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2023年09月16日

危機の時代の精神的ワクチン

DSC_0158.JPG


僕は非常に危機感を感じてます。

「ファイナル・ジャッジメント」「十字架の女」「揺らぎ」「ノストラダムスの予言の復活」「富士山大噴火」「南海トラフ大地震」「世界大恐慌」「核戦争」「食糧危機」「地獄の法」が近づいてきています。

僕は何か言わないといけないと思いつつもしばらく話せませんでした。日本神道系は大東亜戦争の反省をしていないので、今も先の大戦の時のように危機に対して目を背けてしまう傾向にあるようです。自己中光明思想というか、宿題をやりたがらない子供というか。

しかし、渡部昇一先生のあるお話を思い出したきっかけで言葉がどんどん浮かんでくるので、「希望」を少し語ろうと思います。

日露戦争以後に石炭から石油に変わる転換点で、戦争には石油が無いと飛行機や船は動かせないと。しかし、日本は石油が産出されないので、日本はもう戦えないと日露戦争の英雄、秋山真之はそれ以後、少し異常になったと。卑俗な言葉で言えば半ば狂ったと。

しかし、続けて渡部昇一先生は秋山真之が狂ったように危機感を持っている間は大丈夫だったと。

私はこの歴史の教訓から、強い強い危機感を持っている事で助かることがあるのではないかと思いました。また、火事場の馬鹿力というか、狂うほどの危機感があれば知恵も出てくるでしょう。

思えば、ほんの80年前の日本人は頭上から爆弾が落ちてきて逃げ回って生き延びました。それが、ウイルスか噴火の噴煙かの違いだけでしょうか。まだ、未体験、なので軽いことは言えませんが。

いつかの桜チャンネルという保守系のYouTubeで経済問題について何名かの評論家や先生方が議論しあっていました。最後に日下公人先生が議論をぶち壊したというか、目から鱗が落ちるようなことを言ってました。

「問題、問題と言うけれど問題何か何ひとつ無い。私たちは戦後、焼け野原になってインフラが破壊され尽くされ、一級の人材もみんな死んだ中を復興してきた。そんな私たちから見れば問題何か何もないと」笑

要するに人間は本来無一文だと心得ておれば何も問題は無いと。家族も家も身体も私のものだと思っているから問題なんだと。

それともうひとつ、「人生は論語に窮まる」という題で渡部昇一先生と谷沢永一先生が鼎談された本の中にこういう話があります。

論語には、孔子様が殺されそうになったときに語った言葉として「私は天から仁義道徳を教えように生みつけているのだから、私が殺されることは断じてあり得ない」ということが説かれていました。

その論語の教えについて、荒木進著「ビルマ敗戦記」という本の中から渡部昇一先生は引用されて、解説されました。僕はこれを聞いてはあーなるほどなと手を叩きました。

復員後、福田五段という碁打ちの話を何かで読んだ。同五段も私と同じ頃、フィリピン派遣軍に召集されたが、『私は碁打ち、碁以外に才能がない。天が私を碁打ちとして必要と思うなら私は死ぬことはない。死ぬなら私にそれだけの才能がないということで、私は元来世に不要な人間なのだ』と超然として出征したという。私は深く恥じた。大学を出、少しは本を読んで人生に関する考えも持っていると思っていたのに、同じ年頃の碁打ちに人間として遠く及ばないと自認せざる得なかったのであると。

孔子様と言われると遠いが、この碁打ちの心構えは立派で少しは現実味を感じさせられました。

また、こういうお話もあります。司馬遼太郎先生が、第二次世界大戦にて満州の戦車部隊で参加されたことを岡潔先生に話した際に、岡潔先生は「それは日本の神様が生かしたんだ」ととっさに言いました。近代の天才数学者こんなことを言うことに驚きましたが、はあーと深く納得しました。

ソクラテスは哲学とは「死の練習」であると説かれていました。なぜなら、真理とは肉体と離れたものであるから、肉体と離れるほどに真理に近づく、それ故に「死の練習」であると。

大川隆法総裁先生は人生の秘訣は「一日一生」だと説かれました。人間は今日で一日が終わると思えば、もっと人に優しく出来たのではないかとか真理を学べたのではないかと心から思えるということです。

危機の時代において「死の練習」「一日一生」の修行がリアリティーを持って出きることにむしろ感謝できる心境になりたいと思います。

二宮尊徳先生の「苦の中に楽地を見つけよ」の教えを忘れないで危機の時代、奇跡の時代を生き抜きたい。

もし生き残れば、エル・カンターレ文明の新しいパイドン、新しい報徳記、新しい論語を後世に残したいね!

