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真夏の夜の23時

今日は1日雨だった。

昨日はさだ。。君が日の変わり前に私の住む地域にやってきていたので、ああ、だ、こう、だ、といろいろ話していたが、結局は車の話になるのである。

彼はチンクェチェントを所有している。Fiat 500である。新車で買える現行車ではない。初代のトッポリー(映画 ローマの休日 で見られるタイプ)のでもなく、2代目である。映画 ルパン3世 カリオストロの城 でルパンが疾走させているタイプである。

現在、あだ。。君が自ら、ボディ補修、部品総取替え中なので大忙しなのである。仕事から帰宅後にするので睡眠時間を削っても時間が足りないのである。そんな中、まだ車の話をしているので車馬鹿である。

真夜中になってもするのは車の話。妻帯者なのに大丈夫なのだろうか、といつも思うのであるが、奥様がご理解ある方のようだが、一般的家庭ならこうはいかないだろう。

現在では俗にクラッシック、という名称でいわれるが、オースチン、モーリス、の流れを汲み、ローバー社が生産していたミニの話になった。最終記念モデルのような大きいオーバーフェンダーが付けられた13インチの車より、同じように大きいオーバーフェンダーを付けるとしても10インチだよね、という話をしていた。

あとは、サニトラならロングで平成3年以降のフロントディスク、顔面丸目が良い、という話をしていた。

クラッシックミニを運転してことがある方ならわかるだろうが、あの車はレーシングカートのような車のように感じただろう。ステアリングの取り付け位置がレーシングカートのように上に向いている。トラックなどと同じである。乗り心地もコイルサスがないので段差でははねる。ノーマルだと4速マニュアルでも130Km出るかでないかである。高速道路での長距離移動は大変だろうなあ、と思われるかもしれない。

しかし、チンクェチェント乗りから言わせると、普通の車、である。ブレーキが効かない、乗り心地が悪い、といってもチンクから比べれば十分に効くし、乗り心地もよい。そして、速度も出るので速い。ローバーで生産されて販売されてからは日本ではクーラー付きである。立派な車で、長距離移動もできる。

チンクェチェントは違う。イジれば違うが、根本から違うので、お互いに突き詰めてイジればミニに軍配が上がる。乗り心地、室内の騒音問題、ブレーキの効き、速度、快適性はまったく違う。

ただ、どちらの車も共通してよい面は部品がたぶん未来永劫困らないことだと思う。趣味車としては楽しい車であるし、クラッシックミニに関しても珍しくなってくれば、イジり倒したミニやイジっていないオリジナルのMr.Tあたりなら、隣にフェラーリが並んでもひけをとらないインパクトがある時代が来るだろう。

人の趣味思考だからなんとも言えないが、結局は趣味車を持つなら人に自慢できる、できない、威張れる、威張れないというだけの理由で所有するのはどうかと思う。

イタリアのタイムラリーなどを見ていても、購入するためには日本円で億は支払わないと所有できない車から、フィアットまで出場している。

趣味車の楽しみ方は車体の購入する金額ではなく、いかに車を楽しみ、時間の許す限り、車を動かしてやるか、が重要なのである。車は機械なので、長い間、放置しておくと、いざ、動かそうとしたときにすぐに運転することはできない。自然に痛んでいくのである。

各国の古い趣味車の集まる駆け込み寺的な修理工場の社長に、動かして(車を運転して)あげないと駄目だよ、とよく言われたものである。

潤沢に資金があり、いつでも動かせるように日頃、お金をかけてメンテナンスをされている車なら別だが、ただ所有しているだけなら90年代に製造された特殊な車両ではないイタリアの大衆車でも不動車になる。動かしてあげなければいけない。

昨日はブライアン オーガーのベストを聴いていたが、やはり良い。ブライアン オーガーのアルバムは長距離ドライブをする時には必ず持っていく。ブライアン オーガーのことは後日機会があれば書こうと思う。

その後に、ジャコ パストリアスのアルバム ワード オブ マウス を聴いた。かなり大きなボリュームで聴いたが、今までと違って聴こえ方がした。今後、聴く回数が増えそうである。

今日のお題は、あるミュージシャンの歌う曲の題名である。この曲は大好きな曲で、この歌うミュージシャンもヴォーカリストとしてとても魅力的な方である。

ヴォーカリストの名前は、和田アキ子さんである。

テレビタレントとしてや言動でいろいろと言われることがある人である。私は、タレントのアキ子さんのファンではないので彼女がメインホストのテレビ番組は見ていない。

しかし、ヴォーカリストしては大好きなリズム&ブルースヴォーカリストである。R&Bという書き方より、リズム&ブルースという書き方がしっくりくると思う。

彼女の代表曲もよいが、一般的に知られていないが、かっこいい曲が多くあるので私はその曲を聴く。

今日は1998年に発売されたアルバム Dynamite-A-Go-Go!!! を聴いていた。このアルバムはいろいろなミュージシャンが曲ごとにプロディースしているアルバムである。

タイトル曲は、GOTAさんが作詞、作曲をされてプロディースされている。この曲がかっこいい。あとは似たような雰囲気の曲が収録されてて、Free At Last'98 がそうである。聴いてもらえば、かっこいい、と感じてもらえると思う。

お題の曲は、小西康陽さんが作詞、作曲して、プロデュースしている。

アキ子さんは独特のブレスをしてから、歌う歌い方なので、曲によってガチガチに緊張して歌っていることが目立って感じる。

しかし、先に触れた2曲と 真夏の夜の23時 はまったく感じさせない。ナチュラルに歌い始めている。聴いていて気持ちがよい。

真夏の夜の23時 は悲恋なの歌だが、私はこの曲を聴くとティナ ターナとアイク ターナの関係、別れ方を思い浮かべる。

この曲を聴くとミュージックビデオのように頭の中でミュージックビデオが思い浮かぶ。自分の中だけのミュージックビデオなのだが、もし、この曲のミュージックビデオを私が作るとしたらこのイメージでしか創造できないし、不可能である。ティナ&アイクの関係とはまったく違うものだが、アキ子さんに出演してもらって曲の主人公を演じてもらうならこのイメージしかない。

この曲はとてもかっこいい曲なので聴いてみてほしいと思う。このアルバムは廃盤になっているかもしれないが、ヤフオクやアマゾンで購入してほしいと思う。

表、裏のジャケットもかっこいいものである。現在は、アキ子さんは喫煙者ではないが、当時、喫煙者だったのでそのイメージで制作されている。小西さんが関係しているアルバムのジャケットはかっこいいものが多いが、このアルバムも同じくかっこいい。

23時といえば昨日はたまたまだが、23時を回っていた。

そして、煙草の話題だが私は喫煙者ではない。禁煙したこともなく。元々吸わない。

なぜか今日も花粉症のような症状になっている。倉庫に行ってY君がいた時の翌日にも同じようになるのだが、煙草の煙でなるようである。

やっぱり煙草の煙が関係しているようだ。

幼馴染はみんな煙草を今は吸わないので意識しなかったが、煙草が関係しているようだ。

今度、喫煙部(喫煙していたが、現在は禁煙している。しかし、喫煙者がいたら煙草をもらい吸う後輩友人達)のメンバーに廃部を私は訴えようと思う(爆)

東京でべこ(牛)飼うだぇ〜、かぁ!!

もうタイヤは終わっているだろう。ピンチヒッターで出走しているんだぞ。今は、もう昔のやり方は通用しない。ピットに入って来い。

タイヤなんてとっくに終わっている。スローパンクチャやバーストしない限り、走らせることなんてできる。横向いたらスロットルオン。そうだろ?

