2011年04月26日
死にかけて / In My Time Of Dying
今日の田中好子さんの告別式で彼女が死を覚悟して最後に残したメッセージが流された。人は絶望の時にその人の本性を見ることができる。
ある、お坊さんが、私は仏に仕えるものです。何を言われても驚きません。すべてを受け止める覚悟があります。私の病名を正直に教えてください、と医者に言った。
そうですか、それではお伝えします。あなたの病名は癌です、と医者が言った。
それを聞いて絶望したお坊さんは屋上から飛び降り自殺をした。
田中さんは最後に感謝の言葉を述べたくてメッセージを残した。自分にもう時間が残されていないことに最後の力を振り絞ってメッセージを残すことにしたのだろう。声に力がなかったが、あの声は精一杯力強く発した声だったのだと思う。偽りのないメッセージだった。
私はキャンディーズを知らない世代だが、あのメッセージには、グッ、とくるものがあった。年齢的な問題ではない。年齢的の問題だというのなら、自分がいろいろと人の死を見て、人の死に際を経験しているから、ということだと思う。
今日はコージー パウエルのアルバム オーバー ザ トップ を聴いた。このアルバムは大好きなアルバムでよく聴く。
今日のテーマは 死にかけて In My Time Of Dying だが、コージーの死に際も彼らしい死に際だった。不謹慎なことを言っていることはわかっているが、彼はフリーウェイで散っていった。彼女と携帯電話で話している時に何らかの状況になり、"Shit"!!、といった言葉が最後の言葉になった。その後は車がクラッシュする音だけが電話越しに聞こえたそうだ。
コージーは大の車好きでマツダ RX-3(日本名 サバンナ)のセダンでレースに参加して表彰台に上がったことがあるくらいのドライビングテクニックの持ち主だった。若い頃はシルバーのジャケット(というよりジャンパー)にスクーデリア フェラーリのエンブレムをつけたものをよく着ていたぐらいのスクーデリア フェラーリの大ファンだった。確か若い頃の彼はビアンコ(白色)のV8ミドシップエンジン搭載車 308 を所有していたはずだ。
ある日本の自動車評論家さんが著書で書いていたが、もし、コージーがフェラーリに乗って事故死していたら、コージーにとって後悔が残らない死に方だったのかもしれない、と書いていたが、私もその方がコージーらしい死に方だったと思う。彼が事故死した時に乗っていた車はサーブターボだった。
私はLed Zeppelin のヴァージョンの In My Time Of Dying が大好きである。死に際を、楽しく、おかしく、表現して演奏しているようである。それは、人間の死というものは人それぞれではあるが、人間が死ぬ間際、最後の最後、燃え尽きていく瞬間まで生きる、ということが大切である、とZEPは表現しているようである。
私は言葉はいらないから、ZEPの曲 Stairway To Heaven を葬式の間中、流してほしい。
どんなに大金を持っている女性でも天国への階段は買うことができない、というこの曲の歌詞は、人の死は平等であるべきだ、と歌われているように思うからである。
ある、お坊さんが、私は仏に仕えるものです。何を言われても驚きません。すべてを受け止める覚悟があります。私の病名を正直に教えてください、と医者に言った。
そうですか、それではお伝えします。あなたの病名は癌です、と医者が言った。
それを聞いて絶望したお坊さんは屋上から飛び降り自殺をした。
田中さんは最後に感謝の言葉を述べたくてメッセージを残した。自分にもう時間が残されていないことに最後の力を振り絞ってメッセージを残すことにしたのだろう。声に力がなかったが、あの声は精一杯力強く発した声だったのだと思う。偽りのないメッセージだった。
私はキャンディーズを知らない世代だが、あのメッセージには、グッ、とくるものがあった。年齢的な問題ではない。年齢的の問題だというのなら、自分がいろいろと人の死を見て、人の死に際を経験しているから、ということだと思う。
今日はコージー パウエルのアルバム オーバー ザ トップ を聴いた。このアルバムは大好きなアルバムでよく聴く。
今日のテーマは 死にかけて In My Time Of Dying だが、コージーの死に際も彼らしい死に際だった。不謹慎なことを言っていることはわかっているが、彼はフリーウェイで散っていった。彼女と携帯電話で話している時に何らかの状況になり、"Shit"!!、といった言葉が最後の言葉になった。その後は車がクラッシュする音だけが電話越しに聞こえたそうだ。
コージーは大の車好きでマツダ RX-3(日本名 サバンナ)のセダンでレースに参加して表彰台に上がったことがあるくらいのドライビングテクニックの持ち主だった。若い頃はシルバーのジャケット(というよりジャンパー)にスクーデリア フェラーリのエンブレムをつけたものをよく着ていたぐらいのスクーデリア フェラーリの大ファンだった。確か若い頃の彼はビアンコ(白色)のV8ミドシップエンジン搭載車 308 を所有していたはずだ。
ある日本の自動車評論家さんが著書で書いていたが、もし、コージーがフェラーリに乗って事故死していたら、コージーにとって後悔が残らない死に方だったのかもしれない、と書いていたが、私もその方がコージーらしい死に方だったと思う。彼が事故死した時に乗っていた車はサーブターボだった。
私はLed Zeppelin のヴァージョンの In My Time Of Dying が大好きである。死に際を、楽しく、おかしく、表現して演奏しているようである。それは、人間の死というものは人それぞれではあるが、人間が死ぬ間際、最後の最後、燃え尽きていく瞬間まで生きる、ということが大切である、とZEPは表現しているようである。
私は言葉はいらないから、ZEPの曲 Stairway To Heaven を葬式の間中、流してほしい。
どんなに大金を持っている女性でも天国への階段は買うことができない、というこの曲の歌詞は、人の死は平等であるべきだ、と歌われているように思うからである。