2011年05月17日
一周忌 / Ronnie James Dio
今日は5月16日
アメリカ時間の2010年5月16日、アメリカで世界的に偉大なヴォーカリスト Ronnie James Dio が亡くなった。
彼のように歌えたらどれだけ幸せだろうか、と思うヴォーカリストは世界中にいるだろう。
彼と一緒にステージに立ちたかったミュージシャンは世界中にいるだろう。
彼と親友になりたかった人々は世界中にいるだろう。
彼は誰にでも分け隔てなく親切に、いやな顔をせず、直筆サインを書いたり、一緒に写真を撮ってくれたりしたそうだ。何店ものオートグラフショップの動画や何人ものファンがアップした動画を見たことかわからない。
いつも、にこやかに笑顔でカメラのほうに向いたりVTRカメラのほうに向きながらサインを書いていた。サインを書いた相手に、Thank you、と言っている動画も見たことがある。考えられない対応である。めんどくさがったりすることは彼ら有名人だと当たり前なのではないだろうか。
日本とは違い、海外では1人で何枚もの写真やLPジャケットを持って、本人に書いてもらうことが当たり前に行われている。日本だと、本人が迷惑するだろうから、と、まず、大量に写真等を持っていってサインを書いてもらおうと思う人は少ないだろう。
海外で有名人が当たり前のように大量に持ってきたものにサインをしている写真を私が見たことは少なくない。だから、いつも、ハイ、ハイ、といった感じでさばさばとサインを書いてくれる。拒否する方も少なくない。当たり前である。1人に書いたら、周りのすべての人にしなければいけない状況になるかもしれないし、1人にサインをするのも面倒に思うことは人間なら当たり前ではないだろうか。
でも、ディオはひとり、ひとりに笑顔でサインを書いて、時には会話に受け答えしながらサインを書いていた。
彼の人柄がわかる厚意である。
彼はシャウトする歌い方をするときに、ウー、ウ〜ゥ、イェー、イェーエー、エ〜、というシャウトをする。ディオの歌を聴いているなあ、と思う瞬間である。
クイーンに、ポール ロジャースが参加したときに、フリーやバッドカンパニーの時のように時折、イェ、ベイベー、と言っていたが、酒井康氏曰く、あれはないだろう、とおっしゃっていたが、その意見もわかるような気持ちがする。
レインボーの話がメインで語られるが、私はブラックサバス時代に奇跡的な科学反応を起こしていることに注目したい。
水と油、といわれていたミュージシャンたちが演奏したときに、考えられないような音を出した。あのようなことは稀有なことである。
アルバム ヘヴン&ヘル はいまだに語り草になる名盤中の名盤であるが、あの当時に彼らが、HR/HMの様式美、というものを確立させたのだと思う。音が古臭くない。私は個人的にレイニーのアンプが好きだが、トニー アイオミは当時、レイニーのアンプを使用していたこともあるが、かなり歪んだ音を出している。当時にしてはかなり歪ませて使用している。
あのアルバムは捨て曲がない、といってもよいと思う。残念ながらあの作品を超えるアルバムを彼らが再度、集まっても制作することはできなかった。
また、彼らのような、水と油、と思われるミュージシャンが集まって制作したアルバムで成功した例はとても少ない。
私はロニーのステージを一度も観ることができなかった。そのことがいまだに後悔している。いまだに、というのは彼が存命中から後悔していたからである。今の状況なら資金さえあれば何処へでも観に行けるが、当時働いていた会社は有給休暇や休暇を自分で選ぶことができなかったので、県外はもちろん県内で行われるステージすら観に行くことができなかった。だから、東京や大阪まで観に行くことなど不可能であった。
日本時間の5月16日とアメリカ時間の5月16日はロニーの歌を聴くことに決めていた。昨日も聴いたが、アメリカ時間の5月16日もロニーの歌声を聴こうと思う。
書きたいことは書ききれないぐらいある。言葉で書くより、彼の歌声を聴いて感じたいと思う。
Dear Mr.Ronnie James Dio
私はあなたの大ファンです。いまだにそのことは変わりません。
あなたの歌声を聴くといつもそのアルバムを聴いていた時のことを思い出します。
あなたのことは未来永劫語り継がれるでしょう。
私はあなたの大ファンになれて幸せに思っています。
あなたがのことを思うとメロイックサインとあなたの言葉、メッセージ、We Rock!!、"Magic"、ということが頭に思い浮かびます。
すばらしい歌声を聴かせてくれてありがとう。いつでもあなたの参加したアルバムを聴けばいつでも会えます。本当にいつもありがとう。