OK、わかった。好きにしろ。でも、ピットに入ってくるときは連絡をしろ。

了解。

モナコGPをすべてイタリア語で赤いマシンを疾走しながら無線交信。ゼロカウンターでトップを快走中。

そんな夢をみた。イタリア語を勉強していた時期が密かにあったがもう何年も前の話で、覚えていない。夢なので適当なものである。英語でこの間は喧嘩をしていた。英語は今だに相変わらずわからない。

今日もジョン ブッシュ時代のアンスラックスのアルバムを2枚聴いた。この頃の音はとにかく音が重い。スコット イアンのグリグリというリフが凄い。

先日のビンラディンが処刑された、という報道の日にはニューヨークでは夜通しお祭り騒ぎだった。Twitterで相互フォローしているアメリカ人の皆さんは冷静だった。よい人達とめぐりあえたことに感謝した。

ほとんどのアメリカ人の方々は天下をとったようなコメントを書いていた。スコット イアンも、アメリカ万歳、というようなことを書いていた。

しかし、報復されるのではないか、という恐怖を感じていらっしゃる方々も多くいることが相互フォローしている方々の冷静さから感じた。

私はアメリカの国民的漫画 ピーナッツ の中で第2次世界大戦終了間際にそのことを時事ネタとして取り上げられて書かれた回があった。

スヌーピーとチャーリー ブラウンが草野球をして勝った。友人達は大喜びしていたが、チャーリー ブラウンだけはあまり喜んでいなかった。

勝ったことはうれしいけれど、負けた人達はどういう気持ちなんだろうか、というようなことが書かれていた。日本が敗戦して、2次大戦は終了したことになったが、そのことについてお祭り騒ぎをしているアメリカ国民に対して、敗戦国の国民の気持ちも考えるべきだ、という強いメッセージを訴えかけていた台詞であったことをのちに作者は話している。戦争をしていて苦しみ、悲しんだのは何の罪もない国民なのだ、ということを伝えたかったそうだ。

そんなことを思い出したのである。

今日はその後、The Birthdayとまぼろしペイガンズの配布用CDと特典CDを聴いた。

その後に、Twitterで触れた、ジャコ パストリアスの音楽を聴こう、と思ったがなぜか、ジェフ べックのライヴアルバム ロニー スコッツ クラブ を聴いてしまった。

ジェフ べックを聴くと、あらためて、この人は凄い、と思わせてくる。

ギターを弾く、というより、コントロールする能力が凄い。指で弾いているから、ミストーンのようなトーンを出すことがあるが、それはたいした問題ではない。トレモロアーム、ボリュームなどギターについている使えるをすべて使い、ギターをコントロールしている。

若い頃はギターネックベンドをしたりしていた。私もネックベンドで出る音が好きで意味もなくすることがあるが、それはジェフ ベックとジェイク E リーの影響である。

ジミ ヘンドリックスに、お前の弾くブルースはつまらなく、まったく魅力を感じないから聴きたくない、といわれてからブルースギターを弾くことをやめてしまったそうだ。

ジェフにコンプレックがあるとしたら、それは、ジミ ヘンドリックスというギタリスト、そのものだと思う。いまだにギターを練習しているのはそのコンプレックスがあるからなのかもしれない。

こいつには敵わない、と生涯に渡り、思っているギタリストは、ジミ ヘンドリックスだと思う。

ジェフについては書きたいことがあるが、それはいつかあらためて書こうと思う。

今日のお題はたいした理由ではなく、ただ、思いつきで書いた題である。

昨日スカイプでお付き合いさせていただいている先輩といろいろ話をしていたときに、結局、ほしいものは、ほしい時に買えばよいので、押入れに入れてコレクションするのもどうかと思う。売ってすっきりした方が気分もよいし、運も良くなるような気がする、とおっしゃっていたが、その意見に賛同していた。

私もコレクションしていたものは多かったが、コレクションしていても作らないプラモデルや1/43メタルキット、レジンキットはデカールが痛むだけだし、ダイキャストの1/43モデルカーも売ればお金になるなら売ってしまおうと思い、かなり処分した。

本もお金になるものはすべてオークションで出品して売却した。なかったら、ないで問題はないから今は売ってせいせいしている。

まだ売れるものはないか、と探しているが、お金にならないのでどうしようもない。

お金があったらほしいものが出てきて無駄遣いをするかもしれないが、無駄に多くのコレクションを溜め込んでもどうしようもないかなあ、と最近は思っている。

CDを持っているからまだまだ処分できるがこれは当分は持っておこうか、と思っている。

お金があったら何を買おうか、と思って考えたが1億円稼いでいたら話は別だが、数百万円ぐらいなら大きな買い物はできないなあ、と思っている。車もどんなに安い車でも維持費がかかるから趣味車を所有できないし、軽自動車でもよいか、と思っている。

数百万円持っていたら何台か車を購入する。しかし、すべて転売目的である。

個人的にメルセデスのEクラスもBMWの5シリーズもアウディのA6もジャグァーXJ-Rもマゼラーティ クアトロポルテも所有したいとは思わない。維持費がかかるからである。しかし、転売目的で扱ってみたいと思う。売却するまでは事故を起こさない限り、乗ることができる。少し、運転できれば満足できる。自慢したいとも思わない。10代、20代ではそういう考えがあったが、今はあまりそういうことに興味がない。

分相応の車でよいし、潤沢な資金があるなら趣味車を必ず所有する。

でも、それまでは車を借りたり、原付に乗ったり、自転車に乗れればそれで良い。

小金を貯めて車を購入し、転売して資金を回せればそれでよい。

とにかく、小金を貯めようと思う。

Facebook移行期間(?)

今日は雨が降っていた。

今日は2日おきのTwitterでの恒例行事を行って、Facebookのチェックを行ったり、各社ブログのチェックを行っていた。

Facebookでは今月かなりの動きがあったようだ。今月から登録し始めたミュージシャンが多かった。

クレイジーケンバンドの横山剣さんが今月からFacebookをはじめた。まだ、25人しか登録していないが、皆さんまだ気づかれていないのだろうか。私もコメントを書かせてもらったが、馬鹿まじめにとんちんかんなことを書いたので、どういう返しをされるか楽しみ(?)である。

日本人のミュージシャンやスポーツ選手は今年からFacebookに移行される方が多いようだ。

海外の方はかなり早い時期にFacebookを利用されていたので、私は完全後追いだった。ルディ サーゾやエリック ジョンソンと友人登録できた時期があったようだが、制限が超えてもう友人登録をすることができないようであった。残念である。

私のファンのミュージシャンはほとんどFacebookを利用しているし、ホームページより頻繁に更新している。

Twitterではコメントを返してくれない方でもFacebookだと返してくれる可能性はあるようだ。

Twitterでコメントを書いているけれど、Facebookは更新せず、ファンのコミュニティ状態になっている方もいるが、その方々も自分に対してどのように関心を持っているのか知りたいから登録しているのだろう。

今日は馬鹿みたいにミュージシャンのオフィシャルFacebookに登録したが皆さん結構更新しているのでTwitter状態になっている。

しかし、最新情報と動画をアップされるのでオフィシャルホームページより見ごたえがある。

Mixiコミュニティでギター関連のコミュニティに登録しているが、好きなギターメーカー、嫌いなギターメーカーについて、というトピックスが立てられていたが、どういうことを皆さんが書かれているのか覘いてみた。

まず、このトピはいらない、という人がいらっしゃった。トピックスを立てた方は、喧嘩をしないでください、と書かれていたが、そのことに対して、喧嘩に必ずなるだろう、という意見が書いてあった。顔が見えないネット社会だと好きなことを強気で発言できるからその方のご意見はごもっともである。

私は好き、嫌いでギターメーカーを考えたことはあまりない。というのも、購入してみなければ、やっぱり好きだなあ、とか、このメーカーのギターは好きではないなあ、とは感じられないと思う。

大体は好きなミュージシャンが使用しているから、かっこいい形のギターだったから、楽器屋さんで弾いてみたら音が良かったから、値段的にこのギターしか買えなかったから、などといったものだろう。

多くギターを購入して持っている人だったらいろいろと感じることができるだろうが、1本しかもっていなかったら、好きだろうが、嫌いだろうがそのギターで練習、演奏するしかない。

その人が気に入っているのなら、そんなギターは良くない。もっと良いギターを購入して弾いた方が良い、というのはごもっともの意見かもしれないが、本人が気に入っているのならその人の人生なのだからそれで良いのではないかと思う。

