2021年05月11日

祝福

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私たちには、最高の祝福が与えられています。でもそれを、どれだけ、信じるかどうかで、祝福の現れ度合いも変わってきます。

 最高の祝福が、与えられていることをさらに知っていきたいものです。神様は、私たちが、どんなふうに考え、どんなふうに信じているか
そこに、とっても、関心がおありで、そこに焦点が当てられてます。

「あなたが、最高を与えてくださることを信じます。」

2021年04月26日

赦しの祈り

 
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 聖書に出てくる、主の祈りの中に、赦しの祈りがありますね。この祈りは、弟子たちに、イエス様が、直接教えた祈りで重要なものです。
 そして、マルコ11章の信仰の箇所に関しても、信じるなら山をも動くとありますが、しかし、赦しの必要性が書かれてありますね。これが、奇跡が起こる鍵ともなっていくようです。

2021年04月19日

自分の姿、知ってます?

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「自分の姿をあなたは、ちゃんと知ってますか?」そんなこと、鏡を見れば、簡単だ、と思うのが普通かもしれません。自分では、意識は、「知っている」と思っているのです。でも、鏡を見ても、実は、私たちは自分の反対の影像を見ているにすぎないという話を聞いたことがあります。我々は、自分の実像を見ることはできないというのです。確かに、鏡を見ながら、髪の毛を切ったりしようとすると、手が切りたいと思う逆の方向に動いてしまったりするのを経験した方もいるでしょう。ましてや、頭の後ろなんて全然見れないんですね。また、私は、ゴスペルクラブという、Jゴスペルのサークルを、していますが、皆さんに、自分の姿を動画で見て、姿勢や動きを確認するように勧めたりすると、自分の姿を見るのを、嫌がったり、恥ずかしがったりする人が多いのには、驚きます。ですから、知っていると思っていても、自分のことは自分が一番よく知っているなんて言っても、実は、自分が一番わかっていなっかったりもするわけです。自分の、醜さや、罪深さとか、弱さとか、はっきり見ることをいやっがったりするのが、私たち人間の弱さでもあります。高齢者の車の運転の事故が、社会問題になってもいます。これは、自分の運転したいという欲がまさって、運転能力を冷静に判断できないことからくることの問題です。ですから、自分を認識することは、とても、とても難しいことです。
 まして、自分の弱さを知っている人は、非常に少ないのではないのでしょうか。ですから、クリスチャンとして自分がいかに弱い者であるかを、知っていくことは、我々の成長のために重要なことになってきます。我々は、神の助けや、恵みによって生かされているにすぎません。
 だいぶ前に、テレビに出てくる超有名なニュースキャスターが、天気予報の気温の予報の後に、温度のことについて言ってました。
「この地上には、存在する温度は、摂氏で−273度から、太陽の表面温度で5526度まで、あるけど、人間が生きていけるのはそのほんのわずかな間だけなんですね。そして、10度上がって、下がって、暑いだの、寒いだのとブツブツ言っているけど、ねー・・・。」という話を聞いたことがあります。
 本当にその通りだと思います。だから、その特別な作り上げられた環境の中にいなければ、私たちは、全く生きていけない、非常に弱いものです。神によっていろんな状況や、環境においていただいて、生かされているというのが、事実であると心から私も思います。さらに、発展して、我々が、いかに弱いものであるか、いかなる者であるのか、どういう罪人か、どれほど不信仰なのか、これもまた神によって知っていくこと、知らされていくことは、重要なことだと本当に思います。そこが大切な出発点です。私たちは、新たに神の恵みを知り、神に期待して、歩んでまいりましょう。神は必ず勝利を与えてってくださいます。
 しかし、主は、「私の恵みはあなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですからわたしは、キリストの力がわたしを覆うために、むしろ大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう。IIコリント12章9節

