2021年02月28日
激動の時代 1
26聖人や細川ガラシャの時代。確かに、この時代は激動の時代であったと思います。
ザビエルが、1549年にやってきています。戦国時代で、よく下克上が起きた時代。鉄砲が伝えられ、戦い方が変わり、天下統一がなされようとしていた時です。栄華が一夜にして、失われてしまうような時代。たくさんの命が、戦乱で奪われていた時代。激しい変動が、許されていた時。
人々は、変わらない、確かなものを求めていたと思われます。こういった状況が許されていたのも、神の計画のうちにあったと思います。
その時に、キリスト教、キリストの教えが日本に伝わってきたわけです。もっとも、キリシタンが多かった時、全人口の3.7%という資料もあります。少なくとも洗礼を受けたクリスチャンが5%だった、というものもあります。あるいは、全人口1000万人そのうちの約10%だったという記録もあります。いずれにせよ、
今日本のクリスチャン人口が0.2%とか、0.1%とか言われる現代に比べると大変な人数が、クリスチャンになったようです。
イエスキリストは、変わらないお方です。そして、神の愛は永遠に私たちに注がれています。
そして、神の言葉は変わりません。さらに、天国は永遠であり、揺るがされません。
いやし
腰の事柄で一時期、学生の時に苦しんだというか、早く治したくて、いろんな病院、特に接骨院に行ったことがあります。ある程度は良くなりましたが、やはり、長い時間、車の運転をしたり、それから、かなり一時間二時間とずっと腰掛けて同じ姿勢でいるとか、パソコンをずっとやってるとか、お祈りでずっと同じ姿勢で祈り会をやってしまうとか、そういうことが多くありました。今の、私の牧師としてのお仕事は、このように、姿勢を変えないで腰掛けていることが、多いので、ちょっと職業病的なところもあるようです。一時期、かなりぎっくり腰で苦しみました。
しかし、できるだけ、たったり、腰掛けていても、体の姿勢を変えたり動かしたり、それでだいぶ違うことがわかってきました。自動車の運転なんかも、30分に一度ぐらい、ちょっと車を止めて、外に出てストレッチしたりするといいんですね。パソコンなんかも、30分に一度ぐらいは立って、腰を伸ばしたり、体をちょっとでいいから動かした方がいいようです。
それにしても、今年の冬は大変そうだと、こないだの夏、秋ごろは、思っていました。だんだんと調子がまた
よくないので、年齢も進んできて、「今度の冬は、大変そうだ」と思っていたんです。冬は、気温が下がると一年の間で、最も調子が良くないはずなんですね。ところが、今年の冬は、とても腰の調子が良いので、神に心から感謝しています。人間的には、冬は悪くなるという思いが、あったのに、主は、助けてくださっています。
「悪くなる」という恐れがあったのに、主は、祈りや、神の恵みを与えて、主が、特に助けて、癒してくださっていると、思っています。
でも、その神の癒しを感じていましたが、あまり、証していなかったので、ここで、お分かちします。
神様、いやしをありがとうございます。神様が、よくしてくださったことを、明らかにして、人々に、あかす
ことは、神に栄光を帰すために大事なことです。ハレルヤ。
タグ:いやし
2021年02月27日
細川ガラシャ 2
2021年02月26日
細川ガラシャ
細川ガラシャの事は、あまり知りませんでした。キリタンだったお姫様、程度の知識かありませんでした。
しかし、映像祭の動画を見て、関心を抱き、幾つか調べると、特別な神の恵みを受けた方であったということがわかってきました。
まず、フロイスです。ルイス・フロイスが、細川ガラシャについてヨーロッパに報告したものが残っているのです。どうして、26聖人の証などが、400年も昔の話なのに、証がはっきり残っていたかというと、このフロイスが、記して報告していたからだというのがわかってきました。彼は、日本のことを記録し報告することを、使命感を持って、その働きをしていたように思えます。明智光秀のことも、ガラシャのことも、フロイスが記して報告しているのです。
例えば、明智光秀は、日本に歴史の中では、悪役としてしか、描かれていなかったと思うのです。しかし、フロイスは、細川ガラシャの父として、どうして、本能寺の変に至らなければならなかったのか、2万字ぐらい使って、書いているということです。
「麒麟がくる」の最終回はこないだの2月7日、2月23日は、総集編がBSでなされたようですが、この主人公、明智光秀の娘が、細川ガラシャなのです。ですから、今、細川ガラシャについて、このブログでお伝えするのは、とても意味があるなと感じるのです。歴史の中で、謀反人・明智光秀の娘とされたガラシャについて。
2021年02月25日
光?
皆さん。光って何よ、と考えたことあります?