私は多くのギターを弾き比べたことがないので、極端な話なんでも良い。音が鳴ってくれれば、ネックが曲がっていようが、オクターブ調整ができていなくてもそれでとにかく弾く。自分の持ち物だったら調整してないと困るが、人のギターだったら自分で調整ができないのでとりあえずそのギターで弾く。その行為は自分がギターを所有していなかった時期が長かったからである。兄が持っているギターで練習するしかなかったからである。

だから、ネックが太いものから、シャーベルの薄いネックでスムーズに滑らせるものまで幅広いギターを弾いていた。

音やネックの握り、ネックのスケールの違いなど関係なしだった。あるもので弾くしかないのだから、ああだ、こうだ、言っても始まらない。とにかく、あるギターで練習するしかなかった。

自分のギターを購入して所有してからも同じでそのギター1本しか持っていないのでそのギターで練習するしかない。ストラトキャスターは弾きにくくないか。スキャロップの指板は弾きにくくないか、といわれるが、そのギターしかないのだから、弾きにくいも、弾きやすいもない。そのギターで練習するしかない。

潤沢に資金があったら数本のギターを購入するかもしれないが、個人的に一夫多妻制(この制度は皆平等に愛さなければいけない、という制度である。そのことは私には不可能である)は無理なので、気に入ったギターはあと1本か2本追加してお終いにするだろう。保管、メンテナンスが大変だから、十本、何十本、何百本も持つことは私には始めから無理である。

それより、なによりギターは弾いてあげないといけない。ギターを所有している意味がない。

幼馴染達と雑誌の裏にいつも広告が載っていた安いギター通販販売会社からカタログを取り寄せて、どれにしようか考えていた、小学生時代が懐かしい。あの頃は薄っぺらいカタログを見ては、このメーカー(有名ブランドの安いギター、ベースもカタログに掲載されていた)のギターを購入しよう。いや、俺はこの形がすきだ、とみんなで話し合ったものだ。

ジェネレーションを感じる話だが、ハリーやトムソン、といった名前のブランドのギターを購入して今でも所有している人は何人いるのだろうか。いまだに所有して現役で使用している方こそすばらしいと思う。

あのギターはすべてセットで3万円以下で購入できた。造りは良くないだろう。付属のアンプも良くないだろう。でも、そのギターしか購入できなかったら、そのギターで練習するしかなかったと思う。弾きやすい、弾きにくいなんて考えていられない。音がしょぼくても仕方がない。練習するしかない。

今はそのような通販ギターを購入しなくても少しまともなギターを購入する手段はいくらでもある。良い時代になった。

何百万のギターを所有していても、ギターケースに入れっぱなしのギターより、擦り傷がついていて中古で売っても金にならないギターだったとしても、所有している方が毎日練習して使用しているギターの方がギターは喜んでいると思う。

結局、好き嫌いなどは問題ではなく、その人が気に入っていて、毎日ギターを弾いて練習をしていたらそれで良いと思う。それがその人の人生なのだから、他人がとやかくいうことはできない。

今日の気分は Eric Johnson

今日ははっきりしない天気だった。

昨日に続き、Black Sabbath の Heaven And Hell を聴いた後に、DIOのアルバムでロニー ジェイムス ディオ ファンがなかったことにしたい時期のアルバム Angry Machines を聴いた。この時期はロブ ハルフォードにしても当時の支流だったダークで重いサウンドに奔っていたが、私はこの頃のアルバムも聴く。

はっきりしない天気の時にはダークな曲も良いが、カラっとしたサウンドの曲も良いのではないか、と思い、何かないかなあ、と探そうとしたときに目に飛び込んできたのはEric Johnsonの最新アルバムだった。

このアルバムは日本盤が発売されていないので彼のレーベルから発売されているアメリカ盤を購入した。何処を切ってもエリック ジョンソン節なのでかなり気にいっている。

エリック ジョンソンは日本では過小評価されているが、彼のギターテクニックは言うまでもないが、作曲能力とアレンジ能力、そして、あの独特の歌声はすばらしいと思う。

私はエリック ジョンソンのステージを大阪で観ているが、すばらしかった。激しいアクションはまったくないが、落ち着いた佇まいで演奏はワイルドに弾く時もあり、ささやくようなトーンで弾く時もあり、といった感じで独特の世界観が漂うステージだった。

途中演奏前にエフェクターのトラブルで中断したときがあったがすぐに彼自身で対処して再び演奏をした。

ステージでジミ ヘンドリックの曲、リトルウイングだったか、エンジェルを演奏したが、どちらの曲を演奏したかは忘れてしまったが彼流の解釈で演奏していた。彼の歌声がとても曲に合っていたことを覚えている。

エリック ジョンソンはエフェクターを多く使用している。彼はすべての機材にこだわっていて、エフェクターの9Vバッテリー(乾電池)のブランドも1社のものだけしか使用しない。また、確か、アンプを置く木台を特別に持参してくる、と聞いたように思う。ステージに直に置かなかったはずだ。

今は違うが、当時はストラトキャスターはすべてオールドでそれ以外は使用しなかった。

彼の使用しているピックはJAZZだが現在販売されているJAZZでは気に入らないらしく、以前に製造されていたタイプのJAZZを使用していた。彼のモデルのJAZZピックが販売された。当時のJAZZピックから型取りをしたピックなのだそうだ。私は違いがそれほど感じなかったが、彼のモデルのピックは使用しやすかった。

私はピック集めが趣味でもあり、しっくりくるピックを探していたので試しにこのピックで弾いてみたことがある。とても小さいティアドロップ型ピックなのだが、意外に先端に集中してピッキングすることができる不思議なピックで、空ピッキングをすることはまったくなかった。ただ、今はHERCOのナイロンピックを使用していてしっくりきているので彼のモデルのJAZZピックは使用していない。

私はアンプ直のギタートーンが好きだといつも書いている。あまり多くのエフェクターを使用しているギターサウンドが好きではないのだが、エリック ジョンソンのギタートーンは不思議に何度聴いても魅力的で聴いていて飽きない。

私は自分だけしか出すことができない自分自身のトーンを求めているので、エリック ジョンソンのトーンを出したいと思わないが、彼が弾くトーンは美しい。彼が多くのエフェクターを使わなくても彼独特のあのトーンを出すことができると思う。

彼がなぜ日本で過小評価されているのかは彼の血液に混ざっているテキサスのサウンドが日本人にあまり馴染まないのではないかと思っている。

スティーヴ レイヴォーンもテキサス出身だったが、ブルーズでも独特のブルーズを演奏している。エリック ジョンソンもブルースフィーリングのある曲を最近は弾くことが多いが、独特のスタイルである。

泥臭くはないものだが、だからといってさらりとしたものでもない。なんと表現してよいかわからないがそんなブルースを弾く。その感覚があまり好まれないのかもしれない。

また、ロックといってよいのか何のジャンルに入るのかわからない、という考えの方が意外に多いのかもしれない。私は、エリック ジョンソン、という音楽だと思って聴いているが、ジャンルわけをして聴く人にとってはとてもわかりにくいのかもしれない。

ステージを観て思ったが、ステージでもあの彼の独特の歌声で歌いながら変わらないギター演奏をしていたことに驚いた。完璧主義者の彼にしたら当たり前なのかもしれないが、とても驚き、あらためて彼のファンになった。

トミー ボーリンと似ている、とTAK米持さんが言っていたが、私もそのことをとても感じた。演奏スタイルは違うが、独特の歌声で歌い、個性的なギター演奏をするスタイルは同じである。

絶好調のボーリンのステージは観ることはできなかったがエリック ジョンソンのステージを観る事ができたのはとてもラッキーだった。チケットを私の分だけ取ってくれていたのだが、短期留学から帰国したその当日にフォーエバーヤングKrdちゃんがすぐに問い合わせて当日にチケットを取って一緒に観に行ったステージは今では良い思い出だ。とても、スリリングで1〜2時間後には会場に行っていた。若さがあったからできたことである。