あらためて、故人ロニー ジェイムス ディオさんのご冥福をお祈りいたします。
合掌
アメリカ時間の2010年5月16日、アメリカで世界的に偉大なヴォーカリスト Ronnie James Dio が亡くなった。
彼のように歌えたらどれだけ幸せだろうか、と思うヴォーカリストは世界中にいるだろう。
彼と一緒にステージに立ちたかったミュージシャンは世界中にいるだろう。
彼と親友になりたかった人々は世界中にいるだろう。
彼は誰にでも分け隔てなく親切に、いやな顔をせず、直筆サインを書いたり、一緒に写真を撮ってくれたりしたそうだ。何店ものオートグラフショップの動画や何人ものファンがアップした動画を見たことかわからない。
いつも、にこやかに笑顔でカメラのほうに向いたりVTRカメラのほうに向きながらサインを書いていた。サインを書いた相手に、Thank you、と言っている動画も見たことがある。考えられない対応である。めんどくさがったりすることは彼ら有名人だと当たり前なのではないだろうか。
日本とは違い、海外では1人で何枚もの写真やLPジャケットを持って、本人に書いてもらうことが当たり前に行われている。日本だと、本人が迷惑するだろうから、と、まず、大量に写真等を持っていってサインを書いてもらおうと思う人は少ないだろう。
海外で有名人が当たり前のように大量に持ってきたものにサインをしている写真を私が見たことは少なくない。だから、いつも、ハイ、ハイ、といった感じでさばさばとサインを書いてくれる。拒否する方も少なくない。当たり前である。1人に書いたら、周りのすべての人にしなければいけない状況になるかもしれないし、1人にサインをするのも面倒に思うことは人間なら当たり前ではないだろうか。
でも、ディオはひとり、ひとりに笑顔でサインを書いて、時には会話に受け答えしながらサインを書いていた。
彼の人柄がわかる厚意である。
彼はシャウトする歌い方をするときに、ウー、ウ〜ゥ、イェー、イェーエー、エ〜、というシャウトをする。ディオの歌を聴いているなあ、と思う瞬間である。
クイーンに、ポール ロジャースが参加したときに、フリーやバッドカンパニーの時のように時折、イェ、ベイベー、と言っていたが、酒井康氏曰く、あれはないだろう、とおっしゃっていたが、その意見もわかるような気持ちがする。
レインボーの話がメインで語られるが、私はブラックサバス時代に奇跡的な科学反応を起こしていることに注目したい。
水と油、といわれていたミュージシャンたちが演奏したときに、考えられないような音を出した。あのようなことは稀有なことである。
アルバム ヘヴン&ヘル はいまだに語り草になる名盤中の名盤であるが、あの当時に彼らが、HR/HMの様式美、というものを確立させたのだと思う。音が古臭くない。私は個人的にレイニーのアンプが好きだが、トニー アイオミは当時、レイニーのアンプを使用していたこともあるが、かなり歪んだ音を出している。当時にしてはかなり歪ませて使用している。
あのアルバムは捨て曲がない、といってもよいと思う。残念ながらあの作品を超えるアルバムを彼らが再度、集まっても制作することはできなかった。
また、彼らのような、水と油、と思われるミュージシャンが集まって制作したアルバムで成功した例はとても少ない。
私はロニーのステージを一度も観ることができなかった。そのことがいまだに後悔している。いまだに、というのは彼が存命中から後悔していたからである。今の状況なら資金さえあれば何処へでも観に行けるが、当時働いていた会社は有給休暇や休暇を自分で選ぶことができなかったので、県外はもちろん県内で行われるステージすら観に行くことができなかった。だから、東京や大阪まで観に行くことなど不可能であった。
日本時間の5月16日とアメリカ時間の5月16日はロニーの歌を聴くことに決めていた。昨日も聴いたが、アメリカ時間の5月16日もロニーの歌声を聴こうと思う。
書きたいことは書ききれないぐらいある。言葉で書くより、彼の歌声を聴いて感じたいと思う。
Dear Mr.Ronnie James Dio
私はあなたの大ファンです。いまだにそのことは変わりません。
あなたの歌声を聴くといつもそのアルバムを聴いていた時のことを思い出します。
あなたのことは未来永劫語り継がれるでしょう。
私はあなたの大ファンになれて幸せに思っています。
あなたがのことを思うとメロイックサインとあなたの言葉、メッセージ、We Rock!!、"Magic"、ということが頭に思い浮かびます。
すばらしい歌声を聴かせてくれてありがとう。いつでもあなたの参加したアルバムを聴けばいつでも会えます。本当にいつもありがとう。
あらためて、故人ロニー ジェイムス ディオさんのご冥福をお祈りいたします。
合掌