あと、魂の消滅を恐怖している方へ。友達がこういうことを言ってました。この宇宙は縁起の理法が絶対なのでおそらく魂が消滅するのは自分で自分を消すのではと。なるほど、可能性としてあるなあと。

また、これはいい例ではありませんが、唯物論無神論の理論的指導者の立花隆だったか、養老孟司だったか、忘れましたが、死んだら(霊魂を信じてない)無くなるので痛くないし怖くない。だから、結果としては何も怖くないみたいな笑

こういうタイプの魂は消されるかもしれんなあ。

あと、備蓄をしましょう。僕は4年間も師匠に備蓄の大切さを説かれたのにやらなかった自分がいることを正直に告白します。だから、やらない人の気持ちも分からんでもないけど、僕のように愚か者であってはいけないよ。ローリングストック、コンテナストック、高荷智也でYouTubeで調べて見てください。この備蓄を教えている人が、現代の予言者かもしれないよw

最期に心の修行をしましょう。「沈黙の仏陀」の戒・定・慧です。また、四諦・八正道です。心を観て苦しみを発見して集めて原因を発見して正しい道を発見することです。「真説・八正道」ですよ、「釈迦の本心」「仏陀の証明」ですよ。これが、宇宙を救います!

結果を気にせずに、愚直に忍耐して心を見つめるのがコツです。私は他にやりたいことがあるとか、結果がすぐ出ると思い上がりがあるほどキツイけど、そのきつさがゴシゴシ汚れを落とします。この地味で手間暇かかる作業が本物のエル・カンターレの信者となるでしょう。

共にエル・カンターレ文明の黎明期を生き抜きましょう!
posted by オークラ at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2023年09月14日

政治の無関心は階級社会が生んだ因果

またまた谷沢永一先生の「人間通になる読書術」を読んでいて、山本七平先生の『「空気」の研究』の書評に現代の日本の政治の閉塞感を突破するヒントがあったのでメモに。

元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争にすらこれがあった)だったのだが、農民微募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった。(谷沢永一著『人間通になる読書術』P24)

現代の日本の政治への無関心はこの戦争は武士がやるものという伝統が日本人の潜在意識にあるのではないかと思う。武士はこれを鼓舞しなければならぬのである。

空気に水を差す

谷沢永一先生の「人間通になる読書術」を読んでいてこれからの幸福の科学及び幸福実現党、正義を求める人々の生き筋のヒントになる文があったのでメモに。

「空気の支配」に、我われの祖先が、全く無抵抗だったわけではない。「空気」に対して「水を差す」、それが民族の知恵であった。我われは現代に即した新しい「水」を発見しなければならぬのである。(谷沢永一著『人間通になる読書術』P23)

幸福の科学、幸福実現党及びワクチンに反対する人々、ロシア擁護する人々は新しい水の差し方をたくさん発見して何度も水を差さなくては国論は変えられないなと思った。

2023年09月13日

自己処罰は思い上がりから来るものだ

戒を立てて修行に励むその姿勢は心意気はよし。しかし、戒を実行できずに自分を責め立てるのは、たいがいは私はできるハズだと実力から離れた自己評価の高さから来る思い上がり来るものだ。戒定慧である。原因を探究しつつ、正しく自己評価して少しずつ、平凡に慣性の法則に逆らいつつ平常心で修行に励みたいものだ。
posted by オークラ at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

裁きには恐怖という心の負債の移転という面もあるかもしれぬ

「このままでは地球が滅びるぞ」「このままでは国が滅びるぞ」「このままでは地獄に堕ちるぞ」「このままでは魂が消滅するぞ」

それは事実であろう。しかし、人にその事を忠告する時はこれは自分自身の恐怖心という肉体煩悩から発された心の不安を相手に押しつけていないか考えてから話すべきだと思う。

勿論、仏は愛があるなら勇気ある一言は仏子に求められていると忖度する。
posted by オークラ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

ソウルメイト

数回しか会話した記憶が無いハズなのに親しみを強く覚えて、心でいつも繋がっているような人との出会いがある。反対にいつも会話し会っているにも関わらず心が離れている人もいる。人との心で通じ合うことで自分自身とは何者なのかが分かるかもしれないなあと思った。
posted by オークラ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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