私はジミー ペイジ、ジェフ べック、イングヴェイ、AC/DC等を逃さずいずれステージを観たい、と思っていたがその夢はかなった。ロニー ジェイムス ディオのステージが観れなかったことはとても残念である。来日するロックミュージシャンに関しては、例えば、ボンゾのいないLed Zeppelin(なので正確にはZEPではないのだが)が来日したり、ジミー ペイジ、グラハム ボネットが来日したら別だが、観たいステージを観たのでほとんど後悔はない。観たかったミュージシャンの中にエリック ジョンソンも入っているので、後悔はない。

エリック ジョンソンが日本に再び来日することは今後は難しいのかもしれない。しかし、彼のステージを再び観てみたいと思う。日本で観る事ができないのなら、アメリカで観てみたと思うぐらいに彼のステージを再び観てみたいと思っているのである。

Heaven And Hell

昨日はまぼろしペイガンズのレヴューを書いてあらためて思ったが、音楽も人の出会いと同じであると感じた。

今日は Black Sabbath のアルバム Heaven And Hell を聴いていた。

車好きならわかると思うが車も出会いがある。

車生活が楽しいものになるか、苦痛な日々になるかは買う前に決まる。調べることはとても重要である。見た目がいいから、という理由だけで購入したら人によっては毎日が苦痛になるぐらいに生活が激変する。

私は値段の安い車を探し、あとで故障したときに部品を交換すればいい、という考えで最後に所有した車を購入した。この考えはとても間違っている。一番重要なのは金額ではない。ボディカラーではない。一番重要なのは車のコンディションである。

日本車でももちろんこのことは重要だし、日本車でも車により海外の車と変わらないくらいに厄介な車種もある。

輸入車を所有したことがない方は、輸入車を購入をしたいが、日本車より故障するから購入する踏ん切りがつかない、とおっしゃる方が多い。

その方々に私は言いたい。

部品の交換スパンは短い。それを理解して購入すればあまり恐れることはない。問題はユーズドカーを購入するときである。

一番有名な厄介な国の車はイタリア車だと思う。部品の供給がすぐに終了して、部品を購入するのに苦労する点や部品交換スパンが短い、という点も上げられる。

特殊な車は部品の供給はすぐにストップしてしまう。メーカーが製造しなくなることと、部品を保管しないことが上げられる。大衆車では販売台数が多いので問題ないが少し趣味性のある車は日本車のように共有部品を使っていないので交換スパンが短いパーツは探すのに苦労する。

でも、そのことを理解して購入すればあまり問題はない。しかし、日本車を所有する気分で購入すれば痛い目にあう。

そして、先に触れたように一番重要なのはコンディションが重要なのである。コンディションがよい車を購入すれば交換が頻繁に必要な部品以外にお金がかかることはない。しかし、コンディションが悪い車を購入するとドライブする時間より、修理工場に入れている時間の方が一年を通して長いものになるだろう。給料のほとんどを修理代につぎ込むことになる。

それを私は20代で経験できたことは私の人生にとってとてもためになっている。30代に経験していたら、40代で経験していたら違うものになるだろう。日々の生活で疲れているのに車でも苦労しなければいけないかもしれないからである。若いうちに失敗することは何事も次へのステップ、学習になる。

私がほしい、趣味として所有したい車はイタリア車である。それもかなりハードルが高い車である。金額は1000万円を超えるだろう。

なぜ、そこまでイタリア車に魅力を感じるかは所有すればわかるかもしれない。建てつけが悪く、内装部品の取り付けが新車時からずれている。それは日本車と比べれば工場での組み付け工程がお粗末さの目立つものである。

しかし、トータルで考えたら日本車は足元にも及ばないものがある。工業機械としては日本車にはかなわないが、自動車文化のバックボーンが日本とはまったく違うので車を所有する喜びは日本車はまったく太刀打ちできない。

輸入車と日本車の違いは所有する喜びを感じるか、感じないかである。何も高級車を購入しなくてもよい。大衆車を所有すればそのことをなお気づかせてくれる。乗り味が違う。メンテナンスさえしっかりしていれば日本車とはまったく違う経年変化をむかえる。日本車は10年が経つといきなり車が壊れ出す。日本のメーカーは10年をめどに車を故障するように作られている。

大体の方は10年以前に車を買い替えるからそのように作られてきた。しかし、今では10年以上同じ車を所有する人が増えている。日本車しか所有したことがない人だったそれぞれの国の輸入車と日本車の経年変化、やれかた、の違いを知ることはできないだろう。まったく違う。

新車で購入して所有し続けた日本車はただ古い工業機械になる大衆車は多いが、輸入車ははじめて道具になり始める。それ以外の車を所有しようと思わなくなってくるから不思議なのである。

私がお金があり、好きな車を購入してもよい、といわれたら趣味の車はイタリア車を購入する。それこそ、50年代のフェラーリ、マゼラーティ、ランチア、アルファ ロメオから70年代の車を所有する。所有するのには覚悟がいる。部品を何処で購入するか。世界中を探すことになるだろう。

私はランチア デルタ HF インテグラーレ EVO を所有していたが、その時に気づいた。イタリア車の70年代設計の車で90年代まで作られた車はとても厄介だと。電子部品が使われているがその部品が壊れる。壊れると部品が供給されていないので交換するのに時間がかかる。なぜなら部品を探さなければいけないからである。私はスピードメーターが壊れてスピードメーターなしで運転していた。それぐらいで悩んでいる人は特殊なイタリア車を所有することはできない。

世界中を探したが個人では限界であることがわかった。今なら間違いなくランチア クラブ ジャパンに加入できないかメンバーの方にお願いする。

イタリアでランチア、というメーカーの車を所有できる人は限られている。貴族出身者や医者、弁護士、町の人々からランチアを乗ることを理解されるぐらい、仕事で成功していて、おしゃれに乗りこなすことができる人以外は所有することは許されない。

イタリア、特に北部は保守的な地域である。隣近所のことにもうるさく首を突っ込む。日本だとノーボーダーだが、イタリアの北部では車を所有するにもその車に見合った生活水準でなければ新車のランチアを購入することができない。あなたはフィアットに乗りなさい、といわれる。バブルのころに多くいた日本人の車好きのように、毎日カップラーメンを食べて所有するような車ではない

ランチアとは本来はそのようなメーカーだった。しかし、今では少し前のマゼラーティと同じで没落貴族になってしまっている。

車をただ所有するだけではなく文化を知りたい、と思わせてくれるのは輸入車ならではである。少し前までの日本車も自動車メーカーの歴史を知りたい、と思わせる車の車種があったが今ではそのような車は残念ながら数台しかない。日産でいえばGT-RやフェアレディZ、マツダのロータリーエンジン搭載車、ホンダの高回転エンジン車、スバルの高性能4WD車、三菱の高性能4WD車などである。

世界のトヨタは、といわれるだろうが、トヨタはトヨタ2000GTを発表前と発表後で社内方針をあらためて決めた。儲からない車は一切作らない、という方針である。コスト最優先である。

トヨタ2000GTは当時ではとても高額で購入できる車ではなかった。だが、トヨタブランドの看板車として製作され販売された。元々はヤマハ発動機と日産が手を組んでフェアレディZのプロトタイプカーのような瀟洒で高性能な車を作るプランで製作される予定だったが開発途中に契約を破棄して、そのプランをトヨタにヤマハ発動機が持っていって製作、完成し、発表された車である。

問題は作れば、作るほど儲からない車だ、ということであった。車自体が高額なので売れないから、ライン生産がとてもできない車である。ライン生産ができない車は儲からない。それで、懲り懲りしたので、本格派のスポーツカーを生産するのをやめた。トヨタ2000GTもあくまでもGTなのでスポーツカーではない。