2021年04月18日

価値あるもの

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 4月になり、神学校の授業もまた新たに始まりました。授業のメッセージのお証で、この世のものは、みな「ちりあくた」ということが、とても心に触れられています。
 私の人生において、後悔していたことが、血管のつまりのようなものが、ふっと、とれた感じです。ある解放を受けたんですね。神様の光が心の闇を消していただいたのとおもいました。
 今朝は日曜礼拝を迎えた朝、ふとまた、「ちりあくた」の言葉が浮かんでいて、朝からその言葉が、響きっぱなし。礼拝に向かう道も、信号を待つ時も。そして、第二礼拝では、ピリピ3:7〜9が開かれ、「〜キリストのゆえに〜それらをちりあくたと思っています。」牧師さんのメッセージからも、ちりあくたという言葉が。感動しています。H

2021年04月07日

賛美大会

4月4日の日曜日に、関東賛美大会予選がありました。

すでに、動画が、インターネット上にアップしてあって、自分たちの賛美も聞くことができました。

みなさんの、賛美も良かったですけど、今年は、ベストを尽くして、

神様に私たちの最善の賛美をささげられたという意味で悔いはないです。

今回、特に、みことばによって、語られた曲、「主のことばによって」(詩篇33篇)

そして、使徒16章のパウロとシラスの獄中からの賛美の所からも語られていたので、

歌い終わってからも平安で、

「何か奇跡が起こる」と、語られています。

結構、いつもは、「ここが失敗した」、とか、「あれがダメだったとか」歌い終わってからあったのですが、

(不信仰でした)今年は、特に、神にベストを尽くして祈りつつ最善の賛美を、ささげた、という意識があり、

神に喜ばれる賛美をささげた、と思っていて、とても平安です。

きっと、この後、この賛美のことで素晴らしいことが起きていくと、期待感がありますし、信じています。

これは、とても不思議なことです。

どのグループも、自分の所が良かった、と思っているかもしれませんが、

神の前に、今回、自分が一番良かった、と信じています。  ハレルヤ

2021年03月30日

愛されていること

Iヨハネ1:7−9 聖書箇所ですが、イエスキリストの十字架の事柄と、告白するときに赦されることと、書か

れてある箇所です。このみことばが、土曜日に語られていたのですが、

第2礼拝でも9節が語られていました。十字架の恵みは、不思議な神の恵みです。

罪を犯していない者ののように見られ、祈りが聞かれてしまうのは、恵みです。

信じることを語られているこのとき、罪の自覚が、深くなればなるほど、

この十字架の恵みは我々にとってより大きくなると言えるのではないかと思わされています。

例えば、「私たちは、どうにもならない罪人」という言葉が、心にしっくりくるなら

その人の受ける恵みは大きいのではないでしょうか?

我々が愛されているのは、神の大きな恵みのゆえです。

2021年03月22日

やっぱり

やっぱり、「お金がないと、海外いけない。」という思いは、間違いで、

     「海外にいくのが御心なら、経済は与えられる」と思うのが、正しい思索だなと、思います。

神のみ心より、経済が先行してたら、やっぱり、いけないと思います。
神の御心、神を、第一にしていたら、経済は支えられていくものです。

経験から、いつも、海外宣教に行こうとしていると、経済が豊かに与えられてきますが、
                  していないと、経済が苦しくなってくるということがありました。

やはり、神の御心を行うのが一番です。
タグ:海外宣教

2021年03月21日

信じること

祈りが聞かれるということは、とても不思議なことですね。

それを、信じれるということも、つまり祈りは聞かれるものだということを信じれることも
素晴らしいことです。

仙台にいた時、お父さんに連れられて、私たちの教会に娘さんがやってきました。
職を失ってしまったということで、働いていたところが、倒れてしまったのです。

それで、再びお仕事が、与えられるように祈ってあげたのです。
そしたら、神は答えて下さり、その娘さんのお仕事が与えられました。
ところが、それが、本当に祈りが聞かれたからとは、その娘さんは受け取れなかったのです。

しばらくして、また、その働いていたところも、ダメになってしまいました。
それでまた、教会に来られたのです。今度は、「いつまでに、お仕事が与えられるように祈りましょうか」
と、もっと具体的に祈ってあげたのです。「貯めていたお金が、1ヶ月で無くなるので、1ヶ月で与えられるように祈ってください」ということでした。そしたら、本当に、1ヶ月でちょうど就職できました。

