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2023年12月24日

エル・カンターレの知的幸福と読書のヒント集【11つ】

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ルノアール(庭で犬を膝に抱えて読書する少女)より

【1】渡部昇一さんが提示した「知的生活の方法」は、当時、学者を目指している人や知的生活を目指していた人たちにとっては、一つの啓示のようなものでありました。学校エリートや塾教育を受けたりして、競争に疲れたり破れたりしたりした人、あるいは自分にレッテルを貼り、「もうこれまで」と思っていたような人たちに、「新たなライフスタイルがある」ということを提示したと思います。(大川隆法著「比較幸福学入門」P30〜31)

【2】渡部昇一さんは、「知的生活が実は幸福なのだ」とは言ってませんが、結局は、「知的ライフスタイルを守って生きることが、ある種の幸福を伴う」ということを言っていたのではないかと思います。(大川隆法著「比較幸福学入門」P32)

【3】「ものすごく勉強ができるな」と思う人でも、試験が終わったらケロッと忘れてしまう人を、私はたくさん見てきました。「これが秀才の正体か」と、あっけに取られるのですが、「本当にそんなことあるのか」と思うほど、試験が終わったとたんに、勉強した内容が"消えて"しまうのです。「試験の日だけは覚えている」という人がたくさんいました。

本当に「勉強を愛している人」「学問を愛している人」であれば、そのようなことはあってはならないことです。(大川隆法著「創造的人間の秘密」P69)

【4】私が二十歳前後のときに、最初に得た悟りは、「能力的に差があると感じる場合に、相手に勝つ方法は一つしかない」ということです。

親の違いによって、ある程度、頭のよし悪しの差はあるのかもしれません。優秀な親から生まれた子と、凡庸な親から生まれた子が、たまたま同じ学校で勉強している場合があるので、そういう場合は「もとから違う」と言えるかもしれません。

しかし、それでも勝つ方法が一つだけあるのです。

それは何であるかというと、「その人よりも、本を多めに読むこと」です。これによって勝てるらしいということが分かりました。結局、「知識の量」に一定の差がつくと、相手に勝てなくなる地点があるわけです。

少しの差であれば、頭のいい人のほうが"切れ味"がよいのですが、「一定以上、勉強や知識の量に差がついてくると、もう引っ繰り返らなくなる地点があるらしい」ということが分かってきました。

その地点まで到達するためには、数学や物理などの世界では、知識の量とは多少違うものがあるかもしれませんが、「一般教養」やいわゆる「文学的な学問」の領域では、「十年ぐらいの蓄積量があれば、もはや力量的に逆転できなくなる」ということが自分なりに分かりました。

したがって、「自分は頭が悪い」と思ったら、「本をよむこと」が大事だと思います。
(大川隆法著「創造的人間の秘密」P70〜71)

【5】最初は劣等感を持っているかもしれませんが、本を読んで知識が増えていくにしたがって、その劣等感が次第に薄らいでいきます。他人との競争をして、「自分は劣っている」ということばかり考えていた状態から、いつの間にか、「勉強そのものに没頭している自分」を発見するようになるでしょう。

要するに、これは、「自分との戦い」にしかすぎないのです。他人との戦いではなく、自分自身との戦いであり、「自分が、その方面の勉強に関して、どこまで要求していくか。どこまで求めていくか」ということが大事なのです。それが実力となって表れてくるのです。(大川隆法著「創造的人間の秘密」P71〜72)

【6】学校の勉強や職業には直接つながらないような読書の場合、見栄などではなく、「純粋な興味・関心」で読んでいるので、頭によく入っているのです。(大川隆法著「創造的人間の秘密」P90)

【7】若いので体力に自信がある方が多いと思いますが、卒業後、社会経験をしていくと、次第に肉体面への配慮が落ちてきます。そして、仕事でも、それ以外でも、やれどもやれども収穫が充分でないという経験をすると思います。それは、体力的な機能の低下が、知的生活にもそうとう影響しているということなのです。これが、卒業後、頭が悪くなっていく人が多い理由の一つです。肉体面の配慮を怠り、それが知的なレベルにも影響を及ぼしていることを忘れているのです。ですから、適度に肉体面への配慮をすることが必要なのです。(大川隆法著「人生の王道を語る」P253)

【8】勉強だけをずっとしていると、収穫の逓減が起きてきます。この収穫量を増やすためには、気分転換のために何か新しい手を打たなければならないのです。これを考えない人が、あまりにも多すぎるのです。ただがむしゃらにやっていればよいのではなくて、身体を動かしたり、時々インターバルをおくことが、成果を大きくするための方法です。ですから、あるものを一定のあいだ学習したら、少しインターバルをおいて違ったものをいれ、さらにまた同じものを繰り返すというような工夫もしてください。

学生時代にがむしゃらに勉強しすぎると、卒業後、しばらくは、気力、体力が落ちて、回復するのにかなり時間がかかることがあります。在学中、べんきょうするときには、肉体面の配慮と、適度にインターバルをおいて、違ったことで気分転換をしながらやっていく方法を身につけてください。(大川隆法著「人生の王道を語る」P253〜254)

【9】書物収集の際には、それほど問題を特定せず、そのときどきに関心のあるものを、いろいろと集めて読んでいるのですが、こうしたことを何年か続けていくうちに、だんだん一つのまとまりが形成され、資料価値を持つようになってきます。そうすると、それが一つのテーマとして流れだし、一冊の書物に結集していくことがよくあります。

そうした場合に、一冊の書物をつくるという前提で資料収集をするという方策が、はたして懸命かというと、必ずしもそうではないのです。最終の目的が分からないうちから、関心の赴くままにさまざまな文献を集積し、また、それに対して知的努力をしていると、ある点を突破したときに、蓄積効果が出てきて、開花することがあります。(大川隆法著「愛の原点」P109〜110)

【10】「仏法真理の学習ということ自体が一つの伝道方法である」ということを忘れてはいけません。(大川隆法著「愛の原点」P135)

【11】「あなたは、自分が学んだ仏法真理を、いったいどのように役立てたか、あるいは使ったか」ということです。

学んだだけで、自分の心のなかに死蔵しているのか。それとも、それを友人たち、人生の途上で出会う人たちの向上のために、少しでも使うことができたのか。あるいは、人生で出会う多くの人たちに、何らかのよい影響を与えることができたのか。そうしたことが検討される必要があります。(大川隆法著「愛の原点」P135)


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ルノアール(湖のほとり)より
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