スープラ、という車があったが、あの車はSZとRZというグレードがあり、NA(ノーマルアスピレーション。自然吸気)エンジンとターボエンジン車があった。その販売価格差はかなりの開きがあったが、工場での制作費はわずか20〜30万円差である。そのような車をスポーツカーとはとてもじゃないが呼べない。コスト優先で出来たスポーティーカーである。

マツダのRX7はスポーティーカーととらえられる方がいらっしゃるが、あの車はスポーツカーである。マイナーチェンジごとに足回りの取り付け位置をずらすこだわりは日本でいうただのマイナーチェンジではない。海外、特にヨーロッパで作られる車のマイナーチェンジと同じ考えである。

日本でいうマイナーチェンジは見た目だけ変えて、内部機関を一切換えていない、というやり方が一般的である。

よくスクーデリア フェラーリ社の作る車はスポーツカーなのか、とおっしゃる方がいらっしゃるが、スクーデリア フェラーリ社が現在、自分達が発表した車をスポーツカーとはいっていない。すべてGT(グランツーリズモ)である。彼が記念に作る車はただのGTではない。しかし、彼らが一般的(彼らは自動車会社という位置ではなく、オートクチュールで製造するメーカーだ、と今でも言っている)に販売されている車はすべてGTである。

フェラーリを所有したい方でスポーツカーを求めて購入する方は60年代後期に発売されクラッシックカー入りした車か、365BB、288GTO、F40等の限りなくレーシングカーの香りを感じる車を購入するだろう。もしスポーツカーがほしいのならばポルシェ社の車か、90年代に市販車として販売されたマクラーレンF1を購入するだろう。マクラーレンF1は究極のスポーツカーである。

大衆車から高級車まですべて共通することは車との出会いである。その出会いはたまたまであったり、求めてどうしてもその車を所有したい、と願って購入する場合がある。人との出会いと車との出会いと決定的に違うのは、出会わないことが出来る点である。どうしても、ほしい車でもコンディションの悪い車を買わないことが出来るので、悪い車と出会うことを避けることが出来る。

労力を惜しまず、お金をケチらず、コンディションのよい車を買うべきである。コンディションがよいか、悪いかわからないのであれば、車好きでコンディションを見分けられるぐらいにその車について詳しい方か、信頼できる自動車修理に長けている人に見立てをしてもらえばよい。その時にお礼代を払うことをケチるぐらいならそんな車など買わなければよい。

私がお金ができ、ランチア ストラトスやランチア ラリー037の競技車に近い車両やフェラーリ F40を購入できるのであれば世界中に車を探しに行き、自分ではコンディションがわからないので、信頼できる整備士の旅費、宿泊費を払って車を購入しに行く。1000万円超える車を購入するのにたとえ100万円余分にかかったとしてもたいした額ではない。

車も出会いがある。そして、その出会いは悪い方を避けることができる。だから、まだよい。Heaven And Hell 天国と地獄。車を所有することに喜びを感じるか、苦しみを感じるか、天国の気分か、地獄のような日々を送るかは、自分で選択することができる。

しかし、人との出会いは付き合ってみるまでわからない。だから厄介であり、楽しいのでもあるが、楽しめる年齢になるにはよい歳のとり方をしなければいけない。

歳相応、という言葉があるが、年齢だけいっていて、年齢なりに行動できない人は少なくない。

自分はよい歳のとり方を重ねて、誰にも文句を言われず、好きな車を心置きなくワインディングロードでドライブしなければいけない、と日々思うのである。

まぼろしペイガンズ / MABOROSHI PAGANZ

 

ペイガン音楽について詳しくは知らない。ただ、民族音楽であることは私は少しは理解していた。ただ、詳しい歴史を調べていないので知ったようなことは話せないのでそのことは触れないでおく。

まぼろしペイガンズのファーストアルバムは民族音楽、プログレッシヴロック等と言われているのかもしれないし、ペイガン音楽ということに重点を置くと難しく考えてしまう。私にはその考えで聴くこと、知ったようなことを書くことには限界がある。

このアルバムは不思議なアルバムでイージーリスニングをすることができる。演奏していることはとても高度なテクニックを駆使している。しかし、そのことを意識せずに聴くと、すんなりと聴くことができる。テクニックがどうだ、こうだ、と聴く人より、楽器を演奏しない人のほうがこのアルバムを楽しむことができると思う。

1曲目 Johnny's Wedding である。まず始めにパーカッションの音に気持ちよさを感じた。CDラジカセではこの音の響きを感じることができないだろう。ベースになる音の上を弦楽器が飛び回っている。途中でテンポアップするがその時は盛り上がるように弦楽器が高度なテクニックを使って演奏しているが、これも意識をして聴かなかったら感じないかもしれない。その感じ方ができる不思議な曲である。

2曲目 Oyster Bay である。この曲はオリジナル曲である。作曲、作詞は、Chihiro S. である。曲の始まりの部分で弦楽器1本だけがフラメンコギターの始まりのように少し焦らした感じで始まる。鍵盤楽器が時間の流れをゆったりと進めているが、弦楽器はとても温度差、時間の流れが違うように感じる。弾きまくっている。ヴォーカルはChihiro S.だが、彼が歌っているときは時間の流れはすべて同じでゆったりとしているが、歌い終えると、再び鍵盤楽器の時間と弦楽器の時間が同じ時を刻んでいないように感じるので不思議な感じがする。私はこの曲を聴いてある作曲家の名前が思い浮かんだ。その作曲家の名前はシューベルトである。

シューベルトは歌曲を多く残しているが、Chihiro S.のヴォーカルとバックの流れているタイム感がシューベルトの曲のタイム感にとても似ているように感じた。とても、離れているように感じるかもしれないが、そのように感じる方もいらっしゃると思う。

3曲目 Palastinalied である。この曲は同じフレーズがいったりきたりしているのだが、間の時間は縦横無尽な演奏をしている。時間の流れはゆったりしているのだが、弦楽器がそれぞれバラバラのようなことをしているようで、中間地点という言い方があっているのかどうかわからないが重なる部分があるのでその部分に近づくと聴いていてスリリングである。

4曲目 Black Corridor である。この曲はオリジナル曲である。作曲は、Chihiro S. である。この曲はパーカッションと弦楽器がユニゾンになる部分が何度も続くので聴いていて気持ちがよい。弦楽器は高度なテクニックで演奏しているが、それぞれの楽器がいったり、きたりしているフレーズの時間を共有しながら演奏している。ユニゾンになる部分が聴いて気持ちがよいので好きな曲である。難解な曲である、と聴くと、どうしても理解しようとするが、先に触れたようにイージーリスニングとして聴くと時間の流れがスムーズに進むことができる。意識して聴くと高度な演奏をしていることがわかるが、意識しなければイージーリスニングできるから不思議な曲である。

5曲目 The River Song である。この曲は Donovanのカヴァーである。だが、そのことは重要ではない。パーカッションとヴォーカリスト1人で始まり、ギターと鍵盤楽器が入り、もう1人のヴォーカルが入り、最後に女性コーラスが入ると幻想的な雰囲気の音楽になる。朴訥とした語りように弦楽器1本の演奏が続き、鍵盤楽器が入り、他の楽器とパーカッションが後に続く演奏である。その後に再びヴォーカルが入るという展開である。Led Zeppelinの曲 Nobady's Fault But Mine、Kashmirの壮大な雰囲気がした。

6曲目 Intermede である。この曲は Messiaenのカヴァーである。この曲はすべての楽器の時間の流れが同じなことと、すべての楽器がテクニカルな演奏を繰り広げている。高速ではないが、決して遅いわけではなく、緊張感が続く演奏である。スウィープピッキングを聴くことができるし、スウィープピッキングでハーモニックを出している。たとえば、ギターでスウィープピッキングの練習をしている人がいたとして、練習をすることに挫折しかけていて、この演奏を聴いたら、もう少し練習をしてみようか、と思わせる演奏である。とても、テクニカルな演奏である。

すべての演奏を聴いて思ったが、あまり難しくこのアルバムを聴こうと思わないほうがよいと思う。プログレッシヴロックファンならいかに危なげなくテクニカルな演奏を聴けるかに重点を置くだろうが、それは重要なことではない。先に触れたようにイージーリスニングとして聴くこともできるからである。