光って、不思議ですよ。私たちが、いろんなものを見ることができるために、必要なものです。
これがあると、明るいと感じるんですね、私たちは。どうしてなんでしょう。
昔、実家で、仏壇がありました。仏壇は、いつも暗い感じがしました。
でも、キリスト教って、明るいイメージでした。信じる前から、そう感じていました。
神様は、輝きに満ちた方なんですね。天国では、太陽が入らない。電球があるからでなく、
神様ご自身が、光源だからです。
光って、科学的には、波動なのか、物質の粒子なのかわからないそうです。
波動だと思って実験するとそういう動きをし、粒子だという立場で実験すると粒子の動きをするそうです。
実験している人が、どう思っているか、どう信じているかで、動きが変わってしまうということだそうです。
そんなものは、他にはないでしょう。
だって、普通私たちが、感覚で感じれるものとか、(五感で)、 みんな物質です。
空気とか見えないものでさえ、調べれば、物質であって、測り出すことができます。
み使いや、サタンは霊で、これは霊であって物質ではない。これも、わりきれる感じがする。
だけど、光は、物質のような、物質でないような、割り切れない不思議なものです。
光ほど、速い速度のものは存在しないのだそうです。
だから、聖書の、最初の方に書かれてある言葉、「神が、光よあれと言われた」ということは、とても不思議なことなんですね。神が、最初に光を作ったんですね。
2021年02月24日
カフェゼリー
夫婦で、一緒に、美味しいと評価できるものがあるのは、幸せですよ。これ本当です。
やはり、食べ物の好みが大きく違うと食事を家でする時きっと大変です。
ある方々からは、家庭不和の原因ということで、そんなお話を聞いたことがあります。
グリコのカフェゼリーは、二人で美味しいと一致しています。安いのに、キリマンジャロで、
クリームシロップが付いていて、苦味と、甘さのバランスが、絶妙な味。 に、私たちは、感じます。
神様ありがとうございます。グリコのカフェゼリーが美味しく感じて、、、。
天国では、いろんなものが食べれると聞いています。吟味が必要です、、、、。
復活したイエス様は、御霊の体(現在の私たちの体とは違うからだ)であったのに、お魚を食べたことが聖書にあります。ルカ24:42、43
ということは、天国でいろんなものを自由に美味しくたべれるのではないでしょうか?
これって、天国への希望でしょうか?
2021年02月23日
祈りの時間
今日も、「祈りの時間」、インターネット番組ですが、終わりまして感謝しています。
毎週、火曜日、夜10時から、ライブ番組で、おくらせていただいています。
東京アンテオケ教会のホームページを、ちょっと下の方にスクロールすると、私たちの画像付きの
「祈りの時間」のバナーが出てきます。そこから入って、22時になると、番組が始まります。
(時々、遅れたりしますが、すみません。)
今日は、嬉しいお知らせがありました。
ガンということで7年前にこの番組に祈りのリクエストしてきてくださった方が、娘さんのそのお母様が
ガンだったのですが、とうとう7年間再発の兆候なし、検査結果が正常、ということで、ハレルヤ、
番組で、ともに、主に感謝を献げました。
いつも、検査が、あるたびに、リクエストしてきておられましたが、守られ続けてきました。
リクエスト始めの頃は、本当に大変そうでしたが、いつも神様が、お二人を支えてくださっていたようでした。
私たちも、心から感謝でした。
主をほめ称えます。番組を見て一緒に祈ってくださっておられる方々にも感謝します。
卒業シーズン
2021年02月22日
2月22日pm2時に22℃
タイムリー
神様は生きて働いておられる方なので、タイムリーに私たちに働きかけてくださいます。
仙台にいたときの話です。8年ほど仙台には、住んだことがありました。100万人都市で、素敵な街でした。
伊達男(だておとこ)という言葉があります。これは、いかした男という意味です。
(伊達男とは、身なりが派手でオシャレな男性、男気がある男性のことを指します。 男らしく振る舞う意味を持つ「男立て」という言葉が反転して「立て男」に変化し、派手なパフォーマンスを好んだといわれる伊達政宗にまつわるエピソードと相まって❝伊達男❞になったと言われています。)
この言葉からも伊達政宗に象徴されるこの街は、なんとなくいかした感じの、見栄えの良い、住み心地の良い街でした。でも、仙台の駅に近い中心の方は、家賃が高いので、初めの頃私たち、夫婦は、仙台市の外れ、隣町の富谷町というところに住んでました。仙台駅までは車で50分もかかり、やはり宣教のためにはもっと中心部に住まなくてはと思っていました。それで引っ越しできるように祈っていました。でもなかなか我が家の経済の状態は良くならず、6年も経っていました。ところが、ある時から、神が、聖書の言葉から、経済的に祝福するという言葉をいただき、さらに引っ越すように語られ始めたのです。
実際に、引っ越しができるほどのお金の余裕は、なかったのですが、神が、いくつも言葉を与えてきてくださったと感じて、信仰の歩みを始めました。お金もないのに、不動産屋さんに行って、祈りつつ、物件を探し始めたのです。探し始めた最初の方の祈りは、抽象的な祈りでしたが、進むにつれ、5万ぐらいで、1LDKで、
この辺の街、地下鉄の駅に歩いて10分とか、神に求める祈りが具体的になってきました。
そしたら、本当に引っ越しの経済が十分に与えられてきたのです。主はタイムリーに働いてくださるのです。