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なぜか今日は

今日も原付で倉庫に行ったのだが、空気抵抗が大きい(身体が大きい=太っている)ので向かい風だとスピードが出ないが、追い風ならメーターが振り切れるのだが、速度の感覚が無くなっているので速いとは思わない。だが、原付は2輪の中でも速度が出ないが2輪の中で一番安定感がないので速度が出ていないといってもこけたら大怪我をすることがあるので、注意して乗ろうと思う。

ヘルメットの影響(?)で顔、首、頭が安定している。ベル社製のヘルメットでよく見られるあごの部分のチンスポイラが効いているのだろうか。

原付で半キャップタイプのヘルメットを被っている方が多い中でこのタイプのヘルメットを被る人はいないだろうから個人的に気に入っているが(というか本当は、新しいヘルメットを購入する予算がないだけなのだ)カラーがホワイトのままなので、ここまできたら自分のオリジナルカラーにしたい気分になる。

なぜ今日は という題名の曲が、The Birthdayの最新マキシシングルCDのタイトル曲である。

歌詞はチバユウスケさんが思いつきで書いた歌詞だと思う。でも、彼のセンスが光っている。語呂がよい。聴いていてすんなり入ってくる歌詞である。実際に聴いた方はわかるだろうが、日本語歌詞だが、リズムに合っている。チバさんの歌詞は語呂と韻を踏んでいく歌詞が多いが、この曲に関しては爽快感がある。

チバさんの世界観があるので、彼の書く歌詞に興味がない人だと、意味不明である、と感じると思うが、なんだかわからないが圧倒される、と感じる方は不自然に感じないだろう。

この曲の歌詞に関しては風景が思い浮かぶので理解しやすい歌詞だと思う。ニューアルバムが6月に発売されるが、どのような曲が収録されているのか楽しみである。

2秒 という曲が2曲目に入っているが、タイトルだけを発売前に見たときに、2秒で終わらないよな、と思ってしまった。

HR/HM好きなら知っていると思うがナパーム デスの曲で瞬間で終わる曲がある。有名な曲である。

だから、本当に2秒で終わっても私は驚かない。

日本語をロックのリズムにのせたり、ミュージカルの中の劇中歌に合わせるのは難しい。とても、違和感のあるものになる。日本でミュージカルを見ない方はあの違和感が好きではないのだと思う。

日本人は農耕民族である。だから、歩き方がすり足に近い。農耕民族以外の狩猟民族は歩き方にリズムがある。うそだと思うのならアフリカの民族でもアメリカ人でも、他の国々の方の歩き方を見てほしい。ワン、ツー、スリー、とカウントしているように足と腰で前進している。日本人は腰が移動するように前進していない。だから、リズム感が他の国の人達と違う。元々が違うのだから音楽も違う。

間 の世界は日本人独特のものである。鼓を打つ間は日本人なら誰でもできる。掛け声のあとに間をおいて打つことができる。だが、海外の方はすぐにできないし、理解できない。ワン、ツーなのか、ワン、ツー、スリーなのか教えてほしい、と言われると思う。だから、日本の伝統芸能は不思議な感じで受け捉えられる。

日本人に元々リズムがない理由は、農耕民族だから、という理由以外の日本語だとリズムが上手く取れない、というものがある。歌詞にストーリーをつけるときには説明するように歌詞が進んでいかなければ行けないが、そうすると、説明する言葉が長すぎる。簡潔にすることが難しい。

ロックは英語で歌うものだ、と内田裕也さんが提唱して、日本語ロックの第一人者であるバンド はっぴいえんど の松本隆さん達と論争が起こったことがあったが、はっぴいえんどは独特の音楽性もあいまって、日本語歌詞を曲にのせる事に成功している。だから、彼らのことを今、現在、ロックバンド、だと言わない人が意外に少なくない。歌謡曲だという人までいる。

大幅に変わったのはキャロルからサザンオールスターズ、アナーキーが出現したことである。カウントで数えてはまる歌詞を彼らは書いている。一部、意味不明になる部分もあるが、それでもいいじゃないか、と表現したのは彼らが始めたことである。

今では、意味が理解できない歌詞を書いているミュージシャンの曲が多いが、別にそのことに驚かない。そういうものである、と頭のスイッチを切り替えることができる。

chuuちゃんと話したことがあるが、沢田研二さんが歌う曲、カサブランカ ダンディー、の歌詞はとてもかっこいい。今だと男尊女卑だといわれかねない。

聞き分けのない女の頬を一つ、二つ、張り倒して 背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない

、という歌詞で始まるが曲のリズムに歌詞が合っていて、歌詞のストーリーが想像することができる。凄い歌詞である。さすが阿久悠さんである。

ここまで男らしい歌詞を今書ける人は残念ながら少ない。また、このような歌詞を無理なく歌えるヴォーカリストは日本では少なくなってきている。

誰かが言っていたが、レイディ(レディ)、ベイベー(ベイビー)、と無理なく歌えるヴォーカリストは矢沢永吉ぐらいしかいなくなっている、と言っていた。前は背伸びせずにさらりと歌えるヴォーカリストが多かった。

第一、20代のバンドのヴォーカリストの歌詞で、ベイベー、という歌詞を書いている方はほとんどいないし、もし、歌っていたとしても、かっこよく、無理をせずに歌える人は何人いるのだろうか。とても違和感があり、むずがゆく感じ、ふざけているように歌っているように感じるのは私だけではないと思う。

ベイベー、という歌詞を書いて、歌っている人は40代以上になっているように感じる。いつも聴いている音楽で、そのように歌っているミュージシャンがかなり多いので、自分も歳を取るはずだ、と感じる瞬間である。

ディーヴァ、と言う言葉が最近は日本でも一般的になっているが、それと反比例するように日本人の20代男性ヴォーカリストの勢いが無くなってきている。寂しい限りである。

かっこいい大人の歌詞を書ける人が少なくなってきていることは、大人になりたくない、と考える人が増えている傾向と関係性があるのかもしれない。書けるけれど売れないから書かないのかもしれないが、音楽配信になり、音楽が使い捨てのようになり、大手中古リサイクルショップの低額商品棚に多く陳列されているCDアルバムは時代を反映している。完全に音楽は生活の中で大事ではなくなっている証拠である。流行、廃りが激しい。

恋愛ソングが多いが売れるからである。それも、今から始まったことではないのでいいと思う。しかし、恋愛ソングの内容が軽くなっている。10代の恋愛ソングを20代や30代のヴォーカリストが歌っている。そういう歌詞ではないと売れないから、という理由もあるが、果たしてそのようなことをしていて、そのミュージシャンは40代以降になった時にどのような歌詞の歌を歌うことができるのだろうか。また、新しいジェネレーションのミュージシャンが出てきたら、その人達はお役御免になるに決まっている。

何か今の日本を音楽からも象徴しているようである。

私は軽い感じがする、そのとき限りの使い捨てのようで、恋愛ごっこの恋愛ソングにまったく興味がないし、CDアルバムを購入してまで聴こうとは思わないので、時代と逆行していると思う。それはとても感じているが、それでもいいと思っている。

長く聴けて、小さい頃にあのようなかっこいい大人になるんだ、と思わせてくれる歌詞が感じられる世界観を歌われている日本語の曲を今後も聴こうと思う。

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