クラッシックファンも、クラブ音楽ファンも楽しむことができる音楽だろう。マイルスのアルバムで例えるなら オン ザ コーナー である。あのアルバムはジャズではない。ジャンルで例えるほど陳腐なことはない。あのアルバムはマイルスの世界である。それ以外のジャンルで表すことは無駄である。

時間の流れがゆったりしているのだが、その中身は詰まっている曲が多く収録されている。しかし、この演奏は音符の数をいかに多く詰め込むかに重点を置いてはいない。マイナスの音楽である。

プラスでいかに多くの音を増やすかではなく、マイナスで考えて、必要最低限の音符の数で演奏しているのである。そのことを気づかずに聴いていたらこのアルバムのよさを一生感じることができない。

彼らはどのように思っているのかわからないが、私はそのように感じた。

このアルバムはエレクトリック楽器で演奏したらかなりアグレッシブでスリリングな演奏をさらに感じることができるだろう。しかし、アコースティック楽器で演奏しているだけで十分にスリリングさとアグレッシブさを感じることができる。

このアルバムはまぼろしペイガンズのファーストアルバムである。このアルバムに興味がある方に言いたいが、難しく考えずに大音量で聴くことを薦める。大音量で聴かなければこのアルバムのよさがわからない。

次回作が早くも楽しみである。

暖かくなりましたね

ここ最近は気温が上昇して太っている人間にとっては、Tシャツでもいいのではないか、と思う気温である。汗っかきにはつらい季節がやってきた。

今日は謎のクロカン車で自宅に帰ってきていたので、車で倉庫に行くことにした。その前に宅急便センターに寄って、メール便を受け取りに行った。

MUSIC TERMから送ってもらった御大 Chihiro S.さんのバンド、まぼろしペイガンズ のCDアルバムを宅急便センターで保管してもらっていたからである。

梱包はしっかりしているものだったので送料がタダなのはCDアルバム代に含まれているのだろうか、と思ってしまった。メール便の最大サイズ2cmギリギリだから、240円(160円かもしれないが)だと思う。

アルバムを自宅で聴いたが、ZEPのサードアルバムが好きな方やペイジ プラントで彼らがやろうとしていた音楽が好きな方は気に入ると思う。また、私はマイルスのアルバム オン ザ コーナー が好きな方ならすんなり聴くことができるのではないか、と思った。プログレッシヴ ロックを聴いて一周された方なら間違いなく気に入るだろう。

後日、レビューを書かせていただこうと思う。アコースティック音楽なのだが、かなり攻めたところがあるので時間の流れはゆったりとしているように感じるのだが、演奏はスリリングなことをしている、と思った。

その後、倉庫に行って梱包作業、洗浄作業をしたのだが、畑仕事をされているご婦人がいらゃったら、挨拶をすることをしているのだが、今日はいらっしゃったので挨拶をした。

暖かくなりましたねぇ、という挨拶をされた。

時間のよいところで区切りをつけて、明日またで直して来よう、と思い、片付けた。

原付で自宅に帰ってきた。自宅に帰って来てから、先にふれた、まぼろしペイガンズのアルバムを5度聴いて、まだまだ、レビューを書ける回数ではないなあ。しばらく、毎日何度か聴き続けよう、と思った。

その後にアルカトラスのファーストアルバムを聴いた。集合住宅(マンション、という名で、なりはマンションだが、アパートメント(賃貸)であることにはかわりない)なので午後9時には音楽を大音量で聴くことを近所迷惑にならないようにやめているので午後9時ギリギリまでいつものように聴いた。

初期の頃のイングヴェイの巧いピッキングとビブラートを堪能して今日の音楽鑑賞は終了することにした。最後にヒロシマ モナムールを聴いて今日は終了した。この曲の演奏はいつ聴いても素晴しい。ピッキングが素晴しく、チョーキングとビブラート、チョーキング ビブラートを使い分けているのでクラッシックが好きな方が聴いても違和感なく聴けると思う。ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器は小刻みにスライドさせてビブラートをかけるがあの感じをエレキギターで演奏している。演奏は速弾きが出来る人なら簡単だろうが、ピッキングが強く弾くとこの曲で表現しなければいけないことが上手く表現ができず、違和感のあるものになる。

イングヴェイの曲を簡単に弾ける人は多くいらっしゃるが、残念ながら彼のように強弱をつけて感情表現をギターで表している方はとても少ない。

クラッシックのヴァイオリニストで求められるのはパガニーニの速い曲を演奏ができることだけではいけない。彼の譜面を見てすべて弾く事ができる人は世界中に多くいるが、演奏に求められるのは感情表現である。パールマンが素晴しい、といわれるのは、流れるように弾きながら、演奏に強弱をつけているので単調に聴こえず、飽きることがなく聴く事ができるからである。

初期のイングヴェイは演奏に緩急をつけて、強弱をつけたピッキングをしていたので聴いていて飽きない。今のイングヴェイは同じ速度で速く弾きまくっているので彼の真骨頂を聴く事ができない。とても、残念である。

車に速さを求めるのなら最新型の高性能車を所有するほかない。安全に楽しむことができるかもしれない。でも、速さを体感することはできないだろう。

人間には、体感速度、というものを感じることができる。たとえ、100Kmしか出ていなくてもとても速い速度で走っているように感じることができる。

絶対速度をどうしても求めたいなら、F1グランプリマシンかWRCのトップカテゴリーに出場している最新型のマシンに乗るほかない。市販車では、絶対速度を求めることは不可能である。

WRCにかつて出場していた旧態然としたGr.4、Gr.Bマシンに乗れば体感速度を凄く感じることができるだろう。ローギアードでクロスミッションのマシンはおそろしく吹き上がりがよく、顔が硬直するだろう。慣れればたいしたことはないかもしれないが、あの排気音、吸気音を聴いて気分が盛り上がらない車好きはいないだろう。

人により絶対速度を求めたい人がいるだろう。車を大金を払ってチューニングするより、サーキットでフォーミュラーマシンに乗る方が安全に速く走らせることができると思う。サーキット周辺にあるレーシングガレージで古いフォーミュラーマシンをレンタルすることが今では簡単にできるので、普段は軽自動車を所有すれば維持費がかからず、リーズナブルで安全に速い速度を楽しむことができるだろう。

私はオタクといわれようが所有する車にヒストリーを求める。戦歴を残したマシンを所有することは無理だが、その車に近い車ならまだ所有することができる。

私は体感速度を求めるので速度は140Km〜160Kmも出れば満足する。エキゾーストノートが美しければなお満足である。

私はいつもいっているが所有したい車は、ランチア ストラトスやランチア ラリー037の競技車両、フェラーリ F40である。十分速い速度を出すことができるが、少しだけスロットルを踏むだけで大満足することができるだろう。これらの車を全開で走らせれば、死、が待っている。とても、危うい車である。

男は危険な方を選ぶことが多い。私は血の匂いがするような車を求める傾向がある。絶対速度を求めるときは間違いなく私はフォーミュラーマシンをレンタルし、サーキット走行を楽しむだろう。

しかし、本当に所有したい車は限りなくレーシングマシンに近いエンジン、レーシングマシンに近い匂いを感じる車を所有したい。それが、私が本当に求める車である。

それ以外に所有する車はなりはあまり重要ではない。故障が少なく、問題なく走る車でよい。軽自動車で十分である。

いつになるかわからないが、心置きなく一人でワインディングロードを走らせることができる好きな車を所有したいのである。

何か凄いことになってきた

今日5月18日は幼馴染のKSJの誕生日であるが、寺尾聰さんの誕生日である。

昨日書きそびれたが5月17日はビリー コブハムの誕生日であった。

皆さんお誕生日おめでとうございます。

TwitterとFacebookに登録して2ヶ月ぐらい経ったが、アメーバブログにも登録した。そこでも、mixiコミュニティのような、グルっぽ、というコミュニティがある。

