていきました。初めて出席した集会は徹夜祈祷会でした。預言の賜物を用いつつ、たくさん祈る教会だったのです。それでカリスマの使用に関して進んでいて、とても祈る教会だと印象を受けました。

2020年12月09日

祈りの恵みの現れ A

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 1988年、TLEAの教会から遣わされた海外宣教アメリカチームは、二人の重要な人物に会うとの予告預言を受けていました。実際、そのうちの一人、ルーマニアのユダヤ人であるイリエ・コロアマ師という預言者、奇跡の器とお会い致しました。イリエ師は祈る人で、チームに会う前から、神様に既にいろいろと聞いておられていたそうで、チームに会った時、「あなた方は祈る人達でしょう」と皮切りに幾つかの事をおっしゃられたと、パウロ秋元牧師が書かれた「預言(雲の間にある虹出版、発行)」の本7章にその記述が書かれています。(確かに、私たちは、かなり祈る教会で、最初から牧会伝道部と祈祷部の両輪がある教会でした。)

 この神様の不思議なお導きにより、この後にルーマニア宣教の道が開かれ、イリエ師と共に、ルーマニア宣教を行う派遣が起こされていったのです。私はフランス・ルーマニア派遣という短期派遣のチームに加わったことがありました。ルーマニアでリバイバルが起こっている教会での集会にも行きました。3時間程にわたる集会でも会堂は現地の人々でいっぱいに埋め尽くされており、メッセージが通訳2人つきでも、ずっと、すし詰めで立ち続けて、熱心に聴いている人々を見ました。「みなさん、疲れないのか?」と思うのに、笑顔の人々の姿がありました。
 しかし、日本人は皆前席に座っていたにもかかわらず、時差ぼけもあったと思うのですが、居眠り姿で、現地の人々がクスクス笑っている声が聞こえていました。元共産圏の国で厳しい信仰の戦いがあることを察してはいましたが、聖霊によるリバイバルの働きの中で、霊的な祝福を受けさせていただきました。その恵みで、私は、ルーマニアでのキリスト教初の孤児院の協力に4ヶ月程、教会から遣わされていくこととなりました。遣わされて行こうと準備していた時、孤児院の実際的なお手伝いのつもりでしたが、預言では、「祈りの奉仕で遣わす」ということが語られていました。それで、神学校が夏休みの間、自ら、祈祷部で祈りの訓練を受けようと思い、祈祷部に通い続けて、祈れるようになってから遣わされていくこととなりました。

 最初のこの孤児院設立にあたって、アメリカ、ドイツなどから若い独身女性ワーカー達10数名が集められていました。男性などいなくてもいいようなパワフルな、実際的能力もあるような女性の方々でありましたが、バラバラに集められた彼らには、霊的な祈りの助けが必要な働きだったのです。日本から私ともう一人のスタッフとで、共にこの働きのために日々、とりなし1日7時間の祈り込み生活を行っていきました。そののちに、ワーカー達も問題など起こるたびに、神様に祈って求めたら、答えられた証をミーティングの時などするようになり、祈りの重要性が働き全体に広がっていくようになっていったのです。どのような素晴らしい働きにも、祈りはとても必要なので、祈る事をお勧めします。
 イリエ師との関わりの中で、私は祈りの働きの恵みに導かれるようになり、日本に戻ってきてから結婚した人は、祈りの人でありました。私の主人はイリエ師も覚えて下さっている人で、ルーマニアにいた時、主人が映っている写真をイリエ師が見られた時、主人のことを「この人は神の人です」とおっしゃって下さっていたのを覚えています。

 昔、中学生の頃、私は将来の夢があまり持てなくて、大人になって生きられないような現実だったら、北海道の函館にあるトラピスチヌ修道院へ行こうと考えている時がありました(カソリックで外との関わりを絶ち、祈りの生活で生涯を終える修道院)。しかし現在、私は祈りの人と結婚し、プロテスタントの教会で、いろんな方々と関わりながらも、祈りのご奉仕の日々が与えられています。
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