誘われて、2 つほど飲み会に参加してきました。飲み会では友人に会えるのが喜びです。
それで
ある友人に、人間として当たり前のことができないのか、と言われました。
別の友人には、もう底彦さんのことを人として信用できない、と言われました。
友人の一人 (A さんとします) から繰り返し言われたのは、人への気遣いの無さ、いつも自分さえよければいいと思っているという身勝手さ、飲み会での基本的な態度がなっていない、ということでした。
もう一人の友人 (B さんとします) から言われたのは、今まで一緒に飲んだり、話したりしてきたけど、底彦さん、努力すると言いながら何にも変わらないね。もう無理だよ。いつか変わると信じてきたけど無理だよ。底彦さん、社会常識、無さ過ぎ。そういうの会社で教わらなかった? 50 歳でしょ。仕事とか、社会生活とか、もう諦めて生活保護とか入院とか考えた方がいいと思いますよ。目が死んでるもの。
へこみました。少し補足します。
A さんから言われたのは飲み会の時に、上の人にお酒をそそぐ仕方がなっていないということと、言葉遣いがしばしば相手を卑下するような言い方 (敬語が間違っている) になっていること、でした。それは私自信もずっと気をつけてきたことですが、少し酔って注意力が散漫になってしまったために出てしまった言葉です。相手の方には本当に申し訳ないことです。
B さんから言われたのは二つです。一つは、少し私が酔ってきたとき、場の雰囲気も考えずに勝手な話題を大声で話し始めて場の雰囲気を壊したこと。二つ目は、飲み会が終わりに近付いて、お勘定の話になった時に私が勝手に上から目線になって仕切ってしまったということです。まるで「お前らの分、俺が払ってやるからまかせとけ」みたいな。おそらく、もっとひどくて高圧的な言い方をしたのだと思います。非常に失礼な態度だと思います。B さんからは、「本当にああいう言い方、直した方がいいぞ。何度言っても変わらないな。ちょっと距離置かせてもらう」と助言をいただきました。
帰宅して、数時間、自責の念に堪えられず、石になっていたと思います。
何をやっても人に迷惑を掛けてしまう。人に気を遣うことができない。不愉快な思いをさせてしまう。
クズです。
寝た切り。仕事もできない。友人も少しずつ離れていく。そのくせ酒癖も悪い。
何で今だに生きていられるのか、と思うんです。
貯金だって、もうそれほど余裕のある額ではなくなってきました。
仕事をしないと。
この、「仕事」についてちょっとだけ書いて終わりにします。
仕事をしたいか? と問われれば、「したい」と答えます。
仕事をしたいからです。
一日、一所懸命働いた後の充実感は何物にも変え難い。一所懸命に働いた後のご飯は一番おいしい。
でも、現在の私は仕事をしないことが多いです。その理由は寝た切りで疲労感、恐怖感、不安感が強くて外に出られないから。
. . . . .
これ、本当にそうなのでしょうか?
本当は、私は「仕事がしたくない」のではないでしょうか?
だから、体の不調を理由に仕事をしないのではないでしょうか? 本当は仕事をする意欲も体力もあるのに。
こういう考えを思い付いたのは一昨日くらいですが、思い付いた後、ちょっと死にました。
もしそうなら、鬱ではなくて怠けではないのか?
あくまでも自分の場合ですが、こういったところ、私が鬱病とか言っている癖に病気に甘えていると言われるのかも。快復してきた、というのが周囲にもわかるからかも。
ちょっとまだ私の中でも考えがまとまっていないのですが、鬱で動けない状態というのはあります。
その時には仕事とか、日常生活とか、不可能です。
これは確かにあって、でもこの感じをわかってくれる方は実際に鬱で苦しんでいる方以外にはいないだろうなと思います。
しかし、そうして寝込みながらも休んでいると、鬱がちょっと快復してきたような感じになります。
動けそう、本を読めそう、音楽を聴けそう、散歩もできそう。
こういう状態は健常者の方も、あの人、表情が明るくなった、とか、まともに会話ができるね、とかでわかってもらえると思います。
治ったわけではないですが・・・
この段階、難しいなと感じています。
鬱も含めた心の病が健康な方々にどんな風に受け止められているのだろう?
治った、良かったと思ってもらえることは嬉しいのかなあ・・・
すっかり明るく元気になったみたいなのに、また今日も会社休み? あいつ、なんだかなあ・・・と思う人がいても当然のような気がするのです。
周囲の方々から見たら、皆忙しいのに、鬱という病気に甘えてのんびり休んでいるんだろうなあ、と。
私自身にとっては、この段階は快復への振り出し地点であり、これからゴール目指すよ、みたいな感じなのですが、他に心の病と闘っている方々、その周りの方々、どんな風に感じたり、思ったり、考えたりしているのでしょうか。
話を戻しますね。
もう少し快復してくると、仕事がしたくなります。
それで、問題はこの時の状態なのですが、仕事がしたいという思いと並行して、もうちょっと休もう、仕事はいいよ、という心の中からの言葉があります。
寝ているのはとても楽だし、落ち着くし、だからつい寝た切りを続けてしまいます。
こんな状態は、体が求めているのですが、自分を怠け者、サボリ、脱落者などという言葉が頭の中をぐるぐるし始めるのが辛いです。
ですが、動けないのでどうにもなりません。
枕元に置いた薬を決められた時間に飲み、ちょっと苦しい時には頓服を飲み、数時間の心の安定に身をゆだねています。
うーん。どうしたらいいんだろう。
結論として、今考えていることは、私は少なくとも「仕事がしたい」という気持ちと「仕事がしたくない。寝ていて休みたい」という気持ちが同じくらいの重さで心の中にあるということ。
無理だけはしないように、ゆっくりと、じっくりと日々を過ごしていくつもりです。
それで、また機会を見て書きたいのですが、鬱と甘え、というのは言葉として結構強烈なために、正しい解釈、おかしな解釈を含めて結構激しく論じられるフレーズになってしまったような気がします。鬱病自体の科学的な理解が未だに不完全であること、対症療法として有効と考えられる薬が大量に存在すること、鬱は治るという主張がだんだん強くなってきたこと、鬱は心の風邪という言葉が当初の意味と違って広まってきたこと、精神疾患というものがなかなか他者からは認識されずらいこと、そういうこと、時間はかかると思いますが書いていきたいです。
明日の朝、早く起きることができたら、絵を描きます。楽しいし没頭できるから。
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