そこでお知り合いになった管理人さんや参加メンバーさんとお付き合いさせていただくことになった。

ほのぼのとした印象がある、ブログ運営会社だと思う。複数登録している会社それぞれの印象があるが、ブログ運営会社とmixiの間に位置するブログ運営会社だと思う。

今日はホワイトスネイクの中期のアルバムを聴いていた。イアン ペイスが参加した頃のアルバムである。

ブルージーなロックバンドといった感じである。この路線の音楽をボリュームを上げて聴くといい雰囲気になる。個人的にデヴィッド カヴァーデイルが本当はやりたい音楽だと思う。

しかし、サーペンスアルバスが売れたことで、彼の路線が大幅に変わることになる。ハードなロック路線になってしまった。私はサーペンスアルバスの次のアルバム、スティール オブ ザ タング をオンタイムに聴いて、サーペンスアルバスを聴いた。スティール〜、はスティーヴ ヴァイのプレイがいい意味でも悪い意味でも目立っている。あのアルバムにエイドリアン ヴァンデンバーグだけが参加していたら違ったアルバムになっていただろう。彼が手を負傷してアルバム収録に参加することが出来なかった。

サーペンス〜はジョン サイクスのギターが炸裂しているのでサイクスがそのまま参加していたらステージの評価は変わっていたかもしれない。デヴィッドがお金に困っていたのでサイクスにレコーディング代のお金をまともに払うことができなかったので別々の道を歩むことになった。

アルバムがヒットして事態は一変したのだが、もし、お金があり、アルバム発表まで持ちこたえることが出来ていたなら話は変わっていただろう。

たまたまなのだが、兄が高校の先輩からグレコのジョン サイクスモデルを売ってもらって、使用していた時期があったので私はそのギターを使用していた。兄はそれ以外にギターを持っていたのであまりこのギターに興味がなかった。もちろん、ジョン サイクスのことなど知らなかった。ただ、格安だったこととレスポールカスタムタイプだから売ってもらっただけであった。

今、何処にあるのかわからないが、たぶん売ってしまったのだろう。

ピッキングハーモニックを出しやすいギターだったのでお気に入りだった。兄はいつも中途半端な感じでギターを購入していた。

シャーベルのテレキャスタータイプを所有していたこともあるが、それも人と違ったギターを使用したかった、ということもあるが、布袋さんがテレキャスタータイプのギターを使っていたから、という理由が大きい。弾きやすいギターだったがすぐに売ってしまった。

ころころギターを変えていたが本当に欲しかったギターはフェンダーのサンバーストカラーのストラトキャスターが欲しかったのだが、とうとう買うことはなかった。私なら間違いなくそれを買うだろうが、あれこれ買う内にどんどん方向のギターを購入していた。

車もあれこれ買い替えるタイプだったがそのこともあまり驚かなかった。

Twitterでお付き合いをさせてもらったり、アメーバブログでお付き合いをしていただいたあとにmixiでもお付き合いさせていただくことになっている。Facebookでもお付き合いをさせていただいている方もいるので今年だけでかなりの方々とメッセージのやり取りをさせていただいている。

後日紹介させていただくがマイミクシィの模型ビルダーhahahaさんに製作依頼をしていた1/43 Ferrari 312T5 Monaco GP Gilles Villeneuveを完成していただいた。とても、素晴しい完成品である。今から、商品の到着が待ちどうしい。

hahahaさんにFacebookを勧められて登録したが、いろいろなミュージシャンやレーシングドライバーは、Facebookを使用している。海外の方々はFacebookが支流である。今後は世界の方々と交流するためにはFacebookの時代になるだろう。

今から少しずつでも英語を勉強するというと難しく考えなければいけないがお遊び感覚で覚えていくことが必要だと思う。それにはTwitterが効果的かなあ、と思っている。多少、文章が意味不明でも、すぐに削除されていくので練習にはもってこいかもしれない。スピードラーニングを利用したいが高額のようなので購入することが出来ない。

どんどん、今までお会いすることが出来なかった方と交流したいと思う。

そして、今までお世話になっている方と変わらぬお付き合いをしていただきたいとお願いしたいのである。

なぜか今日は

今日も原付で倉庫に行ったのだが、空気抵抗が大きい(身体が大きい=太っている)ので向かい風だとスピードが出ないが、追い風ならメーターが振り切れるのだが、速度の感覚が無くなっているので速いとは思わない。だが、原付は2輪の中でも速度が出ないが2輪の中で一番安定感がないので速度が出ていないといってもこけたら大怪我をすることがあるので、注意して乗ろうと思う。

ヘルメットの影響(?)で顔、首、頭が安定している。ベル社製のヘルメットでよく見られるあごの部分のチンスポイラが効いているのだろうか。

原付で半キャップタイプのヘルメットを被っている方が多い中でこのタイプのヘルメットを被る人はいないだろうから個人的に気に入っているが(というか本当は、新しいヘルメットを購入する予算がないだけなのだ)カラーがホワイトのままなので、ここまできたら自分のオリジナルカラーにしたい気分になる。

なぜ今日は という題名の曲が、The Birthdayの最新マキシシングルCDのタイトル曲である。

歌詞はチバユウスケさんが思いつきで書いた歌詞だと思う。でも、彼のセンスが光っている。語呂がよい。聴いていてすんなり入ってくる歌詞である。実際に聴いた方はわかるだろうが、日本語歌詞だが、リズムに合っている。チバさんの歌詞は語呂と韻を踏んでいく歌詞が多いが、この曲に関しては爽快感がある。

チバさんの世界観があるので、彼の書く歌詞に興味がない人だと、意味不明である、と感じると思うが、なんだかわからないが圧倒される、と感じる方は不自然に感じないだろう。

この曲の歌詞に関しては風景が思い浮かぶので理解しやすい歌詞だと思う。ニューアルバムが6月に発売されるが、どのような曲が収録されているのか楽しみである。

2秒 という曲が2曲目に入っているが、タイトルだけを発売前に見たときに、2秒で終わらないよな、と思ってしまった。

HR/HM好きなら知っていると思うがナパーム デスの曲で瞬間で終わる曲がある。有名な曲である。

だから、本当に2秒で終わっても私は驚かない。

日本語をロックのリズムにのせたり、ミュージカルの中の劇中歌に合わせるのは難しい。とても、違和感のあるものになる。日本でミュージカルを見ない方はあの違和感が好きではないのだと思う。

日本人は農耕民族である。だから、歩き方がすり足に近い。農耕民族以外の狩猟民族は歩き方にリズムがある。うそだと思うのならアフリカの民族でもアメリカ人でも、他の国々の方の歩き方を見てほしい。ワン、ツー、スリー、とカウントしているように足と腰で前進している。日本人は腰が移動するように前進していない。だから、リズム感が他の国の人達と違う。元々が違うのだから音楽も違う。

間 の世界は日本人独特のものである。鼓を打つ間は日本人なら誰でもできる。掛け声のあとに間をおいて打つことができる。だが、海外の方はすぐにできないし、理解できない。ワン、ツーなのか、ワン、ツー、スリーなのか教えてほしい、と言われると思う。だから、日本の伝統芸能は不思議な感じで受け捉えられる。

日本人に元々リズムがない理由は、農耕民族だから、という理由以外の日本語だとリズムが上手く取れない、というものがある。歌詞にストーリーをつけるときには説明するように歌詞が進んでいかなければ行けないが、そうすると、説明する言葉が長すぎる。簡潔にすることが難しい。

ロックは英語で歌うものだ、と内田裕也さんが提唱して、日本語ロックの第一人者であるバンド はっぴいえんど の松本隆さん達と論争が起こったことがあったが、はっぴいえんどは独特の音楽性もあいまって、日本語歌詞を曲にのせる事に成功している。だから、彼らのことを今、現在、ロックバンド、だと言わない人が意外に少なくない。歌謡曲だという人までいる。

