2021年05月02日
祈りの恵みの現れ 7−1
「とりなしの祈り」とは、自分以外の人やグループのために、祈る祈りのことです。このとりなしの祈りが聞かれたことのお話をさせていただきます。
以前に、東京アンテオケ教会(旧:国分寺クリスチャンセンター)で、ご婦人の祈りの集会が持たれていて、それに奉仕者として導かれて毎週のように祈りの時を持っていました。共に祈ったり、多分メッセージをお分かちしたりしていたと思います。しかし、かなり愚痴を聞かされたような、気もします。だいぶ前、30年ぐらい前ですがら、記憶も薄れています。でも、旦那さんのために、「とりなす」ことも多かったと思います。「きっと、救われて熱心になっていかれますよ。」などと、信仰告白とも、励ましとも言える言葉を告白して、とりなしていました。で、はっきり言って私の心の中では、「本当にそうなるかな?」という疑いの思いもありつつ、、、。しかし皆さんご婦人方が熱心で、いろんな祈りが聞かれていたので、「きっと、旦那さん達も熱心になるのでは」という思いもありました。数年、あるいは十数年というだいぶ月日はかかりましたが、その旦那さん達が救われ「よかったー」、献身し「素晴らしい」、牧師になり「スゴーい」、長老にまでなっていった「たまげた!!」ことは、驚かされました。神様は、ご婦人がたのとりなしの祈りを、本当にきかれるんだなと、強く思わされたものでした。
ですから、是非忍耐深く、お祈り下さい。「とりなす」なら、人は、神によって変えられていきます。また、このように、祈祷会で心を合わせて祈ることは、聞かれますし、祈祷会は教会の課題とともに、(個人的なリクエストできる祈祷会は)個人的な課題を出して、継続して祈るためには、とても用いられると思います。
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