苦しいので頓服を飲んだ. しばらくして気分が落ち着く. 頭が動くうちに今の体調についてまとめておく.
いくら休んでも気分の落ち込みと疲労感が無くならない. とにかく休みたい.
ラジオのニュース番組はよく聴いていたのだが聴けなくなった. たくさんの情報が入ってくるのが苦痛である.
頭の中が混乱してしまう. 訳がわからなくなって不安に陥ってしまう. こういう具合なので聴くことができない.
自分は駄目だ, 自分は出来損ないだという意識が何度も頭に浮かんで来て苦しい. 頓服を飲むと治まることが多い.
数日前に PSW さんから電話があった. 認知療法を二回, 体調不良でキャンセルしている. 体調が良くなったらこちらから連絡しますと伝えたきり一向に連絡が無いので心配して掛けてきてくれた.
先日の診察時に主治医に頑張り過ぎと言われたことを含めて現在の状況を伝える.
PSW さんからは, 認知療法のことは気にしなくていいので今は休んでください, サボってくださいと言われる. また連絡をしますとのこと.
読書は少しできる.
ぼんやりと絵のことや数学のことを考える. けれども描いたり計算したりといった実際の行動に移す気力は無い.
それでも, これくらいのことで苦しさから少し抜けられる.
この辺りに回復の希望がありそうにも思うが, 基本は寝て休むことしか無いだろう.
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先日の私のコメントに対する Takeo さんの返信ですが, 私とは異なる視点を与えてもらったと思っています.
Takeo さんがお気になさることは無いですよ. ふたつさんの返信と一緒にじっくり読みました.
Takeo さんのブログでは, 誰もが意識的にせよ無意識的にせよ必ず突き付けられるような問いかけ ── 自分とは何か, なぜ苦しむのか, 何を求めるのか, そしてなぜ生きるのか等 ── を考えさせられます. 私は大体朝に Takeo さんのブログを読むのですが, 更新されているととても嬉しいです.
内容が深いので一度読んだだけでは理解できないこともあり, 何度も読み返しますし, 読み返すに値する文章だと思っています.
私のほうからコメントする場合は, 必然的に自分自身が上に挙げたような問題に向き合うことになるので考えを集中させる必要があります. じっくり考える時間が必要なので, タイムリーにコメントするのは難しいですね. けれどもコメントを書いている時間はとても充実しています.
Junko さん, ふたつさん, Takeo さんのやり取りを読みました. このやり取りの根底には, 私が逃れられずに苦しんでいる問題が横たわっているような気がしました. 世界の中で自我を構築し存在させることはできるのか? なぜコミュニケーションが成立しないのか? コミュニケーション恐怖の私にとってはそういう問題ですね.
Junko さんは「Takeoさんの闇には、闇の香りがあります」と書いていますが, 私もそう思いました. 美しい表現です.
暑かったり, かと思うと急に気温が下がったりと安定しませんが, くれぐれも Takeo さんが体調を崩されませんよう, 穏やかな時間を送ることができますよう祈っております.
「集団認知神津療法」(なんじゃこりゃ)→「集団認知行動療法」
2行目、
>昨日頂いたコメントについて、何やら自分の正当性を主張したような後味が残っています。
↓
昨日頂いたコメントについて、何やら底彦さんの主張に対し、自分の意見の正当性を主張したような後味が残っています。
昨日頂いたコメントについて、何やら自分の正当性を主張したような後味が残っています。みなさんからのコメントはいつでもとてもうれしいのですが、同時に、今の自分には適切な受け答えができない(できていない)のではないかという躊躇いのような感覚があります。
返事を書きたいという気持ち。そのテーマについて話し合いたいという気持ちと、結局ピントのズレたことしか言えていないのではないかというジレンマがあります。
自分の考えを伝えながら相手の気持ちを慮るということができているのか?
またそれを考え出すと何も言えなくなってしまうという困惑も・・・
ところで、今週の木曜にまた「集団認知神津療法」のプログラムがあります。
今回のテーマは「アンガー・マネージメント」です。
出席すれば、参加者も、わたしも前回同様厭な後味を残すだけだろうと、今後の参加に関しては消極的です。
今日Junkoさんのコメントにふたつさんが応じ、それについて返事を書いていて、予期せずして認知行動療法に言及することになりました。
気が向いたら、覗いてみてください。「2ページ目の『石川九楊の逆説への懐疑』という投稿の一番下に書かれています。
「明るい話」とまではいわずとも、もう少し、陰気臭くない者が書けないものかとも思いますが、何よりもまず自分の気持ちに愚直に向き合いたいという気持ちが勝っています。
底彦さんは愚痴や泣き言を一切言わないので、そればっかりのわたしは、ただただ感心するだけです。
では心穏やかな一日を過ごされますよう。