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Heaven And Hell

昨日はまぼろしペイガンズのレヴューを書いてあらためて思ったが、音楽も人の出会いと同じであると感じた。

今日は Black Sabbath のアルバム Heaven And Hell を聴いていた。

車好きならわかると思うが車も出会いがある。

車生活が楽しいものになるか、苦痛な日々になるかは買う前に決まる。調べることはとても重要である。見た目がいいから、という理由だけで購入したら人によっては毎日が苦痛になるぐらいに生活が激変する。

私は値段の安い車を探し、あとで故障したときに部品を交換すればいい、という考えで最後に所有した車を購入した。この考えはとても間違っている。一番重要なのは金額ではない。ボディカラーではない。一番重要なのは車のコンディションである。

日本車でももちろんこのことは重要だし、日本車でも車により海外の車と変わらないくらいに厄介な車種もある。

輸入車を所有したことがない方は、輸入車を購入をしたいが、日本車より故障するから購入する踏ん切りがつかない、とおっしゃる方が多い。

その方々に私は言いたい。

部品の交換スパンは短い。それを理解して購入すればあまり恐れることはない。問題はユーズドカーを購入するときである。

一番有名な厄介な国の車はイタリア車だと思う。部品の供給がすぐに終了して、部品を購入するのに苦労する点や部品交換スパンが短い、という点も上げられる。

特殊な車は部品の供給はすぐにストップしてしまう。メーカーが製造しなくなることと、部品を保管しないことが上げられる。大衆車では販売台数が多いので問題ないが少し趣味性のある車は日本車のように共有部品を使っていないので交換スパンが短いパーツは探すのに苦労する。

でも、そのことを理解して購入すればあまり問題はない。しかし、日本車を所有する気分で購入すれば痛い目にあう。

そして、先に触れたように一番重要なのはコンディションが重要なのである。コンディションがよい車を購入すれば交換が頻繁に必要な部品以外にお金がかかることはない。しかし、コンディションが悪い車を購入するとドライブする時間より、修理工場に入れている時間の方が一年を通して長いものになるだろう。給料のほとんどを修理代につぎ込むことになる。

それを私は20代で経験できたことは私の人生にとってとてもためになっている。30代に経験していたら、40代で経験していたら違うものになるだろう。日々の生活で疲れているのに車でも苦労しなければいけないかもしれないからである。若いうちに失敗することは何事も次へのステップ、学習になる。

私がほしい、趣味として所有したい車はイタリア車である。それもかなりハードルが高い車である。金額は1000万円を超えるだろう。

なぜ、そこまでイタリア車に魅力を感じるかは所有すればわかるかもしれない。建てつけが悪く、内装部品の取り付けが新車時からずれている。それは日本車と比べれば工場での組み付け工程がお粗末さの目立つものである。

しかし、トータルで考えたら日本車は足元にも及ばないものがある。工業機械としては日本車にはかなわないが、自動車文化のバックボーンが日本とはまったく違うので車を所有する喜びは日本車はまったく太刀打ちできない。

輸入車と日本車の違いは所有する喜びを感じるか、感じないかである。何も高級車を購入しなくてもよい。大衆車を所有すればそのことをなお気づかせてくれる。乗り味が違う。メンテナンスさえしっかりしていれば日本車とはまったく違う経年変化をむかえる。日本車は10年が経つといきなり車が壊れ出す。日本のメーカーは10年をめどに車を故障するように作られている。

大体の方は10年以前に車を買い替えるからそのように作られてきた。しかし、今では10年以上同じ車を所有する人が増えている。日本車しか所有したことがない人だったそれぞれの国の輸入車と日本車の経年変化、やれかた、の違いを知ることはできないだろう。まったく違う。

新車で購入して所有し続けた日本車はただ古い工業機械になる大衆車は多いが、輸入車ははじめて道具になり始める。それ以外の車を所有しようと思わなくなってくるから不思議なのである。

私がお金があり、好きな車を購入してもよい、といわれたら趣味の車はイタリア車を購入する。それこそ、50年代のフェラーリ、マゼラーティ、ランチア、アルファ ロメオから70年代の車を所有する。所有するのには覚悟がいる。部品を何処で購入するか。世界中を探すことになるだろう。

私はランチア デルタ HF インテグラーレ EVO を所有していたが、その時に気づいた。イタリア車の70年代設計の車で90年代まで作られた車はとても厄介だと。電子部品が使われているがその部品が壊れる。壊れると部品が供給されていないので交換するのに時間がかかる。なぜなら部品を探さなければいけないからである。私はスピードメーターが壊れてスピードメーターなしで運転していた。それぐらいで悩んでいる人は特殊なイタリア車を所有することはできない。

世界中を探したが個人では限界であることがわかった。今なら間違いなくランチア クラブ ジャパンに加入できないかメンバーの方にお願いする。

イタリアでランチア、というメーカーの車を所有できる人は限られている。貴族出身者や医者、弁護士、町の人々からランチアを乗ることを理解されるぐらい、仕事で成功していて、おしゃれに乗りこなすことができる人以外は所有することは許されない。

