認知療法シートを書いているとき, 自分の「外に出るのが怖い」という意識の背景に「働いてもいない自分が昼間から外をブラブラしていて申し訳無い」という思考があることに気がついた. それについて PSW さんと話し合った.
PSW さんから「あなたにとって働くというのはどういいうイメージなのでしょう?」と聞かれる.
考えながらそれに答えてわかったのは, 自分の中で「働く」という行為がかなり偏ったイメージで構成されているということだ.
働く = 人のためになることをして報酬をもらい, それで自分の生活を賄う
というのが自分の中にあるイメージだった.
「人のためになる」というのは「役に立つ」と同じで一つ間違うと危ない意味になる言葉だ. 下手をすると, 絵を描くことや数学をやることも切り捨てられてしまう.
「報酬をもらう」ことだけが働くことでは無い. うまく言葉にできないが, 働くというのが報酬を得ることだけで成立しているものではないことは想像できる.
「働いて受け取った収入で自分の生活を賄う」と言うが, 就労不能で働かずに障害年金で生活している自分は当然これには当て嵌まらない.
結局働いていない自分は強い罪悪感に苦しめられることになる.
どうしてこんなに歪んでいるのだろうか. この奇妙な価値観は何から来ているのだろう. 何となくではあるが, 「どんなことがあっても人に迷惑を掛けてはいけない」という自分の根底にある強い束縛から出てきているように思う.
それでもこういうことがわかったのは良かった. この方向で認知療法を続けていくことになった.
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