仙台で、有名なお菓子屋さんでした。180人ぐらいで二人しかとらないはずだったのに、三人合格した一人でした。ですから今度は本当に、神様が祈りに答えてくださったと、信じたのです。

信じれるようになれるのは、素晴らしいことです。信仰によって、神がいろんな壁を打ち破らせてくださいます。
本当です。

2021年03月10日

いつまでも続くもの

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第二コリント4:18
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

 いつまでも続くものを、私たちは求めるものですね。

 コロナの病が、ゆるされて、こんなにも簡単に人間の社会や経済、またシステムが、混乱をきたすものなのか、驚いています。コロナなんてちょっとした病気に過ぎないと思うのです(もちろん、コロナに関しては十分注意しなければなりません)がしかし、本当に大きな影響が出て、大きく騒がれています。平和や安定した状態が続いていてもらいたいと私たちは切に願うものですね。だから、いつまでも続くものを求めるものです。

 例えば、普通の人は、長生きしたいと思うだろうし、
「いや、私は、ひどく老化してまで長生きしたいとは思わない」
という人も、では、いつまでも若くありたいと思っているわけですね。

 ようするに、「いつまでもこうでありたい」と、いずれも思っているわけです。

 こんなことも言えます。「風と共に去りぬ」の映画で、感動的なエンディングで、「この世で唯一価値あるものは土地だけだ。土地は永遠に残る」と言っています。しかし、土地、大地さえも永遠ではないことが、
福島の、原発の問題で、明らかにされてきました。たくさんの方が、その土地に住めなくなって、大変な思いをされました。

 科学者は、いつまでも変わらない法則を見出そうとして、科学を見出してきました。

 いつまでもつづく物を、求めるのが人間の心理ですね。

 しかし、聖書が言っているのは、目に見えるものは続かないよと言ってます。一時的です。普遍に見えた科学的な真理さえも実は、違っていたということがよくあるのです。科学も、私たちの五感で認識でき説明できるものですね。これは、いわゆる目に見えるものです。これは、変わります。

 目に見えないものとは、私たちが、正確に測れないもの、形で明確に現せないものです。これは、かわらないと言っています。例えば、神の愛。変わりません。神ご自身。すべてのものをご支配していて、変わりません。
神の言葉、聖書は変わりません。何千年であろうといつの時代にも、色あせない、真理です。イエスキリストも変わらずに、今も私たちを助けてくださる方です。しかし、今、目に見えないのですね。目に見えないものは、変わらないのです。これらのものに、目を向けなければなりません。

2021年03月06日

信仰的に踏み込むこと

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パウロ秋元牧師のメッセージは、出エジプト34:10から。
力強いメッセージでした。

ますます、神が力強い業をなされることを、期待させるメッセージでした。

柏教会のディボーション箇所というのがあります。1990年の1月に、牧師に立たされました。
それから、その1月1日から、毎日1章づつ読んできた聖書箇所が、今の柏教会のディボーション箇所です。

今回、3月3日、4日がヘブル人の手紙の3章、4章でした。「今日、もしみ声を聞くならば、〜心をかたくなにしてはならない。」の箇所です。ですから、今回の白馬スネルゴイオンラインキャンプ、ぴったりの場所です。

東京アンテオケ教会のディボーション箇所は、今日が、ペンテコステの箇所で、三千人が救われたところです。

キャンプで、主は、信仰的に、明らかに踏み込むように語っておられました。特にインターネットです。

「えー、もっと踏み込むんですか」と言いたくなる方がいるかもしれませんが、踏み込もうとする時はいつも
踏み込むのが、大変に思えたり、難しく思えたりするものです。でも、踏み込んでから、後ろを見ると、大変でもなく、それほど難しいことでもなかったことに気づくはずです。

 文句を言わないで、というよりも、喜んで、期待して、踏み込んでみましょう。神のわざが現わされます。
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