イタリア、特に北部は保守的な地域である。隣近所のことにもうるさく首を突っ込む。日本だとノーボーダーだが、イタリアの北部では車を所有するにもその車に見合った生活水準でなければ新車のランチアを購入することができない。あなたはフィアットに乗りなさい、といわれる。バブルのころに多くいた日本人の車好きのように、毎日カップラーメンを食べて所有するような車ではない

ランチアとは本来はそのようなメーカーだった。しかし、今では少し前のマゼラーティと同じで没落貴族になってしまっている。

車をただ所有するだけではなく文化を知りたい、と思わせてくれるのは輸入車ならではである。少し前までの日本車も自動車メーカーの歴史を知りたい、と思わせる車の車種があったが今ではそのような車は残念ながら数台しかない。日産でいえばGT-RやフェアレディZ、マツダのロータリーエンジン搭載車、ホンダの高回転エンジン車、スバルの高性能4WD車、三菱の高性能4WD車などである。

世界のトヨタは、といわれるだろうが、トヨタはトヨタ2000GTを発表前と発表後で社内方針をあらためて決めた。儲からない車は一切作らない、という方針である。コスト最優先である。

トヨタ2000GTは当時ではとても高額で購入できる車ではなかった。だが、トヨタブランドの看板車として製作され販売された。元々はヤマハ発動機と日産が手を組んでフェアレディZのプロトタイプカーのような瀟洒で高性能な車を作るプランで製作される予定だったが開発途中に契約を破棄して、そのプランをトヨタにヤマハ発動機が持っていって製作、完成し、発表された車である。

問題は作れば、作るほど儲からない車だ、ということであった。車自体が高額なので売れないから、ライン生産がとてもできない車である。ライン生産ができない車は儲からない。それで、懲り懲りしたので、本格派のスポーツカーを生産するのをやめた。トヨタ2000GTもあくまでもGTなのでスポーツカーではない。

スープラ、という車があったが、あの車はSZとRZというグレードがあり、NA(ノーマルアスピレーション。自然吸気)エンジンとターボエンジン車があった。その販売価格差はかなりの開きがあったが、工場での制作費はわずか20〜30万円差である。そのような車をスポーツカーとはとてもじゃないが呼べない。コスト優先で出来たスポーティーカーである。

マツダのRX7はスポーティーカーととらえられる方がいらっしゃるが、あの車はスポーツカーである。マイナーチェンジごとに足回りの取り付け位置をずらすこだわりは日本でいうただのマイナーチェンジではない。海外、特にヨーロッパで作られる車のマイナーチェンジと同じ考えである。

日本でいうマイナーチェンジは見た目だけ変えて、内部機関を一切換えていない、というやり方が一般的である。

よくスクーデリア フェラーリ社の作る車はスポーツカーなのか、とおっしゃる方がいらっしゃるが、スクーデリア フェラーリ社が現在、自分達が発表した車をスポーツカーとはいっていない。すべてGT(グランツーリズモ)である。彼が記念に作る車はただのGTではない。しかし、彼らが一般的(彼らは自動車会社という位置ではなく、オートクチュールで製造するメーカーだ、と今でも言っている)に販売されている車はすべてGTである。

フェラーリを所有したい方でスポーツカーを求めて購入する方は60年代後期に発売されクラッシックカー入りした車か、365BB、288GTO、F40等の限りなくレーシングカーの香りを感じる車を購入するだろう。もしスポーツカーがほしいのならばポルシェ社の車か、90年代に市販車として販売されたマクラーレンF1を購入するだろう。マクラーレンF1は究極のスポーツカーである。

大衆車から高級車まですべて共通することは車との出会いである。その出会いはたまたまであったり、求めてどうしてもその車を所有したい、と願って購入する場合がある。人との出会いと車との出会いと決定的に違うのは、出会わないことが出来る点である。どうしても、ほしい車でもコンディションの悪い車を買わないことが出来るので、悪い車と出会うことを避けることが出来る。

労力を惜しまず、お金をケチらず、コンディションのよい車を買うべきである。コンディションがよいか、悪いかわからないのであれば、車好きでコンディションを見分けられるぐらいにその車について詳しい方か、信頼できる自動車修理に長けている人に見立てをしてもらえばよい。その時にお礼代を払うことをケチるぐらいならそんな車など買わなければよい。

私がお金ができ、ランチア ストラトスやランチア ラリー037の競技車に近い車両やフェラーリ F40を購入できるのであれば世界中に車を探しに行き、自分ではコンディションがわからないので、信頼できる整備士の旅費、宿泊費を払って車を購入しに行く。1000万円超える車を購入するのにたとえ100万円余分にかかったとしてもたいした額ではない。

車も出会いがある。そして、その出会いは悪い方を避けることができる。だから、まだよい。Heaven And Hell 天国と地獄。車を所有することに喜びを感じるか、苦しみを感じるか、天国の気分か、地獄のような日々を送るかは、自分で選択することができる。

しかし、人との出会いは付き合ってみるまでわからない。だから厄介であり、楽しいのでもあるが、楽しめる年齢になるにはよい歳のとり方をしなければいけない。

歳相応、という言葉があるが、年齢だけいっていて、年齢なりに行動できない人は少なくない。

自分はよい歳のとり方を重ねて、誰にも文句を言われず、好きな車を心置きなくワインディングロードでドライブしなければいけない、と日々思うのである。

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