大幅に変わったのはキャロルからサザンオールスターズ、アナーキーが出現したことである。カウントで数えてはまる歌詞を彼らは書いている。一部、意味不明になる部分もあるが、それでもいいじゃないか、と表現したのは彼らが始めたことである。

今では、意味が理解できない歌詞を書いているミュージシャンの曲が多いが、別にそのことに驚かない。そういうものである、と頭のスイッチを切り替えることができる。

chuuちゃんと話したことがあるが、沢田研二さんが歌う曲、カサブランカ ダンディー、の歌詞はとてもかっこいい。今だと男尊女卑だといわれかねない。

聞き分けのない女の頬を一つ、二つ、張り倒して 背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない

、という歌詞で始まるが曲のリズムに歌詞が合っていて、歌詞のストーリーが想像することができる。凄い歌詞である。さすが阿久悠さんである。

ここまで男らしい歌詞を今書ける人は残念ながら少ない。また、このような歌詞を無理なく歌えるヴォーカリストは日本では少なくなってきている。

誰かが言っていたが、レイディ(レディ)、ベイベー(ベイビー)、と無理なく歌えるヴォーカリストは矢沢永吉ぐらいしかいなくなっている、と言っていた。前は背伸びせずにさらりと歌えるヴォーカリストが多かった。

第一、20代のバンドのヴォーカリストの歌詞で、ベイベー、という歌詞を書いている方はほとんどいないし、もし、歌っていたとしても、かっこよく、無理をせずに歌える人は何人いるのだろうか。とても違和感があり、むずがゆく感じ、ふざけているように歌っているように感じるのは私だけではないと思う。

ベイベー、という歌詞を書いて、歌っている人は40代以上になっているように感じる。いつも聴いている音楽で、そのように歌っているミュージシャンがかなり多いので、自分も歳を取るはずだ、と感じる瞬間である。

ディーヴァ、と言う言葉が最近は日本でも一般的になっているが、それと反比例するように日本人の20代男性ヴォーカリストの勢いが無くなってきている。寂しい限りである。

かっこいい大人の歌詞を書ける人が少なくなってきていることは、大人になりたくない、と考える人が増えている傾向と関係性があるのかもしれない。書けるけれど売れないから書かないのかもしれないが、音楽配信になり、音楽が使い捨てのようになり、大手中古リサイクルショップの低額商品棚に多く陳列されているCDアルバムは時代を反映している。完全に音楽は生活の中で大事ではなくなっている証拠である。流行、廃りが激しい。

恋愛ソングが多いが売れるからである。それも、今から始まったことではないのでいいと思う。しかし、恋愛ソングの内容が軽くなっている。10代の恋愛ソングを20代や30代のヴォーカリストが歌っている。そういう歌詞ではないと売れないから、という理由もあるが、果たしてそのようなことをしていて、そのミュージシャンは40代以降になった時にどのような歌詞の歌を歌うことができるのだろうか。また、新しいジェネレーションのミュージシャンが出てきたら、その人達はお役御免になるに決まっている。

何か今の日本を音楽からも象徴しているようである。

私は軽い感じがする、そのとき限りの使い捨てのようで、恋愛ごっこの恋愛ソングにまったく興味がないし、CDアルバムを購入してまで聴こうとは思わないので、時代と逆行していると思う。それはとても感じているが、それでもいいと思っている。

長く聴けて、小さい頃にあのようなかっこいい大人になるんだ、と思わせてくれる歌詞が感じられる世界観を歌われている日本語の曲を今後も聴こうと思う。

一周忌 / Ronnie James Dio

今日は5月16日


アメリカ時間の2010年5月16日、アメリカで世界的に偉大なヴォーカリスト Ronnie James Dio が亡くなった。


彼のように歌えたらどれだけ幸せだろうか、と思うヴォーカリストは世界中にいるだろう。


彼と一緒にステージに立ちたかったミュージシャンは世界中にいるだろう。


彼と親友になりたかった人々は世界中にいるだろう。


彼は誰にでも分け隔てなく親切に、いやな顔をせず、直筆サインを書いたり、一緒に写真を撮ってくれたりしたそうだ。何店ものオートグラフショップの動画や何人ものファンがアップした動画を見たことかわからない。

いつも、にこやかに笑顔でカメラのほうに向いたりVTRカメラのほうに向きながらサインを書いていた。サインを書いた相手に、Thank you、と言っている動画も見たことがある。考えられない対応である。めんどくさがったりすることは彼ら有名人だと当たり前なのではないだろうか。

日本とは違い、海外では1人で何枚もの写真やLPジャケットを持って、本人に書いてもらうことが当たり前に行われている。日本だと、本人が迷惑するだろうから、と、まず、大量に写真等を持っていってサインを書いてもらおうと思う人は少ないだろう。

海外で有名人が当たり前のように大量に持ってきたものにサインをしている写真を私が見たことは少なくない。だから、いつも、ハイ、ハイ、といった感じでさばさばとサインを書いてくれる。拒否する方も少なくない。当たり前である。1人に書いたら、周りのすべての人にしなければいけない状況になるかもしれないし、1人にサインをするのも面倒に思うことは人間なら当たり前ではないだろうか。

でも、ディオはひとり、ひとりに笑顔でサインを書いて、時には会話に受け答えしながらサインを書いていた。

彼の人柄がわかる厚意である。

彼はシャウトする歌い方をするときに、ウー、ウ〜ゥ、イェー、イェーエー、エ〜、というシャウトをする。ディオの歌を聴いているなあ、と思う瞬間である。

クイーンに、ポール ロジャースが参加したときに、フリーやバッドカンパニーの時のように時折、イェ、ベイベー、と言っていたが、酒井康氏曰く、あれはないだろう、とおっしゃっていたが、その意見もわかるような気持ちがする。

レインボーの話がメインで語られるが、私はブラックサバス時代に奇跡的な科学反応を起こしていることに注目したい。

水と油、といわれていたミュージシャンたちが演奏したときに、考えられないような音を出した。あのようなことは稀有なことである。

アルバム ヘヴン&ヘル はいまだに語り草になる名盤中の名盤であるが、あの当時に彼らが、HR/HMの様式美、というものを確立させたのだと思う。音が古臭くない。私は個人的にレイニーのアンプが好きだが、トニー アイオミは当時、レイニーのアンプを使用していたこともあるが、かなり歪んだ音を出している。当時にしてはかなり歪ませて使用している。

あのアルバムは捨て曲がない、といってもよいと思う。残念ながらあの作品を超えるアルバムを彼らが再度、集まっても制作することはできなかった。

また、彼らのような、水と油、と思われるミュージシャンが集まって制作したアルバムで成功した例はとても少ない。

私はロニーのステージを一度も観ることができなかった。そのことがいまだに後悔している。いまだに、というのは彼が存命中から後悔していたからである。今の状況なら資金さえあれば何処へでも観に行けるが、当時働いていた会社は有給休暇や休暇を自分で選ぶことができなかったので、県外はもちろん県内で行われるステージすら観に行くことができなかった。だから、東京や大阪まで観に行くことなど不可能であった。

日本時間の5月16日とアメリカ時間の5月16日はロニーの歌を聴くことに決めていた。昨日も聴いたが、アメリカ時間の5月16日もロニーの歌声を聴こうと思う。

書きたいことは書ききれないぐらいある。言葉で書くより、彼の歌声を聴いて感じたいと思う。





Dear Mr.Ronnie James Dio



私はあなたの大ファンです。いまだにそのことは変わりません。



あなたの歌声を聴くといつもそのアルバムを聴いていた時のことを思い出します。



あなたのことは未来永劫語り継がれるでしょう。



私はあなたの大ファンになれて幸せに思っています。



あなたがのことを思うとメロイックサインとあなたの言葉、メッセージ、We Rock!!、"Magic"、ということが頭に思い浮かびます。



すばらしい歌声を聴かせてくれてありがとう。いつでもあなたの参加したアルバムを聴けばいつでも会えます。本当にいつもありがとう。





あらためて、故人ロニー ジェイムス ディオさんのご冥福をお祈りいたします。



合掌
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